【猿礼】中学伏見さんと室長がセフレな話
中学の頃、一定期間だがセフレというものがいた。
出会った当初の印象は同級生の女よりもきれいだな、と思った男。いわゆる、歳上のひとというものだった。大人としての雰囲気が漂っていたが、何歳なのかという質問を投げかけたことはない。若いと思うものの、老成している部分もある。そのひとに関して知っているのは、名前だけだ。
どういった素性で、普段どこにいて、どんな家に住んでいて、兄弟は、姉妹は、学生なのか社会人なのか――何も知らないし、聞かなかった。ただ、眼鏡選びの趣味は悪くないな、と思っている。いつ会っても小奇麗な格好をしているし、言葉遣いも丁寧だ。たまに馬鹿丁寧に扱われ過ぎて、居心地が悪い時もあるが、このひとの癖なのだろうと気にしないことにした。
いつだって、冴え冴えとした声で「伏見くん、」と呼ばれる。
そんな調子なので、今夜ご飯でも食べませんかと言うように、「セックスしませんか」と誘われたとき、妙に冷静になりながら頷いていた。とても気軽な誘いだった。だから、あまり抵抗がなかったのかもしれない。そして、こんなに俗世間から離れているようなひとでも、性欲というものは普通にあるということを知った。
二人でホテル街に向かって歩いていると、駅ビル直結のホテルなどの方が良かったかと聞かれたので、別にどこでもいいと伝える。見た目に反して、少し天然なのかと思うとおかしかった。
ラブホに入ってから今更のように、いくつでしたっけ、と聞かれたので「十四歳ですけど、」と答えると、困りましたねと言うようなやさしげな顔で微笑まれた。
そのときはさすがに少し遠慮したのだろう、ソファに座りながら、色々と他愛もない会話をした。本当にどうでもいい話ばかりだったが、三回ほど会って食事しただけの男とラブホにいるということに対する警戒心は徐々に溶けていった。そういったことが、とても上手いひとだな、と思った。他人のこころにするりと入り込むというか、何事もスマートにこなしてゆく。
結局、その日は数学の課題を手伝ってもらうだけで、何もなかった。
ウェルカムサービスのミネラルウォーターを、ペットボトルからコップに注いで飲み、テーブルを挟んで数式を延々と二人で解く。
数学というのはパズルだから得意なんです、答えは限られているでしょう。と言って、見た目通り几帳面そうな字をノートに連ねた。すらすらとペンを滑らせる指先、特に人差し指が、とてもきれいだなと思った。
男二人が、ラブホの一室でひたすら数式を解くさまは、何だかおかしい。
課題が大体終わったところで時間を確認すると「今日はここまでにしましょうか、」と言われた。
その言葉を聞いて、正直なところ拍子抜けし、安堵した。
最低限の照明のなか、キングサイズのベッドの横にいるのに、何もせずに二人でペンを取り合った時間は、気付けば三時間近くになっていた。三時間続けて課題をこなしたわけではなく、合間合間に会話が混じったので、時間が経つのが早かったのだろう。
帰り際になって、年齢を聞いたときと同じような少し困ったような顔を向けて、「また今度、ですね」と言ったあとに薄ら笑みを浮かべた。
なんだかさみしそうに笑うひとだな、と思ったのを覚えている。
そんなことがあったので四度目は会いづらかったが、「今日、数学見てください」とメールをしてしまえば消し飛んだ。
別に、惹かれているわけではなかった。単なる、中学二年生的な好奇心。それだけだ。
数分後に返って来たメールには、午後二時からなら空いているということと、待ち合わせ場所が指定されていた。指定されていたのはランクの高めなホテルのロビーで、前回言っていたようにラブホではなく気を遣ってくれたのだろう。
学校指定のスクバを持って、制服でロビーで待つのは少々浮いていたが、それでも普通のホテルなので必要以上に周りから関心を示されることはなかった。
忙しそうな文面だったので少し待つかと思いきや、きっかり十分前にエントランスからあらわれた。いつだって、嫌味のないさっぱりとした服を着ている。今日はスーツだった。
