【猿礼】身体のなかに飼っている

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

 見てしまった。
 あのひとの秘密を、しってしまった。
 それはつい数時間前、鎮目町のパトロールという名目にかこつけて美咲を探しにいったとき、ビルとビルの狭苦しいあいだで行われていた。
 いつも執務をこなしている細い指先が、見知らぬどこぞかの男の性器にまとわりついているのを見てしまった。ジッと二人を見つめていると、男もあのひとも気づいていないのか、その場で下半身を露出させて後背位でセックスをはじめた。苦しそうな喘ぎ声が漏れ、相手の男はただ誰でもいいというように粗雑に腰を振っていた。グチュッと歯磨きのチューブを潰すような音がした気がした。俺のなかで、あのひとに対する何かが壊れていくのがわかった。あのひとは、もう駄目ですとか、嫌だとかいっていたような気がする。まるで俺が犯しているかのような気分に浸りながら、そのまま二人のセックスを眺める。よくこんな汚い路地裏でやれるな、と思いながら男の顔をよくよく見ると、誰かに似ているような気がした。頭のなかをサーチしてみるものの、特に指名手配犯などではないようなのでその場を離れようとしたとき、何度もあのひとのなかを蹂躙していた男が達した。汚れたのを拭えとでもいっているのか、あのひとは精液の残滓がしたたるのをふたたび咥えて、啜るようにしながら頬を窄めた。それは恍惚とした表情をしていて、そしてどこか無性に気持ちが悪かった。得体のしれない獣を身体のなかに飼っているかのような、そんな目をしたあのひとがそこはかとなく恐ろしくなってしまう。
 男は性器をファスナーのなかへしまうと、尻のポケットから財布を取り出して何枚か万札を投げた。一枚一枚、はらはらとあのひとの上へ落ちて、一万円札が点々と散った精液を吸い込む。乾いたそれが、粘着質な体液に汚れる。
「じゃあな、」とでもいったのか、それとも別の言葉を吐いたのか、男が立ち去ったのちにあのひとはノロノロと着衣を正しはじめた。その辺りから、俺の記憶はおぼろげだ。気がついたら、寮の自室のベッドの上へ突っ伏していた。こんなとき、個室でよかったと俺は心底おもった。
 多分、あれは誰にもしられてはならないことだったのだ。
 青の王、宗像礼司が金を対価に身体を差し出しているということは、俺しかしらないことなのだろう――。
 なぜだろう、とおもいながら、俺は自分が思ったよりもダメージを受けていることに気付く。周防尊が学園島で死んで以来、あのひとは持て余した身体を俺に委ねる。最も、周防尊とのあいだでは抱くことしかしらなかったようで、言葉を信じるのならば男に抱かれるのは俺が初めての相手だったはずだ。そんなひとが、見知らぬ男に抱かれて金銭を受け取っている――数時間前に見たその光景はある意味ショッキングだった。
 別に俺に抱かれているからといって、他の男に抱かれていないだなんていうことはない。だから、自由なのだ。俺たちは個別の人間であるからゆえに、好き勝手にセックスを繰り返す。そういう決まりだったはずだ。男に抱かれたければ、身分を隠してつまみ食いをすればいい。
 ――だがしかし、あの表情は一体なんだったのだろう。いつもの温厚な顔とは違い、表情のない人形のような冷徹な目で見下ろしながらセックスをしていた。それに対し、俺が抱く感情は恐怖だ。嫉妬なんていうものは、俺とあのひとのあいだにはない。持ち込むべき感情ではないからだ。ただただ、ひたすらに恐ろしいという感情が湧き上がる。
 ベッドに突っ伏しながら、数時間前に見てしまったことを考えているといつの間にか寝入ってしまったようだった。夢のなかで、俺は人形と化したあのひとに頸を絞められていた。苦しい、と思いながらその手を払い除けようとしたとき目が覚めた。暗い部屋のなかに、自分以外の人間の気配がしてハッと飛び起きると「よく寝ていましたね、」とおだやかな声がした。
 パチッ、と電灯が灯る音がして部屋が明るく照らされる。そこにいたのは、まぎれもなく上司である宗像礼司だった。急に電気を点けられたので、眩しさに目が慣れなくてパシパシとまばたきをしていると「ちいさな犬猫みたいです」といわれた。百七十八センチのちいさな犬猫がいるのならば、見てみたいと思いながら「夜這いですかァ」と怠さを隠さずにいうと、のんびりとした口調で「そうですよ、」と答えられる。
