【乱寂】世界の果てに棄ててこようか

Hasmi/ 8月 6, 2018/ 小説

 誰にもいっていない、ちょっとした癖がある。それは廃ビルやセキュリティのあまいビルにはいりこんで、屋上からあたりを見回すことだ。まだひとにいったことがないそれは僕の秘密のひとつでもあったが、五月のなかばになった頃でちょうど季節もよかったこともある、僕はそれをひとりの男に打ち明けようとしていたのだ。「もしもし、寂雷? うん、そう、僕、ひさしぶりーっていっても一ヶ月ぶりくらい? あはっ、いまさあシンジュクとシブヤのあいだにある千駄ヶ谷四丁目付近にいるんだけど、そこまで来てくれない。分かるでしょ、交差点の近く、まあまあ、きたら分かるからさあ、じゃあねー!」そこまで一気にいって通話を切った。シンジュクディビジョンとシブヤディビジョンのあいだに位置しているとはいえ、千駄ヶ谷四丁目はシブヤのものだ。果たして来てくれるかなあなどとおもいながらも、寂雷はきっと来るのだろうという自信が僕にはあった。あの男はなんでも興味のひかれたものに首を突っ込むからだ。しばらくしているとラインでひとことポンッと送られてきて、「地図を送ってくれないかな」と書いてあるのをみてにやけてしまった。この男は来るのだろう。地図アプリをスクショした画像を添付してやると、またしばらくしてから「ありがとう」と返ってきた。それにしても五月の風というものはきもちがいい、日本の四季は季節によって体感が違うが、匂いまで違うのはおもしろいとおもっていた。五月はどこからともなく花の馨りがすると僕はおもっている。甘い馨りのそれは、人工甘味料のロリポップを咥えている僕と相まっておかしな匂いになっている。「まーだっかなー、」といいながら国立能楽堂の前をのぞいたり、古めかしい郵便局の前を何度も何度も通ったりした。そんなことをかんがえつつ時間を潰して待っていると、着信があって「国立能楽堂の信号前にいるよ、飴村くんはどこだい」と問いかけられる。「待ってて、いまいくから」とだけ返事をして切り、僕は一直線に駆けだす。一目で分かる身長の男が、信号の前に立っている。一ヶ月ぶりにみる寂雷は変わりなく、辛気臭い顔をしてこちらを視認すると軽く手をあげた。くちのなかのロリポップは今日は定番のストロベリー味で、僕はそんな気分になりながらそれをくちから抜いて「じゃっくらーい!」と声を張り上げる。まるで恋人同士だった頃となんら変わらないような、そんな気分をおもいだしてしまう。寂雷の前まで駆け寄ると、「今日は一体なんなんだい」ときかれたので、「気分がいいから、僕の秘密をひとつおしえてあげようかなーっておもって」そういうと興味をひかれたのか、「そう、」とたのしげにいわれた。こういうところは単純でかわいらしい男なのだとおもってしまう、僕よりも四十センチも身長差があるけれども。今日の寂雷はさすがに五月のオフ日だからか黒い七部袖のタートルネックに、おなじく黒のストレッチデニム姿だった。僕と付き合ってた頃の方がセンスよかったのになあとおもいながら、「来て、」といってふたたびロリポップを咥えて手をつないで歩く。しばらく歩いたところにあるビルの前に来る、そこは二年前まで金融会社がはいっていたものの潰れてからそのままになっている廃ビルだ。外側は汚されたりしていないが、立ち入り禁止と書かれた紙がベタベタとたくさん貼ってある。「飴村くん、ここは――」「潰れた会社みたい」そういいながらかつて自動ドアだったガラス戸をおもいきり横に引いて開け、するりとなかにはいりこむ。先にはいった僕をみて、寂雷がすこし戸惑うようにドアの前にいたので「来る? 来ない? 僕は何度か来てるけど平気だよ」という。「これでは不法侵入に――」「そ、不法侵入だよ。世の中に廃墟写真集とか出回ってるけど、あれも大体不法侵入。ってことで、僕が心配ならはいってこない?」「はあ、きみという子は、」「なにかいった、」「なんでもないよ、私もはいるっていっただけだから」そういって、寂雷と僕は暗くなった廃ビルのなかを歩いた。「手、つながないと転ぶから危ないよ」というと、そっと手をつながれる。じわりと生きているものの体温がつたわってくる。埃っぽいフロアに倒れたデスクに書類の束、とっくに壊れたデスクトップパソコンに投げ出されたキーボード、棚に並んでいるものと床に落ちている分厚いファイル類――そんなものを横目にしながら、(エレベーターは機能していないとおもうので)僕は階段を目指した。階段は右奥にあって、それを手をつなぎながらのぼってゆく。寂雷の手はサラッとしていて、五月の陽気だというのに汗ひとつかいていないものだ。「手、つめたい」というと、「ごめんね、」となぜか謝られる。心底そういったふうに悪いとおもっていないのに、場を繕うために謝るのはどうなのだろうか。「階段にも書類とか落ちてるから転ばないように気をつけて、」というと、分かったという言葉が返ってきた。僕は寂雷の手をひいて、階段を一歩一歩踏みしめるかのように先をゆく。「結構上に高いのかな」といわれたので「たしか七階で最後、」と返す。埃が舞って、窓からのひかりできらめいているのが目にはいった。