チェックインの手続きを済ませ、部屋に通されて二人きりになる。
少し緊張しながら、スリッパに履き替えて、スクバを下ろしてソファに投げようとしたときだった。
良識のかたまりのような男だからと言うべきか、そんなひとが向かい合ったときに、「抱いてください、伏見くん」などというセリフを吐きながら腕を掴んだので、意味が中枢に伝達されるのに時間がかかる。
ベージュで統一された広い客室に響くそれは、なんだか切羽詰った声で痛々しい――。
制服のブレザー、その二の腕を掴まれて一瞬驚いたが、「すみません」と言いながらパッと手を離された。そのすみませんという言葉は、腕をとらえたことなのか、それとも抱いてくれと言ったことなのか聞きにくいので「別に、俺は気にしませんけど」とどっちにも取れるように伝えた。
「ただ……その、二度も着いてきて言うのもアレなんですけど、アンタは男も女も経験ない中学生が相手でいいんですか」
誰とも経験がないのは、別にこの年齢ならセーフだろうと思いながら不躾に質問を投げかける。
「皆、最初はそんなものじゃないですか?」
「――はァ、」
余りにも普通っぽいことを言うので、はァ、としか返事のしようがなかった。
それとも私では不服でしょうか。とささやくように言いながら、少し屈んでキスをされた。いま振り返って思えば、それは触れるだけの軽いものだった。キスというものをされたのは初めてだったので吃驚していると、いたずらが成功したような顔で楽しそうに微笑まれた。どうにも、このひとはつかみどころがない。
目を丸くしていると、何度か啄むようにキスを繰り返された。
ふふっ、と笑う声が聞こえる。
その笑い方があまりにも上品で、穢れたものなど知らなさそうで、俺のなかの鬱屈としたかたまりを見透かしているようだったので、気がつけば真っ白いベッドの上へ引きずり倒していた。
身長差はあるものの、こちらも男だということを忘れないで欲しいと言わんばかりに、片手を押さえつける。
そして、さっきまでされていたように口唇を擦り合わせてキスをした。我ながら、自分から仕掛けたのが初めてにしては上手くいったと思う。待ち受けるように上下の唇が開いたので、そこに舌を捩じ込ませる。口腔内で触れ合った舌は、やたら熱かった。溺れるようになりながら、上手く呼吸するすべを探る。伸ばされる舌先をやんわりと噛むと、くぐもった声が聞こえた。いつも低く落ち着いている声のひとが、少し頬を赤らめてかすかに喘ぐさまを見て、単純なことに下半身が疼いた。
「伏見くん、」
熱っぽく呼ばれて、悪い気はしない。
ただ、何事も慣れているなという印象を受ける。すべて思い通りにされているようで、少し癪だった。
眼鏡の奥の両目が、少し潤んでいる。見下ろすように組み敷いてじっと見つめていると「シャワー、無駄になってしまいますね」と言われ、そこで初めてこういったことに順序を見出す男なのだと知った。
「二人で入りませんか、」
そう提案されたので、頷いた。
引きずり倒した男に、シャワーを提案されるのは少し間抜けだったが、脱衣所に移動してもそもそと服を脱いでからタオル一枚になる。
お互いタオル一枚になってから、あらためて思ったのは、鍛えているのかいい身体付きをしているな。ということだった。筋肉は付きすぎず、それでも平均よりはありそうだった。しなやかな身体とは、こういったものなのだと思った。
「普段は風呂でも眼鏡を外さないんです、ただ、お互い眼鏡だとキスしづらいですから」と言いながら眼鏡を置くのに倣って、同じように眼鏡を外した。
スライドドアを開けた向こう側は、家のバスルームに較べてかなり広かった。
白いタイルが、やたら清潔感を演出している。
キュッというシャワーのコックをひねる音がして、微温湯が正面から当てられた。
「スポーツ、何してるんですか、」
「……スポーツ、ですか?」
「いえ、鍛えてるみたいなんでちょっと気になって」
「気になりますか、私のことが」