 路地裏で金もらいながら男咥え込んでたというのに、帰って来てまで俺と寝るのかよ。という嫌味をいいたくなりながら起き上がる。一体、何がここまで苛つくのか自分でもわからない。別に俺たちは個別の人間だということはわかりきっているし、俺だっていまも美咲とセックスをしている。また、それとは別のベクトルに於いて目の前の上司ともするけれど。
「もう夜ですから、夜這いということになりますね」
「鍵、どーしたんですか。俺、一応鍵かけて寝てたんですけど」
「私なりの権限で、この寮のマスターキーくらいは持っていますよ」
「……最悪、」
 伏見くんにとっての最悪が、私にとっての最良の場合もあるんですよ。などと、訳のわからないことをいいながらベッドの縁に座っていたが、立ち上がって「日本酒、飲みませんか」といってテーブルの上に置かれた二本の瓶を指さした。立ち上がったことにより、今日は和服ではないことがわかった。
 別に、他の男に犯されていたからといって汚いとは思わないけれど、その日、その晩、もしかしたら誰かの精液が体内に残っているままここへ来てほしくなかった。
「きみは二十歳までもう少しですが、目を瞑るので付き合ってください」
「――なんで俺なんですか。顔の好みとかなら、他の奴らでもいいでしょう。秋山なんか傍から見てもアンタのこと尊敬してますーってのがすげぇ見えるし。可愛い系が好きなら道明寺でもいいし、綺麗系が好きなら弁財でも部屋に呼んで喰えばいいのに、なんで俺のこと構うんですか」
 吐き出すようにそういうと、こちらを見つめながら何度かまばたきを繰り返された。思いもよらないところを突かれた、といった感じでくちを閉じている。このひとの、こういった表情は珍しいなと思いながら見ていると「似ていますから、」といわれた。
「私と伏見くんは、どこか似ていますから。だから甘えてしまうのかもしれませんね」
 そういったときの語尾が、すこしだけ震えていた。
 多分、このひとのいう“似ている”というのは本当に欲しい人間と離れてしまったということを指しているのだろう。俺は美咲と、このひとは周防尊と。ただ、鎮目町をパトロールしていれば会えるような美咲に対し、周防尊と会うことはかなわない。かつての恋人を刺したサーベルを、職務とはいえ使い続ける気分というのはどういったものなのだろうか。
「コップ、借りますね」といいながら、ガラス製のコップをテーブルの上に置いて、そこへ日本酒を注ぐ。小気味良い音が聞こえ、コップはすぐに日本酒で満たされた。冷やして来たんですといって、クッションの上へ座るのが見えた。俺の部屋に誰かが来ることなんてないのに、一応クッションは二つある。ただ、誰も使っていないのでひとつは潰れており、ひとつは膨らんだ形のままだった。
「寮内で和服じゃないの、珍しいですね」
「夕方、野良犬に噛まれてしまいまして。そんな肌を晒すのもなんですから」
 ああ、これは盗み見していたのがバレているな、とおもいながら「通りがかってたんで、噛まれてたのは知ってます」というと苦笑がかえってきた。
「噛み痕、見せてくださいよ」
「おや、伏見くんは私のそういったことに関して興味がないのだとおもってました」
 興味なんてねぇよ、と思いながらもその身体につけられた痕が気になってしまう。周防尊がいなくなったいま、このひとの皮膚に喰いつけるのは自分しかいないとおもっているからだ。
 目の前のひとは、楽しそうに笑みながら日本酒を飲み干した。そして、おもむろにシャツの袖を捲るとそこには歯型がついていた。勿論、犬などではなく人間のものであるそれが白い皮膚の上に食い込んでいる。
「ここと、胸元にひとつずつです」
「――俺のこと、煽って楽しいですか」
「そうですね、私が遊んで来たことで伏見くんのこころが揺らぐかとおもうと、すこし楽しいです」
 悪趣味過ぎだろ、と吐き出すようにいうと「悪趣味、とは?」と聞かれた。
 そうだ、俺たちのあいだには恋情というものが介在しない。だから、このひとが誰かに抱かれても金をもらっていても、なにも不快に感じることなんてないのだ。それでも言葉は止まらずに、汚濁のように流れ出る。
「あんなところでセックスして、金受け取ってる奴が上司様だなんて笑えるんですけど」
「金銭を受け取るつもりはなかったのですが、払うといわれてしまったもので」
「アンタのやったこと、売春だって意味わかってるんですか?」
 そういって詰ると、「……売春ですか」といったきりくちを噤んだ。なにを言い訳するのかなとおもいながらジッと観察していると、「伏見くんは厭ですか?」と聞かれたので、おもわず「は?」と答えてしまった。