それに魅入られたようにジッとみているのに気付いて、「先、いくよ?」というと「ああ、いまいくから」と返事があった。二階から三階、三階から四階、五階から先は白いブラインドがしまっていてどうにも更に薄暗さを増していた。足下気をつけてよね、そういってやるとつないでいる手にギュッとちからが込められる。「上になにがあるんだい、」「内緒、」「きみは秘密がおおいね」「そーでもないよ。はい、とうちゃーくっ!」そういいながら七階の屋上につながるドアをギイギイいわせながら開けると、パッと視界がひらけてところどころ苔が生えているコンクリートの床がみえた――ここがビル最上階の屋上だ。給水塔やエアコンの室外機が置いてあるが、もちろんそれらはとっくに機能していない。「ここ、死んでるみたいで好きなんだ。誰も彼もがぜーんぶ死に絶えてるみたいじゃない?」僕がたのしげにはなすのに対し、寂雷はしずかに耳を傾けている。ギイギイ、と壊れた鉄柵が鳴いているような音を立てている。「世界の果てみたいでしょ、」「ここに私を連れてきて、どうしたかったんだい」「さあ、よく分かんない。そんなものじゃない、その日の気分なんて」そういいながらちいさく溶けたロリポップの残りを噛み砕いて、くちのなかに置き去りにされた白いプラスティックの棒をコンクリート床に落とした。それは僕のくちになかにはいっていた事実なんてなかったかのように、ただ転がってたんなる白い棒になる。それをみて叱るように「飴村くん、」というものの、「だーってゴミ箱に捨てろっていいたげだけど、ここ全体ゴミみたいなものじゃないの」と返すと、どう返事をしていいのか困ったあげくに「それでも駄目だよ」と眉を顰めていわれた。手を広げてコンクリート床の屋上をタタタッと走り回る、それは僕を更にこどもにみせるし、そんなこと分かっていてやっている。寂雷は給水塔に寄りかかって立ってこちらを眺めている、大人ぶって(というか僕らはとっくの昔に大人なのだけれど)いるなあとおもいながら、僕は「寂雷も走ってみれば、」といいはなつ。「そんなことしないよ、」「えー、なんでたのしいよ?」「しません、」「つまんないの」くちに出していってしまうと本当におもしろくないようにおもえて、僕は減速して寂雷の隣に立った。僕の背後は給水塔のはしごで、それに興味をしめしていると「のぼったらあぶないよ、」といわれたので「そんなことしないよ、」と答える。まるで先を越されたようでいらついたものの、寂雷は僕がしそうなことを先回りするのがうまいなと感心さえしてしまう。
「あのね、ひとがひとをすきだったこころって死ぬとおもう?」
「こころが死ぬ、とはおもいを喪失するという意味かな、」
「――そう、このビルみたいに朽ち果てて誰にも忘れ去られるっていうか、死ぬってそんなことじゃない」
「死んでもひとはひとのなかに残れるよ。だからきみの問いにはイエスともノーともいえる。どれほどつよくおもうか、じゃないかと私はおもっているのだけれど。喩えば、私が飴村くんを――」
「最後までいうなよ、調子に乗るなジジイ。おまえが俺を捨てたんだろ、それを忘れるな」
「そう、だね……ごめんね、あめむらくん」
「あはっ、簡単に謝っちゃうなんて寂雷ってつまんなーい! 僕が怖い? それとも、そこさえもまた興味深いっていうのかなあ?」そういいながらうつむいて表情が隠れている寂雷の髪の毛を掻き分け、「どうなんだよ、」とふたたび声を低くしてきいてやると「すくなくとも私は本気だったよ」と鬱屈としながらいわれる。つまりいまはそんなこころは死に絶えたといいたいのだろう。つまらない。まったくもってつまらない。「過去形じゃん。すくなくとも、って僕は遊びだったみたいないいようだね。押しつけってよくないとおもいまーす、」五月の陽気がふたりでいった新宿御苑のバラ園を思い起こさせてしまう。この空気は厭だ。やめてくれ。背中に当たっているはしごが痛い、背骨が折れて死んでしまいそうなほどに痛くなってきている。「ロリポップ食べ終わっちゃったから、くち、さみしい」といいながら正面から髪を引っ張ってやると鈍い寂雷でも意味が分かったのだろう、そっと顔を近づけてすこしかさついた口唇を押しつけられた。そのくちびるのあいだに舌をぬるりと挿しいれると若干かまえるのが分かっておもしろい、逃れられないように髪を引いたままキスを繰り返す。べろっと口蓋を舐め上げると呻く声がきこえた。「う、」というので、僕は更に調子に乗って舌先を甘噛みしたり舌を絡めたりする。目蓋を閉じてキスを繰り返すと、燦々と降り注ぐ暖かな太陽光が感じられていつもよりきもちいい。これ、周りのマンションからみえたりしてるのかなあなどとかんがえるとたのしくて、おもわず何度も呻き声をああげさせたりする。くちを離してから「寂雷がエロいから勃ったんだけど、」というと「そう、」と答えらえる。「他にいうことないの、」「――まるで獣だね、」「ハッ、そんなこといってるきみもガッチガチのくせに、ねえ、寂雷センセー」そういいながらストレッチデニムの生地越しに上下に撫でると「やめなさい、」とたしなめられた。