【イザシズ】スーサイド

Hasmi/ 3月 4, 2018/ 小説

 酷暑も半ばを過ぎた頃。
 日が暮れても追ってくる残暑から逃れるように、ふと入った池袋の一角にあるコンビニの一風景であり、それは今までの臨也であれば何も気にしていなかったことだった。
 ──ただそこには、先客として静雄がいた。
 静雄はコンビニ弁当を買っていたのか、「あー、温めて下さい。」と長身を屈ませながら言っていた。その姿は普段、発揮している馬鹿力を持っている池袋最強の男のものとは思えないくらい、丁寧で謙虚だった。
 静雄は礼儀を忘れない、それはコンビニに於いても田中トムの前に於いても、いつも暴れている分を差し引いて、一歩引いて佇んでいるのだろうと思わせる態度で自分の立ち位置を確立させている。
 店員は半ば無言で弁当の上部に付いているソースを剥がし、弁当自体をレンジへ入れると秒数を設定し、その間に会計を始めた。
 静雄も店員も、それはあらかじめ決められたラインの上を歩くかのように、一定の動作からブレがない。そういえば、テレビの中の幽も身のこなしが最低限に押さえられていて綺麗だったことを思い出す。兄弟でも随分違うのにね、と思い出し笑いそうになった。
 レンジのスタートボタンを押され、ピッ、という音と共に温めのカウントダウンが始まった。
 一分三十秒。
 ──それからはただひたすらデジタルな秒数が減っていくだけだ。
 臨也は思う、人間というものは大きな砂時計なのではないのかということを。弁当を温めているのも、さらさらと落ちる砂があるように、時間をひたすら減らしてゆくことを視覚化しただけだという事実に愕然とした。
 そうだ、折原臨也という人間は死を望み、恐れ、疎み、憧れる。
 百年後には、自分は死んでいるだろうということが想像もつかない。
 それでいて自分の死体を想像するなんていうのはどういった悪趣味な行為なのかと自嘲気味に嗤った。現存する二十三歳の臨也と、想像の中でしか生きられない百二十三歳という突飛もない年齢の臨也はたゆたい、意識が流れるようにしてハッと我に返った。
 ピーッ、と一分三十秒過ぎ去ったレンジのビープ音が鳴り、意識を覚醒させる。
 棚に隠れてレジからは見えない位置にいたはずだったのだが、気を緩めている最中に見つかったのか、弁当とジュースをビニール袋に入れて片手に持った静雄が目の前に立っていた。
 見上げながら、臨也が片手を挙げて「やあ、奇遇だね。」と挨拶をすると、静雄がこめかみに青筋を立てて凝視する。
 「──やあ、じゃねえだろ。なんで手前が池袋にいるのか聞く前に……殴るとするか。」
 殴りかかってきた静雄の拳を軽やかなバックステップで避けると、臨也は嗤いながらコンビニのドアをすり抜けて外へ出た。
 ──暗い。
 とっくに陽は沈み、尖った三日月が浮いているのが厭でも眼に入る。
 真夏の熱帯夜の名残か、残暑の夜は厳しい暑さだというのに、静雄は弟からもらったというバーテン服を拘束着のように暑苦しく着込んだままだ。寝るとき以外は着ているんじゃないかというくらい、その服は弟である幽からの執着のように臨也の眼に映った。
 臨也が路地裏へ駆け込むと、静雄も追って細い路地へと入り込む。
 多分、静雄が持っているビニール袋の中にある弁当の中身は、もう既にぐちゃぐちゃになってしまったのだろうと一瞬だけ思いを馳せると、袋を振り回しながら追い回す姿を後方に確認した。走る速度を上げ、真っ直ぐ走ってそれから突き当りを右へ行き、そしてビルの非常階段を駆け上がるとビル同士の谷間をジャンプして渡りながら逃走する。静雄はそんな臨也の姿を追いながら、ビルの下を全力で走っているのが見えた。
 平和島静雄という名の強靭な肉体を持ちながらにしても無慈悲な時の流れには逆らえないのだという事実、それはとても残酷でありながら幼子でも分かることであり──誰しもが常日頃は忘れていることだった。
 「臨也くんよお、よそ見してるんじゃねえよ。」
 一頻りビルの谷間を走り渡っていたが、その声に引き戻されると目の前に静雄がいた。大方、先回りをして健脚で以って階段を走り上ってきたのであろう、ビルの上で二人して顔尾を付き合わせている状態に臨也は気付き、舌打ちをしてみせると「やだなぁ見逃してよ、シズちゃーん。」と嗤いながら言った。
 表向きの嗤いではなく、そこはかとなく奥底から湧き上がるそれを抑え込むことが出来ない臨也は、自分の死についてばかり考えてやまない。
 また、隣のビルにジャンプしてもいいのだが、折角、追い詰めてきた静雄の方を向いてナイフを隠しポケットから取り出すと、ニィッと口を釣り上げて「ね、見逃してってば。」と言いながらその胸を切り裂いた。バーテン服を掠ったその刃の切っ先は尖っていて、余りにも夜のネオンを綺麗に反射するのでプリズムのように臨也と静雄のあいだを照らした。
