【イザシズ】彼の家まで、あと5分

Hasmi/ 3月 4, 2018/ 小説

 新宿に帰る際に、臨也はわざと遠回りして静雄の部屋の前を通る。
 情報屋であるからしてその部屋の場所を知ることくらいは容易いことで、臨也は非合法と合法の狭間にあるような方法をとってその位置を知ったのだ。
 一人、フードを被ってポケットに手を突っ込み、夜道を歩く。息はかすかに白くなり、冬の到来を告げていた。静雄の職業は点々としていたが、いまは田中トムのところで取り立て屋などをやってしばらく経つ。──いや、静雄にとっては奇跡的なほど長続きしていた。
 そんな彼が仕事を終えるであろう頃を狙って、臨也は部屋の前を通る。大体の頃を見計らって部屋の前で待っていてもいいが、どうせ大人しくなかに入れることなんてないだろうことを知っているから、ただ、前を通るだけだ。
 それでも、彼がちゃんと寝食しているのかと思わないことがないと言ったならば嘘になる。
 だからコンビニの袋いっぱいにサラダとパンを詰め込んで、部屋のノブへ掛けていこうかと思うのだ。ただ、それは思うだけで、臨也はいつも食材が詰まったコンビニのビニール袋を、自宅マンションへ持って帰る。その関係が不毛であると知っているのは誰もいなく、当の臨也は日常のルーティンと化していた。
 会えば、「さっさと死んでよ」だの「消えろノミ蟲」だのと言いつつ言われつつしている間柄だが、本当に相手が嫌いなのかと問われれば、臨也は満面の作り物めいた笑みで「シズちゃん? うん、好きかも知れないけど、いつもは大ッ嫌いだよ。」と答えるだろう。──だから、相手同士が殺しあうのが理想な訳であって、どこかの他人に先を越されて殺されてはたまらないということだ。
 片恋をしている男の部屋を見る少女でもあるように、臨也は電柱の死角から静雄の部屋の窓を見る。
 しばらく眺めていると、反対の方向から静雄がいつものバーテン服で歩いて来て、足音を響かせながら道を歩き、普段、臨也がされている仕打ちとは打って変わって静かにドアを開け閉めした。
 それを更に見ていると、パッと電気がともる。
 (あ、シズちゃん。遅いよねえ、いっつも。仕事の効率悪いんじゃないの。)
 臨也は一人ごちながら、ポケットに突っ込んだ片手と、もう片方の手に持ったビニール袋の中身に思いを馳せた。これを持って行ったら、部屋に上げてくれるだろうかとか、でもそんなのシズちゃんぽくないなあとか、その他諸々だ。
 コンビニと静雄の家のあいだは五分ほどだろうか。なのに、静雄はコンビニの袋を提げていることはほとんどない。田中トムが奢ったり、サイモンが値引きしてまで食わせたりしているからだろう。と、そこまで考えて、臨也は自分がコンビニのビニール袋を提げていることがおかしく思えてしょうがなかった。
 シズちゃんの馬鹿なところは好きだけど──他は好きじゃないのにね。
 そんなことを思いつつも、静雄が女連れでないことに対して臨也はホッとする。女にまったく興味がないと言っていいほどの男が女連れでいたら、臨也は逆上してナイフで刺すだろう──勿論、静雄の方を刺すに違いない。女を刺してどうする、面白くも何ともないし、興奮もしない。
 冬の始まる季節の風が吹き、深夜もいいところになった頃、窓がガラリと開いて静雄が顔を出した。もちろん、電柱の陰から臨也が見ているなどとは知らない。煙草を吸うために開けたのだ。サングラスを外し、シャワーを浴びた後なのか色素が抜けた髪、首周りにタオルを垂らして疲れたように煙草を吸う。
 臨也はこのときの、静雄の顔が好きだ。嫌いだ嫌いだと言いながらも、静雄のことは性的な欲求の名の下に好きだったし、静雄の見せる翳った表情がたまらなく好きだった。
 五分ほどだったろうか、静雄が窓から顔を出して煙草を吸っていた時間は短くも長くも感じられ、また元通りにピシャリと窓が閉じられた瞬間、臨也は持っているビニール袋の重さを再確認した。
 「俺も、何してんだろうね。」と言ってみたものの、静雄の顔が見たかったということは紛れも無い事実だったうえ、一週間のうちに二回はこのようなことをしているのを、自らを、愚かだと思った。
 ──帰り道、静雄の部屋から、きっかり五分ほど歩いたところに行きがけに買い物をしたコンビニがある。臨也は買ったパンとサラダの山を、コンビニの入り口横にあったゴミ箱に押し込んで、タクシーを呼び寄せて新宿まで帰った。
 不毛であるならば、とことん不毛でいい。分かってくれとも言わない。
 好きであるとも、嫌いだとも言っているし、静雄がその言葉に振り回されればいいと思っていた。
 ゴミ箱に捩じ込まれたパンとサラダの詰まった破れそうなビニール袋は──どこか臨也の感情に似ている。

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