しかし僕はそれが本心ではないことをしっている。「ねえ、ここに来る途中にラブホみつけたんだけどいかない、」「それは飴村くんのお誘いかな」「ちがうよ? お誘いもなにもラブホに僕と寂雷がいくことは決定事項なんだけど、まあ、一応きまぐれできいてみただけ」そんなことをいいながら、錆びた鉄柵の前にいってギイギイと鳴るそれに触れながら地上を見下ろした。「あのさあ、僕、ここから落ちていい?」「飴村くん、」「嘘に決まってるじゃん、そんな無駄なことしないから安心してよ」ちょっとだけ本心だけど――僕が目の前で死んだならばおまえは僕の幻影を追って生きることになるのだろうか、そんなことをおもわず夢想してしまう。「それよりもさー、早くラブホいこうよじゃくらーい」「きみの言葉はデリカシーというものをもちあわせていないのかな、」「抱いてほしいくせに」「だから、それだよ」「じゃあおとなしくするから早くいこ? いま寂雷とえっちなことしたい気分だから」そんなことをいいながら、僕らは屋上を後にする。またね、バイバイ、小声でいいながら屋上につながるドアノブを回して閉めた。しばらくこの世界の果てに来ることはないのだろうけれど、真の世界の果てはどこにあるのだろう。分かっている、そう、分かっている。それが寂雷のなかにあるであろうことは確信しているのだけれど、僕はまだこどもの気分でいたいからそれをたしかめることが出来ずにいるのだ。
 
 廃ビルの階段を下りる際にすっかり埃っぽくなった僕は早くシャワーを浴びたくてしかたない。途中で寂雷が転びかけたりしたけれど、誰かと鉢合う(廃墟には住み着くやつもいるらしい)こともなく、無事にすこし開いたもう二度と自動では動かない自動ドアの隙間からまた出られた。廃墟などに遇するたびに、まるで文明の滅びた後にひとり取り残されたような、そんなきもちになってしまう。でも今日は寂雷がいたから、まだマシかなあとおもいながらも、いがみ合う相手と最後に残されるのはどんな感情をもつのだろうなどとSFめいたことまでおもってしまう。SFもいいところだ、そんなの。「飴村くん、どこへいくんだい」「何度もラブホっていってるのにきいてないの?」「いや、その、私たちはもう付き合っていないのだから、そういうところへは――」「いいからいくよ、」そんなことを騒ぎ立てながら、僕らはラブホへ向かう。もう付き合っていないのだから、といわれた言葉を胸に刺しながらジクジクと痛むそれをかかえて歩く。なんでおまえはそこまで残酷になれるのだろう、ずるい、ずるいとしか感じられない。一度壊れたもののきもちが分かるのだろうか、いやきっと分からないのだろう。おまえになんて出会わなければよかったね、寂雷。五月の陽気はうららかとでもいうべき空気を孕んでいて、僕はそれにさえもおもいでというものを甦させられておかしくなる。むりやり呼び起こされるそれは瑕まみれでひどいものだ、瑕のついていない場所をさがすのがむずかしいほどのもので僕らはそれをかかえて生きてゆくことしか出来ない。これは罪咎だ、僕らの罪と咎なのだ。「ねえ、寂雷、さっきの場所どうおもった?」「ビル、のことかな。ああいった場所に勝手にはいるのはよいとおもわないけれど、不思議なところだったね、きみが世界の果てというのが分かる気がするよ」「やーっぱりそうでしょ? 僕は二年くらい前にあそこをみつけてから、今日まで内緒にしてたんだけどなんとなく寂雷におしえておこうとおもって」「おや、それはどうもありがとう。飴村くんは私に内緒にしていることがきっとたくさんあるね、かかえきれなくて潰れてしまわないようにしないとだめだよ」「潰れる? 僕が? あっは、寂雷ったら冗談きっつーい、そんなことあるわけないじゃん。そんなこと、ゆるされないんだよ」ロリポップがポケットにはいっていたけれど、僕はそれを出すこともせずに親指の爪を噛んだ。結構みじかめに切りそろえてあるそれをガジガジと噛むと、こころの荒れが治る気がして余計にその行為をつづけた。「飴村くん、爪、」「あーもう分かったってば、止めればいいんでしょ」そういいながら、僕らは手をつないだまま千駄ヶ谷付近を歩き回る。この地域はアパレル関係のデザイナーやバイヤーの事務所が建ち並んでいるところで、仕事柄よく通りがかるところだった。そんなところにぽつんとラブホが建っているのはどういった意図なのだろうか。鳩森八幡神社を越えてしばらくゆくと、本当にそこにあるのだ、質素なラブホが。「さっさとはいろ、」「あ、めむらくん、だから私たちは――」「付き合ってないとセックスしちゃいけないの? いままでだってしてきてるし、これからもするんだからラブホにはいるくらいべつにたいしたことじゃないよ」入り口が生け垣と壁で隠された、いかにもすこし昔のラブホテルでございますといった外観のそこに寂雷を押し込める。ラヴ、なんて都合よく生まれて消えていったものを悼むような言葉でしかない。