「ですから、身体を売った私ではもう相手にしてくれませんか」
「厭もなにも、俺に拒否権なんて初っ端からないんですけど」
「では、いつも通りに相手をしてください」
 いまですかァ? と聞くと、いまですよ、とマイペースさを感じさせる声で答えられる。
 ここでいますぐ相手をしてくれないとどこで何をするかわかりませんよ、といった最早脅しに近い形で目の前のひとは俺を縛り付ける。
「ゴムですか? それとも生でやったんですか? 誰かが生で突っ込んだ後とか、厭過ぎるんですが」
「コンドームなら着けてくれていましたよ、」
 そう言いながら立ち上がり、俺はベッドへ押し付けられるようにして追いやられる。俺の目の前では、ストリップショーよろしくデニムと下着を脱ぎ、シャツだけになった男がこちらを見ている。なんかグラビアとかに出てきそうな格好だな、とおもいながらその整った肢体を眺める。きれいに筋肉の乗った皮膚は、触れるだけでいかに鍛えているかわかるものだ。
 勃たせてくださァい、と面倒くさそうにいえば「手でもいいですか?」とやわらかな声音で聞かれる。そういいながらも、その手は既に俺のファスナーと下着を下げている。侮蔑するような顔をしながら見ていると、「伏見くんがおもっている以上に、私はきみに好まれているみたいですね」などという言葉を吐かれた。この目線を受けておいて、好まれているとかなんとか勘違い甚だしいとおもいながら「ソーデスネ、」と答えておく。
 そんなことを思いつつも、性器は着実にゆるゆると勃っていくのがわかって、この男として生まれた身体の単純さにかなしささえも覚える。硬度を増し、芯を持ちながら勃ち上がる性器はきれいな手に包み込まれてひどく気持ちいい。男同士なのでどこを擦ればいいのかはよくわかっているし、このひととは何度もこんなことを戯れにしたことがある。
 ここが好きですよね、といわれながら鈴口の部分を指先で責められる。重点的にそこを責められると、たやすく達してしまうことがわかっているので「くち、使ってくださいよ」というとパクッと咥えられた。身長は俺よりもおおきなひとが、身体を屈めて脚のあいだにいるさまは悪くはない。寧ろ、心地良い。体格も立場も年齢も上の男が、俺の言葉ひとつでその上品さを漂わせたくちに咥え込む。
 この関係はただの暇つぶしだったはずなのに、いつしかそれをすこし逸脱してきてしまった。俺たちは、互いに執着というものを持ったら終わりだと信じている。目の前のひとがいまはどうおもっているかはわからないけれど、俺はいつまでもそうだと思い込んでいるのだ。執着と恋情は、とてもよく似ている。俺はいまだにその区別がうまくつかない。ただ、このひとに対して持っていいのはどちらでもなく、ただ俺たちのあいだに流れるべきものはもっと平坦な感情であればいいのだとしっている。
 どうですか、と咥えたまま聞かれたので「もっと奥まで挿れても平気なんじゃないですかあ?」といいながら、その髪をつかんで根本まで飲み込むようにさせた。食道までぬるっと入り込み、嘔吐する直前のように噎せる音が聞こえた。そういえば、どこの男かわからない奴のも咥えていたな、と思い出す。誰かの性器が出入りした口腔内に自分のものが入っていることが許せなくなり、それならばもっと奥まで汚してやればいいと頭のなかで声がした。
 性器を咥えているので上手く喋れないまま、嘔吐するかのように食道が蠕動する。それでも髪をつかんで離さないようにしながら、更に奥へと突き立てた。なんだかあれに似ているな、と思う。幼い頃、蟻が巣から出てくるたびに潰してよろこんでいたような、そんな感覚にすこし似ている。
「――室長、やめますか?」と聞いてみたものの、顔を横に振られたのでそのままつづけることにした。
 髪をつかみ、頭を前後させると呻き声めいたものが上がる。それでも構わずに喉の奥へ奥へと、性器を突き刺した。それが余りにも苦しかったのか、何度か太腿の内側を叩かれたがそれでも俺はイラマチオを強要することをやめなかった。
 何度も喉の奥を犯し、やっと吐精した瞬間に俺は征服欲というものに支配された。それは曖昧なものだったが、口腔内や食道や胃にべったりとこびりついたであろう自分の精液を思い、俺はつかの間の恍惚に浸る。粘膜に付着したり、胃のなかへ落ちていった精液はこのひとの身体に吸収されるのだろうか。それともなにものにもならず、排出されゆくのだろうか。どちらでもいいのだけれど、とおもった。こんな関係に、執着は似合わない。きっと俺がいま感じているこの不快感はそんなものではなく、ただ自分と遊んでいるひとが自分で満足しないからとかそんなちいさな理由なのだろう。――だから、執着なんかではないのだ。