そう言って、含み笑いをして髪を撫でてきた。帰宅部でゲームと課題に明け暮れる日々が続いているこちらとしては、気になったのが半分、話題を探したのが半分だった。
「いつか、全部お話し出来たらいいですね」
何度も何度も、髪を撫でられた。
そんな微温湯に濡れた手で触れないで欲しいといつもなら思うところだが、このひとの体温は少し低くて丁度いい。見た目そんなに年食ってないのに体温低いとか年寄りかよ、と内心吹き出しながら、それでも少し目を閉じてその感触を楽しんでいた。
どこかなつかしさを感じさせるひとだった。だから、腰に巻いていたタオルを剥ぎ取られたときも、それほど気にならなかった。
バスタブの縁に寄りかかって立っていると、白いタイルの上へ膝立ちになってそのまま咥えられた。
きれいなひとの、きれいな口唇と真っ赤な舌が、性器に這って徐々に先端から咥えてゆくさまが上から見えた。
口腔内の粘膜が、ぺったりと張り付くのは予想以上の感覚だ。見た目が堅苦しくて冷ややかなひと、という印象がグズグズと溶けてゆく。
多分、このひとはいつも誰かとこうしているか、させているのだろう。
緩く勃っていたのが、咥えられたことにより硬度を増す。じゅるっと唾液と先走りを吸い込む音がして、さっきまでスーツを着込んでいた男がこんなことをしているということが、にわかには信じられなかった。ただ、やわらかく性器をつつみこむ口腔内の感触、それは紛れもなく本物だ。
人間は肉のかたまりなのだということが、まざまざと伝わってくる。
太腿、それも足の付け根の方に爪を立てられたが、それは痛いというよりは感じたことのない感覚だった。心地よい、気持ち良い、そんなものだ。勿論、いままで誰ともこんなことをした経験はない。
咥えたまま、舌を押し当てられて思わず呻く。
体液が混じった唾液を口に含んで、不味くはないのだろうか。と余計な心配をする。
少し苦しそうに上目遣いでこちらを見た。大丈夫かと聞けば、その問いが意外だとでも言うようにパチパチとまばたきをして、少し頷いた。
このひとが楽しそうなのは、悪くないと思った。
しばらく咥えられていると、その接触している部分から思考が漏れるような気がした。たとえば、太腿に付かれている手のひら、口唇や舌、それらから暴かれてしまうようなそんな感じだ。
暴かれて都合が悪いかと言えば、少し、悪い。
だって俺はこんなとき、別の男のことを考えていたから。
美咲はきっとこんな風に触れない、美咲はきっともっと怯えるだろう、美咲はこのひとよりも体温が高い、美咲は咥えることに躊躇するに違いない――。
美咲に、八田美咲に会いたかった。
いつも窓際の最後列の席でまどろんでいる、オレンジ色と赤茶色の中間の髪色。最初は不器用で頭が悪いのかと思っていたが、知り合ってしまえば回転の早いやつだと知れた。互いに変な名前だと言い合いながらも、「猿比古、」と呼ぶ声が好きだった。すべらかな頬、健康的な肌と骨格、低めの身長、屈託のない笑顔、何もかも自然と惹かれる要素で溢れていた。
そんな風に、美咲のことを思いながら他の男と肌を擦り合わせているのは、どこか罪悪感を感じる。
付き合っている訳ではないが、それでもたまに手を繋いだりする間柄だ。潔癖な中学生らしい関係。明確な言葉がなくても、俺たちは上手くやっていけると思っていた。だから、敢えて「付き合おう」とかは言わなかった。
その笑顔を思い出し、苦しくなりながら少し涙を滲ませた。シャワーを浴びたので、その雫が目元に飛んだと言えばごまかせる程度。だが、それは間違いなく涙だ。
「宗像さん――、」
すべての感情を押し流すように、脚のあいだに顔をうずめて性器を咥えている男の名前を呼んだ。
苗字しか教えてもらっていないが、それがこのひとの名前だった。手が届くので、その青っぽく光る髪をつかんだ。美咲は癖っ毛なのに、このひとはセットしている部分以外はストレートだ。そして、そんなことを較べている自分に気付く。
初めて誰かにフェラしてもらっているというのに、他の男を思い浮かべるのはルール違反だと思いながらも止められなくなった。