 入り口のホールには部屋のなかが分かるようなパネルが並んでいて、僕はそれのなかでも一番広そうな部屋の番号を押して出てきたカードキーを受け取る。寂雷はそのあいだ、終始、黙り込んでいてどうせこれから僕に犯されて声をあげるくせになどとおもってしまう――そう無駄なんだよ、おまえのしていることはすべてが虚無に過ぎない。「僕とするの怖いの、」「……一ヶ月ぶりくらいかな、」「そうだよ、一ヶ月ぶり。遠くもないし近くもない期間でちょうどいいんじゃない?」「私か飴村くんの家でよかったのになぜこんな、」「だからぁ、こういったことだって分からないかな、」そういいながらエレベーターを待つあいだに寂雷の長い髪を引っ張り、僕もおもいきり背伸びをしてキスをする。そして、「熱が冷めちゃうでしょ、」といって喜色満面といったように笑ってみせると、「きみのそういうところは苦手だよ」といわれた。偶然だね僕もおまえのそういうところ苦手、とでも返せば満足だっただろうか。どういえばおまえに足りるアンサーが返せるのか、いまはもう分からない。エレベーターはちいさめで、寂雷の身長が高いからかやけに狭く感じた。五月となればもう暑い日もあるからだろう、すべてのフロアとエレベーター内にエアコンが効いている。汗ばんでいた皮膚が徐々につめたくなってゆくのを感じながら、僕らはエレベーターに乗り込んで三階で降りた。指定した301号室は角部屋で、途中で清掃員のひととすれ違いながら廊下の先までゆく。窓からまばゆいひかりが射し込んでいて、僕はおもわず目を細める。そんなことをしていると301号室の前まで来たのでカードキーで以てドアを開け、「寂雷、先はいっていいよ」といいながら僕らはその密室へ望んで閉じ込められた。そして僕はしみじみおもうのだ、あの屋上でもなく、僕の部屋でもなく、ましてや寂雷の部屋でもなく――世界の果てというのはどこにでもあるのだなと。
 僕らは301号室へはいった瞬間(そう、まさに瞬間だ)、ふたりのあいだのスイッチが切り替わるのを感じる。寂雷がなにかに縋るような声音で「飴村くん、」といいながら僕に身長を合わせてキスをねだってくる、それに口唇を擦り合わせて僕らはやっと飴村乱数と神宮寺寂雷になれるのだ。それはエアコンの涼やかな風に吹かれていて、まるでいまの僕らの関係のように冷えきったキスだった。靴も脱がずに僕らは部屋のいりぐちでたがいの口腔内を貪る。舌を絡め、甘噛みし、そして舐め合う。唾液が混じり合っており、それを飲み込むとまるで寂雷を飲んだかのようなおかしな錯覚におそわれた。「あめむらくん、」ともう一度甘えるような声色で寂雷が僕を呼ぶのは悪くないし、いつだってそんな発情したような声を出していればいいのにとおもってしまう、そうしたら誰が誰のものなのかはっきりするだろう。「寂雷、『まるで獣だね』っていったのどこの誰だったっけ? あっは、いまのきみ、おおきな犬みたーい」くちを離してそう茶化しながら靴を脱ぐと、寂雷が口許を手の甲で拭うという似合わないしぐさをしつつおなじように靴を脱ぐのがみえた。たしかバッグのなかに使い切りのローションがあったかな、とおもいながら「シャワー、どっちが先に浴びる? それとも一緒がいい?」ときくと、「一緒に浴びようか、」と答えられる。悪くない、今日の寂雷は僕を怒らせることなく昂ぶらせて来る。洗面所のところに置かれた脱衣かごにはいったパジャマとタオルを確認して、僕らはのろのろと服を脱ぎはじめる。浴室のプラスティックで出来たパーテーションを開けて、先にはいってシャワーを出しておく。ぬるま湯がサアサアと音を立てて流れ、僕らは一気に湿度の高い空間へと変換された浴室内に放り込まれたようになってしまう。寂雷が後からはいってきてパーテーションをパタッと後ろ手に閉じると、301号室という密室のなかに更にちいさな密室がつくられた。洗面所に置かれていたアメニティのヘアゴムで寂雷は髪の毛を緩くまとめあげている。うなじに沿ってほんのわずかな後れ毛がみえた。「寂雷、なんか今日機嫌いい?」「そう、きみの秘密をひとつしってしまったからじゃないかな」僕の秘密というものはそんなに価値があるものなのだろうか、いや、この男にもいえないことは多々とあるけれどあのビルはたしかにひとつのそれだった。スポンジを手に取らずに、てのひらに直接ボディソープをプッシュして出して泡立てる。それを自分の身体と寂雷にすべらせてから身体を擦り合わせると、まったく摩擦が起きないかのようにヌルヌルとぬめってきもちがいい。「この前、オネーさんがやってくれたんだけどこうするときもちいいんだね」というと、寂雷があからさまに眉根を顰めるのが分かった。「飴村くん、」と、こどもを叱るときの大人のような声音で僕を呼ぶ。まあ、ここにはこどもなんておらずに大人ふたりしかいないのだけれど。誰と寝るよりもおまえの添い寝が一番熟睡出来たなんて事実、僕には地獄で生きることの証にしかならない。「嫉妬した? ねえねえ、した?」と揶揄うようにいえば、「そんなことをいわれても、もう私ときみは別れているのだから嫉妬する資格なんてないんだ」とくやしそうに返す。すればいいのに。嫉妬。みにくく嫉妬してみせて、執着してみせて、そして僕に溺れてみせてほしいのにもう無理なのはいままでのおまえとの経験からしっている。それならばただの莫迦な男として、おまえに対する姿勢を整えよう。