 「今度こそは殺す殺す殺す殺す、いますぐこの場でぶっ殺す。」
 ブツブツと繰り返して睨みつけてくる静雄に対し、臨也は余裕綽々といった感じの笑みを崩さない。
 「殺すとか何とかそんなことよりさ、いつでも逃げられるのに何で俺がここで逃げないのか……解んないかなあ。」
 「は? ──そんなこと知ったことかよ」
 俺はね、と臨也が後退しながら言った。
 「俺は、いつだって自分の死を渇望しているんだ。おかしいだろ、こんなにも忌み嫌うべき死という現象を愛して愛して欲して止まない、そう、今言った“渇望”という言葉が何ともしっくり当てはまるくらいには待ち焦がれている。」
 後ずさり、後ずさり、数歩下がったところでビルの屋上の縁まで来ると、十数階下を眺めながめて子供のような笑みを浮かべながら「でもさ、願っても結局死なないのは何でだろうっていつも考える。だから──いま、シズちゃんの目の前で死んで見せようか。飽きちゃったんだよ、生きるということに。死に怯えるのも、望むのも、全部全部疲れた。」と言い放った。
 それは本当に他愛もない日常の一コマのようでありながら、非日常の境目をうろついている言葉だった。夏日にゆらめく陽炎みたいに、その死と言うものはゆらゆらと揺れつつやさしく臨也を包み込む。
 この屋上へ人が上がることは少ないのか、臨也の立っている場所にはフェンスがなく、足を踏み外せばすぐそこに落下という現象が待ち受けていた。
 ビルの屋上から、足を踏み外す。
 スロウモーションの間に走馬灯を見ながら落下する。
 着地するまでもなく、ぐしゃりと肉塊が潰れる。
 その三段階を経て、臨也は死を迎えるのだ。迎えるというよりは、得るといった方が正しいのかもしれない。
 ぐらり、と臨也の視界が揺れた──それを合図に、まるで黒い旗がひるがえるかのように半回転してビルの屋上のへりを、軽く蹴る。パルクールで隣のビルへと移るときとは違う、落下を目的とした一歩だった。
 だが次の瞬間、ガクッとした衝撃が手首へと走り、それは軽い痛覚をともなって右手に伝わった。
 まさにビルの壁から宙ぶらりんといった格好になった臨也の手首を掴んでいるのは、まぎれもない静雄だった。死ぬなと言いたいのか、それとも手前を殺すのは俺だとでも言いたいのか、より切れる糸みたいに手を繋いでいるのはどことなく思春期を過ごした学生時代を思い出させる。
 「ハハッ、何してんだか。聞かなかった? 俺、生きるのに疲れたって。お願いだから離してってば。」
 いくら揶揄いながら言ってみせても、静雄は「黙れ、」とも何と言うこともなく、臨也を掴んで数回反動をつけると、一気に引き上げ、傷一つない臨也を見ては、まるで泣くのをこらえる寸前のように肩を竦めてサングラスの奥にある瞳を潤ませていた。
 それを見透かした上で、臨也は静雄に近づくとジャケットを広げて見せて、大声で嗤いながら喋った。
 「はい、シズちゃんのせいで無事に生還ー。何? もしかして、俺が死ぬって考えたら怖くなったの。ついさっきまで、あれほど殺す殺す言ってた人間がねえ。」
 「──うるせえ、黙れ。」
 単純な考えどおりに動く目の前の男のことを、臨也は嫌いではない。嫌いかと問われればそう答えるが、心底嫌いかと言われるとそうでもないと言うと思った。
 静雄の手のひらが、少し汗ばんで湿っていたのは酷暑の夜だからだけではないのだろう。
 頭を抱え、しゃがみこんでいる静雄の背後から手を回し、後ろから抱きしめると「俺、シズちゃんに殺される以外に死なないから安心してよ」と囁いた。
 「俺が死にそうになるたび、シズちゃんが来てくれるなら何度死んでもいいなあ。」
 それを聞いて静雄は、じゃあ何度でも勝手に死にやがれとか、そこらで野垂れ死ねとか思ったが、結局臨也に対しての感情が煮詰まったままだということを考えた。
 好きなわけがない。
 嫌いに決まっている。
 どっちも違う──この中途半端な付き合いを、そんな簡単な感情に二分できる訳がない。
 背後から抱き締められている静雄は、そっとサングラスの下で一筋の涙を流したが、それは臨也が見ることはなかったし静雄自身も心底嫌いな男のせいでなぜ自分が泣くのかまったくもって分からないと思った。
 うだるような酷暑の夜は、誰も彼もが狂うのだと思って臨也は感情を隠すかのように自分よりも体躯のいいバーテン服を着た背中を抱き締めて「甘いんだよ、」と呟いた。その声は空気に溶けてゆき、コールタールのように夜に紛れて消えていった。

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