【猿礼】冬薔薇は静かに咲いている

Hasmi/ 3月 26, 2018/ 小説

※過去に礼尊の関係があったことと、伏見さん(小学二年生時)が仁希さんにキスをしたという内容を含んでます。猿礼固定以外が苦手な方はご注意くださいませ。

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 花が活けられている。それも茶室の花瓶にではなく、室長用のデスクの上へ。それは真っ赤な薔薇が四輪、まるで血潮のような色だとおもいながら「しつちょー、この書類、サインまだもらってません」といいながら書類の束をデスクへ置いた。十二月に薔薇というものは咲くのだろうかとおもったが、実際ここにあるのだし、四季咲きなどともきくので冬にも咲く種類があるのだろうとおもいながら目の前の上司をみつめる。ジグソーパズルを広げた上司は、「すみません、もうすこしで終わるので待っていてください」などとのたまう。待てないから来たというのに、これだからこのひととはやりづらいのだとおもった。意思疎通が出来ない方がまだマシだ。中途半端に分かるからこそ、すこしばかり苦手なのだろう。「パズル、そんなに楽しいんですかあ」ときくと「ええ、」とだけ答えが返って来て、あとはまた無心にピースをはめ込んでいる。何の柄なのだろうとおもいながら覗き込んだが、逆さまからなのでいまいち把握出来ない。ただ、色彩が豊かなことだけは分かった。花か景色か絵画だろう、最近このひとがつくるパズルはだいたいその辺りだ。手持ち無沙汰になりながら窓の外をながめると、ちらちらと雪が降ってきているのがみえた。「雪、積もりますかね」「このままだと積もるでしょうね、」「明日が非番でよかったですよ、ほんと。雪のなか出動するのとかだるすぎて無理なんで」「でもきみもちいさい頃は雪遊びをしたのではないですか?」「クソみたいな親父に雪玉ぶつけられまくったおもいでしかありませんけど」そういうと黙り込まれてしまった。これはべつに暗い過去話ではないのだがとおもっていると、そんなことは二の次のようではめるべきピースがみつからなくて黙ったようだった。「これ、違うんですか」適当にひとつ指差すと、うれしそうに「あ、これです」と、いいながらパチッとはめた。正直なところジグソーパズルのなにが楽しいか分からないのだが、このひとがルービックキューブにはまらないでよかったと心底おもった。あの男とおなじものをしてほしくない。俺たちはセフレの関係にあるが、それでも理想/理念というものをこのひとに感じるのでここにいるのだ。だから、あの忌々しい男の一片でも触れさせたくないのだ。しかしおさない頃にルービックキューブをカチカチと揃えてゆく伏見仁希の手許をみていると飽きなかったのも事実だ。どんなに俺がぐちゃぐちゃに色を混ぜてしまっても、仁希はあっという間にすべての面を元通りにしてしまっていた。なにごとにも器用で、天才で、そして恐ろしく常識のずれた男だった。昔、(四歳だっただろうか、五歳だっただろうか)あの男に懐いていたころいったことがある、「大きくなったらおとうさんと結婚する」と可愛らしい女児のような発言をしたのをいまでもおぼえているのだ。それに対して「お前は大きくならねえよ、おサル」といわれたことも昨日のように記憶にきざみ込まれているのだ。それをきいて、俺は大きくならないのだと本気で信じたこともあった。あの頃はただ面白くかまってくれる父親がいて、仕事人間かつ無関心な母親がいて、友達というものはいなかった。だから父親である仁希という存在は俺のなかで膨らみつづけていたのだろう。「伏見くんどうしたのですか、怖い顔をしていますよ」と揶揄うようにいわれて、俺は意識を室長に向ける。「あんたが早くパズル片付けねえからですけど」というと、「もうほとんど出来ていますよ」そういわれて俺はデスクの上に展開されたパズルに目を移す。そこには俺の寝顔があった。意味が分からなかったが、それはたしかに自分の寝顔のパズルだ。「は?」「きみの写真からつくったものです」「いや、それは分かるんですけど、ちょっと意味が分からないっていうか」「先日泊まったホテルで先に起きたので撮ってしまいました。何か都合が悪かったでしょうか」「盗撮、じゃないすか」「きみが寝ていただけです」「だからそれを、」このひともすこしおかしいとおもっていたが、かなりおかしいの部類に分類することにしようとおもった。