「かんがえるのやめようよ、」と僕がへらへらと笑ってみせると、寂雷はなにかに負けたような顔をしながら「――そうだね、飴村くん」というのだった。狭い浴室内で僕とおまえは密着して、たがいの身体の輪郭線をたしかめるように皮膚と皮膚を擦ったりすべらせたりしてみせた。仕上げにシャワーのぬるま湯で泡を洗い流してできあがりだ、愚かな僕らはどんどんあたまが悪くなってゆく。僕の手からシャワーヘッドを取り上げたかとおもうと、寂雷が上からサアサアと肩や胸を流してくれた。「ありがと、」というと「どういたしまして、」とやわらかく笑みながらやさしい声で答えられる。この男がひとたらしなのは生まれたときから決まっていたのだろうとおもわせるそれがあるからいけない、などと寂雷に責任転嫁したくなるくらい僕はその大人っぽい低音が嫌いではない。寂雷のことはもう嫌いだけれど、声や容姿までが嫌いかと問われたらどうだろうと頸をかしげるしかないだろう――くやしいけれどそれは事実なのだからしかたない。「流しおわったよ、」といわれて自分の身体をみるときれいにふたりぶんの泡は流されていて、隅にある排水溝に白い泡の渦が出来ている。ジッとみていたら目が回りそうだなとおもった。
 一応かたちだけでもバスローブのようなペラペラの生地で出来たパジャマを着てから、僕は自分がもっていたバッグのなかから個別にパッケージングされたローションをふたつほど取り出して「最後はバックでいい?」ときいた。「きみのすきにしていいから、」と寂雷はパブロフの犬のごとく、目を蕩かせて唾液まで垂らすのではないかとおもえるような表情でこちらをみつめてからベッドに寝そべる。僕は寝そべっている寂雷に軽くキスを仕掛けてから、隣に沿うように寝てやんわりと肩を噛んだ――最初はやわらかに、そして次第に肌に立てた歯が食い込むように上下にちからをくわえてゆく。これをはじめた頃、痛いといっていた寂雷はもうあきらめたのかそんなことをいわなくなった。ただ僕が噛みたいようにさせてくれる。キスマークなんて甘いものを皮膚に残すよりも、歯形を残してやりたいといつしかおもうようになっていたので、遠慮なくくちを開けて噛み痕をつけてゆく。皮膚が切れるのではないかというほど噛みつくと、「もっと、していいよ」そんな睦言めいたことをいわれるので、僕は臆することなく(まるで歳の差に甘えるかのごとく)歯を立ててはマーキングをする。肩に、鎖骨の上に、二の腕に、脇腹に、あらゆるところを噛むとそれがいいとでもいうかのように寂雷が「まだ、」と強欲な台詞を吐いた。いつしかこれが前戯のようになっているのでこれだけでも興奮するのだろう、つよく顎を噛みしめるたびに性器が勃ってパジャマの下半身部分を汚していた。性器の先端が当たっているところが先走りで濡れたかのようにぬめっている、「寂雷、噛まれるの癖になっちゃったね」というと「責任でも取ってくれるのかな、」なんて強気の発言をする。責任くらい取ってやるよといいたくなる、だってそれって寂雷以外にオネーさんとも他の男とも寝るなって意味でしょ、そういえばいいのにいえない寂雷がかわいそうで笑ってやると「やっぱりきみには無理かな」といいながら目線を伏せた。ねえ、僕が欲しいって、あの頃みたいに素直にいってみせてよ。いまの関係も悪くないけれど、あの頃よりも辛気臭くなったおまえの顔をみるのは僕だけで充分じゃないか――そうだろう、そうだといって、プライドをかなぐり捨てて僕をもとめてくれよ。さあ僕の存在を乞え、神宮寺寂雷。上手い言葉がなかなか出てこなくて、僕は無言で白い肌に噛み痕をつけつづけた。歯形がくっきりと赤紫色に皮膚に乗っているのがいやらしくみえてしかたない。性器が屹立しているのをみて、「きつい?」ときくとおずおずと、しかしゆっくりと確実に頷かれた。「触って、っていってみせて」「あめむらくん、さわって」そんな言葉を吐く寂雷は聖性をもちながらも人間らしくて、僕はにわかにうれしくなってしまう――そうだ、おまえのそういったひととしての部分がもっとみてみたい、みっともなくてはしたなくて神なんてものじゃない神宮寺寂雷が僕はみたいんだ。触ってといわれて、気分をよくしながらローションを持って脚のあいだに屈み込む。パッケージングされているローションはトロトロとしている中身が透けてみえるタイプのもので、何度か傾けて遊んでから端を割って中身を出した。両手に出してからてのひらで温めて、それでもすこしはつめたいとおもうので「もしかしたらつめたいかも、」と前もってことわり、パジャマの前を開けてから性器を手でつつみこんだ。「う、あ、」と呻くような声をあげるので、この男の低い声が更に低くなってゆく変化を聴覚から感じる。「つめたかった?」ときくと「平気、だから、」といわれたので僕はどこがよわいかもしりつくした身体を更に曝いてゆく。寂雷はセックスという行為に対して(それはどんなオネーさんよりも)才能があるのだとおもう、どこを触っても過敏なほどの反応が返ってくるので責めている方としても気分がいい。両手で上下に扱きはじめるとあまりの快感に押し潰されそうなのか、片手で自分のくちをおさえているのがみえて「どーしてそんなことするの、」とおもわずきいてしまう――どうせ無駄だというのに。