結局、それからすぐに達した。慣れないことなので、いくとか言うタイミングを逃し、口内に射精してしまったが何も咎められなかった。咎められた方が、楽だった。
AVのようにそのまま飲んだりすることはなく、洗面台で水を汲んで口を濯いでいた。
「初めてしてみたのですが、大丈夫でしたか」
「……慣れてるみたいでしたけど、」
「普段、自分がされることをしただけです」
それは男相手なんですか、と聞きそうになって、結局聞くのをやめた。別にこのひとが普段男を抱こうが、女を抱こうが別に関係はないからだ。
バスタオルで碌に身体を拭くこともせず、バスローブを簡単に羽織ってからベッドに移動した。
少し水滴の浮いた皮膚が、やたら艶めいていた。
男とセックスをするというのは、ぼんやりとしか知識になかったが、それでも性器を擦り上げられれば勃ったし興奮もした。
ただ、押し倒されたような体勢になったので、もしかしてこのひとは俺を犯したいのかと思ったが、それは杞憂に終わった。
「面倒ですね、濡れないというのは」
バスローブを肩から落とすと、すべすべとした肌があらわれる。
そう言いながら自分の指にたっぷり唾液をまみれさせると、膝立ちになって両脚を開いた姿勢で指を沈み込ませるのが見えた。めり込むようにして指が埋まっていくさまを、じっと下から眺めていた。
少し煽るように、ゆっくり指を沈めるのがいやらしかった。
両脚のあいだに横たわって下から見つめる。きっと、このひとはセックスが欲しいんじゃないな、と直感が働く。きっと、多分、そんな気がする。俺もそうだと言ったら、このひとはどんな顔をするのだろう。
しばらく指を増やしたりして慣らしていたが、少し切なそうに眉根を寄せてこちらを見て、低く喘いだ。
そして挿し入れていた指を抜くと、そのまま腰を沈めた。
いくら勃っているからと言っても少し無理があるだろうと思ったが、結局は捩じ込むようにして入った。口に含まれたときよりも、はるかに圧迫感と肉につつまれているという質感にあふれる。
「は、」と苦しげな息を吐きながら根元まで埋めてしまうと、前傾してそっと手を伸ばし、頬に触れてきた。
「伏見くん、動いてください」
その声は切羽詰っていて、どこか悲しいほどだ。
多分、誰かとのセックスと重ねているであろうことが分かった。俺たちは、互いを目の前にしながらまったく違うひとを抱く。業が深いのだと思ったが、それはそれでいい。そんな風にしか、出会えない人種もいる。
繰り返すようにもう一度名前を呼ばれたので、チッと舌打ちをしながら下から突き上げる。別段、気を遣わなかった。
両手で身体を支えてやりながら内壁を抉るように腰を動かせば、普段の生真面目な顔が崩れた。
低い喘ぎ声というのが、こんなにも欲情をそそるものだとは知らなかった。
「ふしみくん、」と、もどかしそうに名前を呼ばれる。
それは、美咲が甘えながら「さるひこ、」と言うのに少し似ている。
両者の声はまったく違うのだが、その呼び方の質が似通っているのだろう。
セックスというものは、互いの恋愛意志のようなものを確認してするものなのだと、刷り込まれていた。だからこのひととのように、好きだとも何とも言われず、ただひたすら本能というものに忠実になることを意識の奥底で恐れた。
唾液で慣らしていたからか、結合部からぐちゅぐちゅと音がする。
この身体を跨ぎながら、膝を立てて腰を沈めている。必然的に開かれた白い尻をつかみ、下から揺するように性器を突き立てた。声を堪える際に少し喘ぐものの、それは派手なものではない。抱かれ慣れてないのかもしれない、と思った。
そんな男が、騎乗位になって蕩けるような目つきになっているのは、少なからず優越感めいたものをもたらした。
上体を反らしながら、もっとしてください、とねだられた。
それは欲しがるような、命令のような、そんな中途半端な言葉だ。
肌がすべらかだけど、美咲と少し違うな。などと考えながら、何度も性器を捩じ込む。こんなことをしている最中に、八田美咲という存在を思い出すのは咎のように思えた。