無理なのだ。なにもかもを理解するということ自体が無駄なのだ。ジグソーパズルになった自分の顔は穏やかに寝ており、自分でいうのも何だがワックスをつけていないのですこしおさなくみえる。俺はおもいしる、このひとと泊まった日にこんな顔をしていたのかと。セフレという関係性にあるのだからこんな顔をしてはいけないのだとおもいながら、パズルを仕上げて満足そうな顔をしている上司に「あんた楽しいですか、」ときく。「それは何に対しての質問でしょう。パズルが仕上がったことでしたら、私はとても楽しいですよ」そうじゃない、そうじゃないんだ。そう叫びながら無性に泣きたくなる。あんたが伏見仁希とは違う男で、俺にセックスを教えてくれて、そしてこんな無防備な寝顔を撮ってしまうひとだということ、そのすべてが泣き叫びたい。俺はこのひとにこんな顔をみせているのか、こんなにも安心しきったこどものような寝顔をみせているのか。たしかこのホテルに泊まった日は俺の誕生日だった、十一月七日、いつもなら何の変哲もない日常をこのひとは浚っていって祝ってくれた。その夜は恋人同士のようなセックスをした、付き合ってなどいないというのに、不毛な関係だというのにそんな擬似的なセックスを繰り返したのだ。それはまるで精神的な蜘蛛の糸だ。細い細いそれをつたって上へのぼろうとするさまは愚かしい。しかし俺はそれをのぼることしか許されていない。降りることも出来ず、ただひたすら上を目指すのだ。神であるこのひとが垂らしている蜘蛛の糸はたよりなく、しかし確実に存在している。「あんた、もし王じゃなくて神になれたら何をするんですか」とおもわずきいていた。数瞬、思案したのちに「……そう、ですね。てはじめに周防を生き返らせてみましょうか」といいながらふふっと笑う。そうだ、このひとの奥底にはいつまでも周防尊がいるのだった。自分が犯していた恋人が死んだからとはいえ、部下である俺に自分を犯してほしいと懇願するのは倒錯的でしかない。「周防とのセックスはすこし手荒にしていたので、生き返らせることが出来るというのならばすこしはやさしくしてやってもいいかもしれません」おだやかな神であるひとがそういう。俺は自分の無力さをおもいしらされたようで、ただひたすらその場に突っ立って呆然とすることしか出来なかった。このひとはひどく温和で、ひややかだがやさしくて、やわらかな物腰をしている――俺はそれが怖くなる瞬間がある。すべてが嘘のようにおもってしまう時があるのだ。周防尊はこのひとのすべてをしっていただろうか、それはいったいどんなものだったのだろう。いまとなってはきくこともかなわないけれどしってみたい。「書類にサインをするので、キス、してください」といわれてデスクから立ち上がったひとにちかづく。俺たちは同じ色の隊服を着ている。青。それは鮮やかな青だ。周防尊のなかにはまるでないであろう青は、俺とこのひとを同一の場所に所属させる。俺たちはいきていて、周防尊は死んだ。ただそれだけなのに、周防尊という男はこのひとのこころの奥に永遠に巣食ってしまった。もう戻れないし、戻る気もないのだろう。生者は死者に勝てない、それはまぎれもない事実だ。俺は願う、このひとのなかにすこしでも存在出来ますようにと念じる。目の前に立ったひとに引き寄せられて、俺たちはキスをする。口唇がひたりと張り付いて、そして目を閉じる。つめたくみえるひとの口腔内は熱く滾っていて、体温というものの重要さをつたえる。いきているかぎり、全身を血潮がめぐって体温は保持される、心臓も動くし手足も自由に動く。死者というものはそれが出来ないというのに、このひとの一番深い場所に眠っているのだ。舌をいれようとすると待ち構えていたかのように上下に歯がひらいた。厚い舌が触れ合って、俺たちの舌粘膜はこまかく震える。さっき伏見仁希のことをおもいだしていたせいで、俺は初めてキスをした相手をおもいだしていた。それは父親だ。伏見仁希だ。あれは小学二年生の頃だったか、床で酔って寝ている姿をみてあきれながらもキスをしたいと明確におもったのだ。そっと口唇をおしつけた瞬間に目覚めて笑うのではないかと怯えたが、それでもあの男は深く寝入っていた。寝入ったふりだったのかもしれない。