声をあげさせようと裏筋をなぞるようにしながら扱くと、先端からカウパー腺液が垂れ流されてそれとローションが混ざってぐちぐちっと粘着質な音を立てる。カリ首の部分に指を引っ掛けてそこを中心にしつこいほど責め立てると、それまで片手でくちをおさえていた寂雷が両手をつかって声をあげまいと抵抗した。しかし痛いだろうとおもえるほど性器は張り詰めているし、この男が僕の手によって性感を高められているのが目にみえるのはひどくおもしろい。ゆっくりと下から上へ向けて扱いてやると、なおも自分の手の下で呻くのがきこえた。莫迦みたい。どうせ声をあげるくせに。「ねえ、声きかせて」といっても、寂雷はわずかな動きで頸を横に振るだけだった。それならばとおもい、片手で扱きつつもう片手で尿道口をいじってやる。カウパー腺液がだくだくと溢れていて、そこはべったりしていた。「声、きかせてくれないの」精一杯媚びるときの声を出して甘えてやっていたけれど、手をずっと動かしているとさすがに疲れてきてしまうからそれまでにはこれを終わらせたい。寂雷があまりにも素直でないので、「チッ――いいかげんにしろよ、ジジイ」というと、僕のこの低い声よわい寂雷が声をあげる。「……っ、んんっ、あ、」すこしのあいだ頑なにくちをおさえていたというのに、それがあっという間に崩壊するのは性的なことによわい寂雷としては自然なことだった。何度こんなふうに手間の掛かるやりとりをしただろうか。「おもしろいほどよわいよね、ここ」といいながらカリ首と尿道口をいじる、こちらをみつめながら「あめ、むらくん、」と切なげに震えた声で名前を呼ばれた。「そろそろ指、挿れるよ」といって指にコンドームを被せてローションを掬ってから肛門を探った、そこは何度も僕を受け容れているところで排泄器官だというのにもはやただの性器だ。第一関節まで潜り込ませてしまえば、後はずぶずぶと指の根元まではいってしまう。オネーさん達と較べて、より、穴として機能しているのがすこしおかしくて内心笑ってしまう。「んう、ああっ……あめむらくんの指、が、」「なーに?」「あめむらくん、の、ゆび、がはいってて、きもちいい」そんな顔を他の男にもみせているのだろうかとおもってしまうほど寂雷は蕩けた表情をする。しばらくなかを掻き回していたが、もう大丈夫かなとおもったので「二本目挿れるよ、」というと「いいよ、」と返される。最初からそうやって従順にしていれればいいのに。一旦指を引き抜いて、コンドームへ指を二本いれてふたたび挿し込む。「あ、」と一際おおきな声をあげただろうか、そうきこえるそれが耳にはいって僕は機嫌をよくする。寂雷がセックスという行為に溺れて死にかけているのをみるのはすごくたのしい、それはどうたのしいのかときかれたらかよわいいきものを潰す快感に似ていると返すだろう。蟻みたいなちいさすぎる生命を摘み取ることにそれは似ている。まあ、寂雷は精神的にも肉体的にもおおきいので喩え話なのだけれど。「あ、ってなに」ときいてやると、答えられる状態にないのかはくはくと酸素をもとめて後は喘ぐばかりで声になっていない。母音で構成されたそれはひどくこのましい。ずーっと寂雷がこうだったらいいのに、などとおもってしまうほどそれはかわいらしいものだ。「ねえ、あ、ってなーに? きもちいいの、どうなの」「……あめむらくん、の触り方が、きもち、いいか、ら、」「いいんだ、へえ、」そういいながら僕は前立腺を探る。「もっときもちよくしてあげようか、」といいながら指の関節を曲げるとそれに当たったのだろう、寂雷が身体をビクッと跳ねさせながら声をあげた。「あめ、むらくん、だめ、それだめだから……んんっ、あ、だめ、」「なんだ、駄目っていいながら余裕あるじゃん」そういいながらなおも前立腺を責め立てると、寂雷が「あ、ああっ、やめて、あめむらくん、やめ――」「やーめないっ、」片手で扱きながら、もう一方の片手で前立腺をいじるとさすがにきついのか「い、ってしまうから、」といわれる。いけよ、無様にいってみせてよ。でもおもしろいから寸止めにしてやろうかな、とおもってしまった。「焦らされたらくるしい?」ときくと、何度も頷くのがみえたので「じゃあ焦らしてあげるね、」といって、片手で性器の根元をギュッとおさえつける。「え、」とおもわず声に出しておどろくのがおかしい。この男は聖人でもなんでもないのかもしれないと僕は最近おもっている、ただ、奉りあげられ崇められて神になっているにしか過ぎないのかもしれない。そんな男が、「あめむらくん、」とねだるような声で僕を呼ぶ。「まだしばらく遊ばせて、」そういいながら、片手で根元をおさえてもう片手で前立腺を探ってゆく。「あ、ああっ……むり、むりだよあめむら、くん」「無理じゃないでしょ、ねえ」何度もいきたそうに腰を揺らすのがみえて、この男は僕の前で本当に性欲というものに素直だなあとおかしなところで感心してしまう。「そろそろ突っ込んで欲しいんじゃない?」ときくと、「いれ、て……奥までいれて、あめむらくんがほしい」と答えられる。