 吐精した後の性器を、脚のあいだにある顔になすりつけて「きれいにしてくださいよ、」といいながら残滓を頬に押し付けた。ドロッとした白濁が頬を伝い落ちる。それはどことなく、涙のようにも見えた。
「今日は怠いんで、勝手に上に乗っかって動いてくださァい」
「……伏見くん、きみは機嫌が悪いのですか?」
 は? と返すと、「私がきみ以外のひととセックスしたことで、機嫌が悪いのだと思っていました」といわれたので「なんで、」という言葉がこぼれた。そんな執着めいたものは、ここには必要ない。
「今日、声をかけられたひととセックスしたことは事実ですが、なぜついて行ったのかといえば伏見くんに似ていたからです。それと、大体あの時間ならばきみが通ることはわかっていましたから」
 だからセックスしているさまを見せたといいたいのかこのひとは、とおもいながら俺は歯軋りをする。それが何のためで、誰のための歯軋りなのかわからないまま、目の前のひとが憎いとおもった。
「きみは、私に執着というものを持つことを恐れているのでしょう。いまでも八田くんを抱いていることはしっていますし、それを止める気も権限もありません。ですが、私はどこへ行けばいいのかわからなくなるのですよ」
 周防尊は死んでいる――その男を抱いていたといいながら、伏見猿比古に抱かれることをしってしまった身体は熱を孕むばかりなのだろう。
「それと、アンタが淫乱なのはなんの関係があるんですか? 周防尊が死ぬ前から、俺たちはこんなことを繰り返していたじゃないですか。俺が美咲を抱いていることはしっているって、室長と美咲なんて較べられないことくらいわかってるでしょう。それとも、美咲よりアンタを優先させろっていうんですか?」
 いけない、とおもいつつも言葉はくちから出て止まらなかった。このひとはいま悲しんでいる最中なのだし、俺はそれを慰めるためのセックスをしなければいけないということもわかっている。だが、攻撃的な言葉はボロボロと吐き出された。
 そんなことをしていると、「ふ、」と笑うのが聞こえた。
 そうだ、それは確かに笑んだときに漏れたものだった。つづいて、さもおかしそうに「ふふっ、」と笑い声が耳に入る。楽しそうな声だった。
「わかりました、伏見くんに声をかけたのは私ですし、責任をもって他のひととセックスをするのは控えますね。勿論、きみはいつも通り八田くんを抱いても、私を抱いても構いません。ただ、八田くんに対する感情のうち、ほんの僅かでも――嫉妬という名の感情をくれればそれでいいんです」
 そもそも、室長に向けてる感情と美咲に向けてるものは根源が違う、と言おうとしたのだがそれはのしかかられながらされたキスで消えてしまった。
 いうべきことと、いわないでいいことが、塵のようにこころのなかに積もり積もって山になってゆくのがわかる。その気持ち悪さを崩そうとして、「売春してみて、どーでしたか」と軽口をたたくと「伏見くんの身体に馴染んでしまったので、いいとは思えませんでしたよ」と答えられる。このひとは、そんな赤面もののことをよくくちに出せるなと呆れながら、「全部、アンタが教えたことですから」というと楽しそうな表情を浮かべるのが見えた。
「私がセックスというものを教えたのは伏見くんだけですよ」
 どこまで信じていいのかわからないことをいいながら、指先が輪郭をなぞった。嘘とも本当ともつかないことをいわれて、真っ正直に飲み込むほど子供ではない。ただ、そういったときの目が大型肉食獣のそれに似ていたことだけが印象的だった。獲物をとらえる直前のひどく理性的な目は、うつくしい菖蒲色をしている。その目に映る自分を見ながら、俺という存在は咀嚼されるのを待っている。咀嚼され、胃へ滑り落ちて消化されながら吸収されるのを待つのだ。養分となり、俺は意識を失うだろう。(それは俺に対する美咲の役目ではない)やがてこのひとも俺も境目は曖昧になり、誰が誰なのかさえわからなくなるだろうそのときが来たならば、いま感じているこの灼け焦げるようなくすぶりの名前がわかるだろうか。

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