【シェオブ】ハイド・アンド・シーク

Hasmi/ 3月 4, 2018/ 小説

ゼミが終わっても部屋に残っていた彼に背後から近づき、僕は首にかけていた
臙脂色のタイをほどいた。
シュルッという微かな布の掠る音が聞こえたが、彼はそれに気づかずレポートに没頭し続ける。
夕暮れの陽は昏く、どろりとした色を空に浮かべていた。
一歩、また一歩と近づいて僕はタイの端と端を片手ずつ持ち、首を絞められるくらいの直線をつくった。たわむことのない完璧な直線は彼を視界の中で二断する。
音を立てないように近づき、僕はその男の背中の前で立ち止まった。
クセなのか外側にはねている後ろ毛が柔らかい曲線を描く。
柔らかい髪の感触を思い出して僕は何ともいえない気持ちになった、好きとか嫌いとかのレヴェルを通り越してそれはいつでも彼の後ろに見え隠れする翳りだ。
無理に笑ってるわけではないのにどこか負荷のかかった笑顔をする彼は、いつでも重力に押しつぶされそうに見える。

あぁ、そんなことを考えてる時間はない。
さあ絞めよう。
執行計画、続行。

直線をつくったタイを、背後からそのまま彼の眼前に置き、一気に絞めた。
彼が僕を見ないように、これ以上醜い僕に彼が感染しないようにそっとタイを両目の位置で絞める。
これで彼の視界は奪えた。
とくに何がしたかった訳じゃない、本当に、ただ彼が僕を見なかったら『サーフ・シェフィールド』という記号を失うだろうかと思っただけだ。
僕は、僕自身がサーフ・シェフィールドである必要性をなにも感じない。
ただ、それでもいつしかこの男に必要とされるようになったから存在意義を感じている。誰かに必要とされることで自己の確認をすることしか出来ないけれども、彼は確かにこの存在を必要としてくれているのだ。
何もないゼロとリミットぎりぎりの存在。
僕にとって自分はゼロで、彼にとっての僕はリミットだ。
きっとリミッターがふっ切れる瞬間、(それはいつか分からないけれど)その時が来たら僕らはきっと分かり合える気がする。真逆な僕らが、ね。
あぁ、最近彼がアイスマンと異称を持つのが分かった気がする。
彼はただのアイスというよりも、ドライアイスなのだ。
低温のくせに、触り続けると火傷をするような感触を与えるドライアイスそのものではないか。おかげで僕の皮膚は凍傷で爛れてしまった。それはもう決定的なほどに。僕は凍りつき、爛れ、彼は加害者なのに綺麗な身体のままだ。

「サーフ?」と問いかける声がした。
視界を奪っても何故僕だと分かる。
「サーフなんだろ、何してんだよお前」
口を噤んだまま、背後から彼に抱きつく。そっと、この狂気と恋情と僕には必要ないと思っていた悲しみという感情が彼に伝わらないように、そっと、そっと。
背中から感情が染み渡らないように抱きついたそれは、冬の匂いがした。
「サーフ、おい」
「嫌いだ、」
君なんか嫌いだ、こんな訳の分からない感情を植えつけてそしらぬ顔をして、そして僕にしか見せない陽だまりで雪が融けるような笑顔を見せる君なんか大嫌いだ。
「嫌いとかいきなり何言ってんだよ、これ外せって」
ペンを止め、両手でゆるゆるとタイを外し、彼は後ろを向いた。
それはスロウに、ものすごくスロウモーションに感じ、僕はヒートに見られたいのか今の顔を見られたくないのか分からなくなった。
振り向いたそこには、きっと醜い僕が水晶体に映るから。
「やっぱサーフじゃねえかよ」
笑った。
彼は僕を見て、母親の存在を確認して安心した子供のように無邪気に笑った。
「ハイド・アンド・シークの真似か?俺が鬼役でかくれんぼか、もうちょっとで終わるからそこに座って待ってろよ」
納得がいかない僕は椅子を蹴った。
「何で僕だって分かったんだい、まぁ行動で分かったのかもしれないけどね」
照れるような、考え込むような顔を見せたヒートは俯きながら口を開いた。
「空気だよ、お前の空気」
「体臭って意味かい?」
「お前ほとんどないだろ。なんだろうな、お前が運んでくる空気がすると感覚で分かる。あぁ、サーフだなって。なんて言うか特別なんだよ、取って食われそうな気配が」
まぁ、そんなのがすんだよ。動物じゃないから喰われることもないだろうけど、と困ったように笑ったヒートは僕の手の上に一回り大きい手のひらを重ねてくる。
何かを喰いたがってるのは君なんじゃないのかい、と言った言葉を飲み込み、手を彼の肩から外した。

結局、僕達は飢えていて、お互いを貪りたいとおもっているのだろう。
他にも食べ物はあるのに、病的なくらい偏食な僕らはお互いを喰うことしか考えられない。
そうだろ、ヒート。

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