「バックでするから体勢変えて、」というと泣きそうな顔で何度も頷かれた。嫌いだとか苦手だとかいがみ合っているくせに、僕らはこうして何度も地獄の底で煮えたぎるようなセックスを繰り返している。しかたない。身体の相性がよすぎるのだからこれから逃れるすべはないのだ、むしろここから目を逸らした方が先に負けるのだとおもっている――この最低最悪な地獄から、逃げるな。指を引き抜いて、性器にコンドームを被せるとローションをもうひとつ開けて肛門になすりつけた。寂雷が体勢を変えて尻を突き出す。そして腰の高さ合わせるとローションでとろりとにぬめる肛門に性器の先端を当てて、しずかにそしてゆっくりと挿入してゆくのだ。「ん、う、」とみじかく呻くのがきこえて、そのつぎに「あめむら、くん、」と上半身うつ伏せで枕をだきしめながら僕の名前を呼ぶのがきこえた。ふたりしてこの行為に慣れすぎてしまっている、これはいい兆候なのかなんなのかは分からないけれど、それでもこの瞬間、寂雷のあたまのなかは僕でいっぱいに満ち満ちるのだとおもうとそう悪いものではない気がする。「奥までいれるよ、」といいながら根元までずぶずぶと性器を沈めてゆく。いま、そう、ちょうどいま僕は寂雷の身体のなかへ侵入しているのだとおかしくて、おもわずふはっと空気を漏らすかのように笑ってしまった。そんな僕の笑いなんて気にしていられないのだろう、寂雷は挿入されているという異物感に耐え快感を拾い上げるのに必死になりながら、自分を抱いているのが僕――飴村乱数だと確信していたいとでもいわんばかりに「あめむら、くん、あめ、むらくん、」と途切れ途切れに名前を呼びつづけていた。息を吐くと挿入時に楽だとか、むしろ反対に吸うと楽だとかいうのに縋らないのはこの男のいいところだとおもう。そんなことをしても駄目だといいたげに、ひたすら僕の名前をくちに出している。「寂雷の身体、ほんっとにいいよね、オネーさん達とするよりはまりそうになる、まあセフレなんだけど」おもわず本音を漏らすと、「それ、ならよかった、」と安堵したかのような声音で返される。なんでそこで安堵するんだ、僕らはもう別れていてこんなセフレとしての関係に於いて都合がいいという意味なのにおまえはどうしてそうなの。ズッ、と出来る限り奥まで一気に挿れると、引き攣るような声をあげながら身体を震わせるのが分かった。背中を反らすのがみえて、僕はおもわず片手でそこに流れるように垂れている長い髪をつかむ。髪も性感帯だったらおもしろいのに、とおもいながらグイッと引っ張るとその痛みがきもちいいのか寂雷が派手に喘いだ。「ほんっと、救えないドMだよね、寂雷センセー」と笑いながらいってやると、「きみに、だけだよ……きみしか、しらない」と荒い息を吐きながらいわれる。それはこの場面でどういう意味を持つのだろう。寂雷が僕しかしらないという、はじめて出会ったときにはもうこの男は三十歳になっていた、それまで人肌というものをしらないで生きてきたというのか――こんなにも圧倒的な美を所有する男が、そんな、嘘だ。僕は動揺をごまかすかのように、なおもつよく髪を引っ張って奥まで荒らすように性器を挿入した。直腸の内壁を抉るかのように腰を動かすと、寂雷が泣くように喘ぐ。「これがいいんでしょ、」といいながらなおも責め立てると、「それ、がいい、」といわれる。いつだってこんなふうに素直ならいいのに、そうしたら僕らはいまよりもすこしは歩み寄れるかもしれなかった。まあ、そんなことは絶対的に無理なんだけど。腰をぶつけると、あたりまえだけれど皮膚同士がぶつかりあう音が立つ。それに寂雷の荒い吐息が混じって、バックでしているということも相まって僕はまるで獣と交尾でもしているかのような錯覚をいだく。狼と交尾をしたらこんな感じなのだろうか――莫迦みたいだ。眼下にある白い尻を片手でパシッと叩くと、「ひっ、」と声をあげるとともに締めつけられるのが分かった。その締めつけがきもちよくて、僕は何度も寂雷の尻を叩く。「たたかれるの、すきなの」ときくと、「きもちいい、から、」と答えられる。こんなものがきもちいいだなんて、真性のマゾヒストなのかもしれない。片手で髪を引っ張り、もう片方の手で尻を叩く。寂雷は尻に平手打ちをされるたびに喘ぎながら締めつけてきて、僕はそれが癖になりそうになりながら「もっと締めてよ、」とささやいた。「あめ、むらくん、もう、いってしまう」といわれたので、尻を叩いていた手で性器の根元をさっきまでしていたようにギュッとおさえつけると射精出来なくなったのだろう、「あめむら、くん、壊れる、おかしく、なってしまうから」と震える声でいう。「あはっ、僕、おかしくなった寂雷みてみたいなーっ」「ほんとう、に、狂う、」「いっそ狂っちゃえば? その方が楽なことってあるよ、」「あ、ああっ……ん、う、ぁっ、」「そうそう、動物みたいに鳴いてみせて」バックでしてよかったとおもった、正常位ですることもあるけれどあれは顔がみえるから気まずい瞬間がある。だっていちいち表情がたがいに読み取れてしまうだろう、バックなら表情もなにもかも分からなくて声と身体だけに集中出来る。