いつか、美咲のことを抱けたらいいのに。と思いながら、目の前で喘ぐ歳上の男を抱く。これが咎でなくて何だというのか。
「――好きなんですか、」
何を、誰を、という言葉を伏せて聞く。
別にそんなことはたいしたことじゃないからだ。
「ええ……好き、なんです」
少し苦しそうに身体を跳ねさせながら、同じように主語を省いた返事がかえってきた。
きっとこのひとはセックスというものに、然程、執着していないに違いない。ただ、これは自分の内面を探る作業のひとつなのだろう。だから、こんな俺のような中学生を気軽に誘えたのだと思った。
アンタ、一体誰が好きなんです。と聞いてみようかとしたが、同じような質問が来そうだったのでやめておいた。不毛という、一言に尽きるからだ。
「すみません、」と言われた。
「先に、いきそう、なので」
そういうことか、と思いながら「俺もです、」と言う。それから少しして、声を途切れさせながら騎乗位のまま吐精された。身体のうえでぐったりとした身体の奥へ、すべて吐き出すようにして続いて達した。
腹に精液を出されたが、他人の体液など気持ち悪いのかと思いきや、このひとのことは思わなかった。
入っていた性器をずるりと抜いたあと、飛び散った精液を指で塗り広げられた。そんなことをされても、特に嫌悪感は感じない。多分――このひとは特別だ。
二人でふたたびシャワーを浴びてから、服を着た。バスローブは縒れてしまいましたしね、と言われて少し恥じる。焦っていないつもりでも、やはり少しばかりの焦りは生じたのだろう。バスローブはくしゃくしゃになって、ベッドの端に投げられていたからだ。
制服とスーツを互いに着直して、備え付けの冷蔵庫を開ける。
「伏見くんはスポーツドリンクと水のどちらがいいですか、」
「どっちでも飲みますけど、」
そう答えると前回のようにコップにミネラルウォーターを注がれた。
さっきまで少し荒くしてしまったにも関わらず、いつもと同じような顔で「課題、しましょう」と言われた。別に数学を教えてくれだなんていうのは口実だったのに、また二人してテキストとノートを真ん中にしながら、顔をつきあわせることになった。
ノートを開いたときに、一枚のプリントが落ちた。
「八田美咲さん――、きみの彼女でしょうか」
「あ、そいつ男です」
そういえば、美咲が風邪で休んでいるので、明日でいいからプリントを届けるようにと言われていたことを思い出す。
しばらくその名前をなぞっているのが目に入ったが、どうにも居心地が悪かったので「下の名前、教えてくださいよ」と話題を変えた。
「教えていませんでしたっけ、」
そう言いながら、ノートの端に『宗像礼司』と整った字で書いた。
「れいじ、さん?」
「れいし、です」
簡単なのに読みづらいですね、と言うと苦笑された。
いつだってこのひとの笑い方は、孤独を孕んでいて悲しげなものだ。
このひとが普段抱く相手と、このひとが幸せになれればいいのにと、柄にもないことを祈る――。
それから何度か会ってセックスをしたり食事をしたが、美咲と付き合うことになった頃から、ぱったりと連絡を取らなくなった。
だから数年経ったとき、直属の上司というひとを見たときは驚いたし、少し逃げたくなった。
「お久しぶりですね、」
「――どうも、伏見です」
やる気無さげに言ってみたものの、マホガニーで出来た執務室のデスクでパズルのピースをはめながら、その男はにこやかな表情を浮かべていた。このひとはもっと切実な顔の方が似合うのに、と思い出しながら二言三言交わして書類を受け取った。
パラパラと捲った書類に、宗像礼司という名前を見つけ、ひどくなつかしい気持ちになる。
執務室から退室する際に振り返り、ひとつ質問を投げかけた。
「室長、アンタいま幸せですか?」
その答えを聞く前に、ドアを閉める。
あのころ、室長は室長ではなく、俺も部下ではなく中学生の伏見猿比古で、ただ互いの隙間を埋め合うようにしていた。
ある意味、何も考えなかった時期はしあわせというものだった。偽りの、しあわせだった。