そんなことをおもいだしながら、俺は目の前のひとに集中するようにつとめる。このひとはあの男のように倫理観の壊れたキチガイではないし、たまに突飛な行動をするもののそれなりの常識を持ち合わせている。好きなのだとおもう、セフレの分際でこのひとが好きなのだとつよくおもってしまうことをやめられない。小学二年生のつたないおしつけるだけのキスではなく、二十代になった俺はこのひとと舌を絡め合う。舌先を甘噛みしてやると呻くような声がきこえたので更にやわく噛んでやる。俺のなかには伏見仁希がいきていて、そしてあんたのなかには周防尊がいきている。俺たちは死者にとらわれつづけながら残りの生をまっとうするしかないのかもしれない。腰に手を回しながらキスを繰り返す。ふたりの間にはすこし身長差があるので、俺はわずかにみあげるようにしながら口唇を触れ合わせる。かんがえることを放棄して、ただただ口腔内の感覚にすべてを集中させる。どうして口唇を合わせるだけで、舌を絡めるだけでこんなにもきもちがいいのだろうか。俺たちはセックスをするのと同じくらいキスが好きだ。離れがたいとおもいながらくちを離すと、「きみのキスはやさしいですね、」といわれる。それはあのひとと較べてですか、とききたくなったがやめておいた。俺が何かをききたそうにしているのを見越して「私は家族以外にやさしくされるのになれていないもので」と付け加えるようにいった。「家族とキスはしないんじゃないですかあ、」と自虐のようなことをいって、俺は自分のなかに流れる伏見仁希の血を感じる。父親と母親の血液が混ざっており、遺伝子は誰にも変えられない。変えることが出来ない。
「薔薇、きれいでしょう」と唐突にいわれたので、「そーっすね、」と適当に答える。今日が何の日かしっていましたか、ときかれて一体何の日なのだろうと困惑していると「周防の三周忌です、」と凛とした声でいわれる。それはべつに強がっているようでもなく、何かを探しているようでもなく、ただただ事実を述べただけだという声音だった。「あー、今日も雪、降ってますね」「……そう、ですね」「そのための薔薇なんですか」「ええ、四輪あるでしょう。これが私で、周防で、八田くんで、そしてこちらが伏見くんです」「切り花なんてすぐ枯れるのによく買いましたね」「人間もいつか死んでしまうのですから切り花と同じですよ、」あまりにも悲しいことをいわないでほしいとおもいながら、俺は目の前に立っているひとをおもいきり抱きしめた。そうすることしか出来なかったのだ。すこしおどろいた様子だったが、背中に手を回し返されて俺はなんとなくホッとした。このひとは余りにもひとりで背負いすぎた。
「室長、俺たちセフレじゃなくてちゃんとつきあいませんか」しばらくしてからそっと身体を離してすこしうつむきながらいった。うつむいていたのは、断られた時にまっすぐ目をみるのが怖かったからだ。両脇に垂らしていた手を握られて断られたらどうすればいいのだろうとおもっていると、「私でいいのなら、」といわれる。この時のためにいきていたのかとおもえるほど、俺は感情が溢れてとまらなくなった。「いいんですか、」「ええ、」「いつまでも過去のこと――というかあんたと尊さんとのことひきずるし、根暗だし、猫背だし、神経質ですけど」そういうと俺の顔をのぞきこみながら「それでもきみがいいんです、」という。俺は自分のなかにある周防尊への溜まっているわだかまりさえも理解されたのだということに泣きそうになる。「本当にしつこいですよ、」「しっていますから」「いつまでもいいますよ」「その度に違うのだと教えてあげましょう、だから泣かないでください、伏見くん」俺はボロボロとこどものように自分が泣いていることに気付かされる。俺の写真でつくったパズルはひどく穏やかな顔をしている、寝顔というものはこんなにも自分でないようなものなのだろうか。それとも、このひととともにいたからこんな寝顔をしていたのだろうか。分からないが、それでも俺は死者に勝つよりも生者として目の前のひとといきることを決めた。雪がしんしんと降り積もる、あの日のように一面が銀世界になる。それはうつくしく、そしてあたらしい世界のはじまりだ。ルービックキューブがカチリとはまる音がしたような気がした。

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