「いかせ、て、あめむらくん、おねがい、だから、」「えーっ、もう終わり?」「あめむら、くん、もうむり、だよ、」枕を抱き潰すようにかかえている寂雷が懇願する。僕はこの男が懇願してまでいきたがっているという事実に興奮しながら「いいよ、いってみせて」と出来るだけ平坦な声でいって、扱きながら腰をぶつけた。結合部からぐちゅぐちゅという音がきこえて、僕らはそれに興奮しながら吐精をする。寂雷が「いく、」と快感に飲み込まれる直前みたいな声でいって、そのつぎの瞬間射精をしていた。腰が崩れ落ちそうになるのを支えながら、「ダーメッ、僕まだいってないからもうちょっとつきあって」と、いったばかりで敏感になっている寂雷の直腸内を曝くように犯した。「ま、って、いったばかり、で……ん、うっ、ああっ、」「いった後に犯されるのってきもちいいんでしょ、きもちいいことすきな寂雷ならかまわないよね、」そういいながら、僕は寂雷の身体をつかって好き勝手に遊ぶ。髪を引っ張られるのも、尻を叩かれるのも、内壁を抉られるようにされるのもなにもかもが性感に直結するのだろう、僕がいきそうになる頃には寂雷は二度目の吐精を終えていた。「じゃくらい、僕ももういく、」二度もいってぐったりと潰れている寂雷の腰をむりやり引き起こすようにしながら、僕はコンドームの内側におもいきり精液を放った。そういえば付き合ってた頃はよく中出ししてたなあなんておもいだす、あれは寂雷なりの甘やかし方だったのかもしれない(実際、僕はあの時期にオネーさん達と遊ぶことはほとんどなかった)。いまさらそんなことに気付いてもおそいのだけど。あんな地獄のような悪夢はもうみたくない、僕と、寂雷の、ふたりきりの最低最悪な地獄の夢――そう、あの時期は夢に等しい。

「ねえ、クレープ食べたい」シャワーを浴びてしばらく休憩(表の看板に書いてあるようにまさにご休憩だ)してラブホから出た後、僕がそういうと「クレープなんてどこに、」と困ったかのように眉根を寄せられた。「たしかこの辺りにクレープ屋さん出来たって雑誌でみかけ――あ、あれじゃない?」そういいながら寂雷の手を引いて、僕は早足で歩く。そのクレープ屋はこじんまりとしていながらも、千駄ヶ谷という地域になじんでいた。ペールグリーンの色で整えられた外観がきれいで、僕はおもわず見惚れてしまう。「ここなのかな、」「うん、きっとそう!」ついさっきまでセックスという行為に溺れていたというのに、僕らはそんなことをしたことはないとでもいわんばかりの健全さを以て、クレープ屋の前で店内の様子をうかがう。「はいろっか、」といって寂雷と手をつないだままドアを開ける。つめたいたべものを扱うからか、店内は冷房がよく効いていてすこし寒いくらいだった。「クレープ、四角いね」と僕がおどろくようにいったのがおかしかったのか、寂雷がふふっと笑った後、「そうだね、めずらしいかたちだ」という。正方形に近いクレープにラップが巻かれたものが、ショーケースのなかでズラッと横に並んでいる。店員はカウンター内にひとりいたものの、こちらを過度に接客する様子もなく贈答用かなにかの包装をおこなっている。「僕、ピスタチオといちごクリームかなあ、」「私は……カスタードとブルーベリーにするね」そんなやりとりをしながら、店員にそれらを出してもらって寂雷が会計を済ませる。「あ、寂雷、黒蜜抹茶わらび餅なんていうのあったよ!」と僕がいったのでそれも追加してもらった。
 どこで食べるかというはなしになって、寂雷が車を駅近くのパーキングに停めてあるというのでついでに家までいくことになった。この男の助手席に座るのはひさびさで(といっても二ヶ月か三ヶ月前くらいなのだけれど)、なんとなく僕は気分をよくしながら適当な歌をうたった。寂雷はいつだって上品でしずかな運転をする、流線形をえがくBMWグランクーペが音もなくすべるように走ってゆく。神楽坂駅近くの寂雷のマンションに着いたら、クレープが食べられるのだとおもうとなんとなくうれしくてソワソワした。そんな空気が隣にいてつたわったのだろう、「飴村くん、たのしそうだね」といわれる。「うん、たのしいよ、だって今日はひさしぶりにあの世界の果てビルにもいけたし、大っ嫌いな寂雷とえっちできたから」「それは光栄だね、きみは嫌いな人間とセックスをしたり家に上がり込んだりするのかな」「えーっとね、寂雷だけだよ僕が嫌いな人間なんて。僕は人間のかたちをしていればみーんな大好き」赤信号で一時停止になったのをいいことに、寂雷の髪を引っ張って顔を近づけてから、「なあ、俺と一緒でおまえもそうなんだろう――神宮寺寂雷」といった後に噛みつくようなキスを仕掛けてやった。すこしおどろいたように一瞬目を瞬かせていたけれど、それは本当に一瞬だった。「そう、かもね」といって青信号になったのを確認してから正面を向いた寂雷がアクセルを踏み込む。僕たちはいがみ合っている、嫌い合っている、憎み合っている――そして、過去に愛し合っていた。ねえ、寂雷、そうなんだよね。僕は世界の果てに過去を棄てたい。

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