【シェオブ】ぼくはかみをわらう

Hasmi/ 3月 4, 2018/ 小説

この男と知り合うようになって、よく今まで生きてきたものだと少々の嫌味も含めて疑いたくなるときがある。
それは真っ正直に間違いを訂正しているときだったり、待ち合わせの時刻に遅れた理由を事細かに説明しているときだったりする訳だが、彼に対してだけそれが嫌いでない自分にも少し驚いた。
つまりそれは、僕の他人に対する好き嫌いからくるものだろうけど結局、ヒートが好きなのだと思う。いまだって、クリスマスプレゼントの話をしながらあれやこれやと会話から好みをリサーチしているのが面白い。

この部屋は二人部屋だけど、同室の人間が冬休みの間は実家に帰ってしまうので、彼一人がこっそり泊まるくらいはたやすい。そういう訳で、同じく実家に帰らない彼は休みのたびに居座る。
いい加減古くなった机と窓枠は、風が吹くとぎしぎしと怯えるような音を立て、彼はその音がするたびに振り向くが、この部屋に住んでいればこれは次第に慣れるものだ。
他の寮生が廊下を走る音、深夜に見回りの来る足音、窓の近くに立つ樅の木が窓を叩く音、それらはあまりにも生活に密着しすぎていて最近はもう気づかない。
「で、24日は帰らねぇのか。」
寮に来客用のソファなんてないので、彼はいつも二段ベッドの下段に座る。彼の喉が、喋る前に上下するのを僕は見てしまった、それは見てよかったものなのか見てはいけなかったものなのか未だに分からない。
「色々と家庭の事情って言うのがあるものでね、君こそ帰ったらいいのに。」
「同じく事情があるんだよ、」
「ヒートくらいなら、恋人か誰かと過ごすんだと思ってた。」というと、焦りと怒りとその他もろもろの感情をまぜたようなすごい勢いで訂正して、またそれに僕は苦虫を噛み潰したような顔で返すのだった。
彼は面白い。だから、見ていて飽きない。
飽きないから彼と関わるのだろうか、時々自分の本心が分からないけれど、ともかく彼といることはマイナスには働かないので一緒にいるということだろう。
「あー…その、プレゼントとか欲しいものとかねぇのかよ。」
「あるよ、自分で買うけどね」
即答すると、どうしようもなく泣きそうな顔でこちらを見る。やっぱり彼は面白い。
いじけたように、何を買うんだよと聞かれたので無言でマグカップを出して彼にココアを淹れ、二人分のそれをベッドの脇に置いた。ヘッドボードは同居人の本が積まれているが、本を端に寄せてカップを置く。
「おい、なに欲しいんだよ」
「教えてあげない、」
「なんで、俺が買うって言ってる訳じゃねぇんだし。」
「嘘だよ、教えてあげるって。土地だよ、土地。」
「はぁ?」
だから土地だってば、と言って口にココアを運ぶとその暑さで舌が火傷しそうになった。だけど、この火傷しそうな熱さが好きなのはなぜだろう、ぎりぎりの熱さの液体を喉から胃へ流し込む。
「だから、土地だって」
「……どこのだよ。おい、言っとくけど俺は買ってなんかやらねぇからな!」
「月と火星の土地を1エーカーずつ購入しようと思って、ヒートも一緒にどうだい」
一瞬の間があった。
そして、その一瞬の後には腹を抱えて笑う彼と憮然として彼を眺める僕がそこにいた。
お前、熱あるんじゃねぇか、と言ってヒートが額に手を当てた。ひやりとした手の甲が吸い付くように当てられ、その感触に目を閉じると数秒でそれは離れていってしまった。もっとあの感触が欲しいと思ってしまったのはなぜだろう。
笑いながら、溢さないようにココアを口に運ぶ彼は「月と火星ってお前さぁ…」と散々腹を抱えて転げた。
「嘘じゃないよヒート、ルナエンバシー社が土地を販売しているんだ。それもご丁寧に権利書と地図、月と火星の憲法付きでね。」
ノートパソコンを引っ張り出し、接続して彼に見せる。膝の上で起動させるものだから、膝と太腿が熱くなってさっきの彼の手の温度を思い出してしまった。
彼の熱さを初めて意識したのはいつだったろうか、校内で見かけた時だったかも知れないし、彼に声を掛けた時だったかも知れない。気が付けば、彼という存在はその温度をもって僕の領域をじわじわと侵食している。
「ほら、見ただろ。ここに書いてある、」
何でこんなもん売ってんだよ、と液晶モニタに向かって呆れたような声で彼が言った。

「僕はね、小さな国を作るんだ、」
そう言うと、彼は更に笑おうとした。ただ、それは笑いの他にいくつか別の感情が混じっていたように見えたのは気のせいだろうか。あれは何だったのだろう。
「小さな国でいい、そこで僕は王になってそこで暮らすんだ。」
「暮らすったって、空気とか食い物とかどうすんだよ。」
「バカだなぁ、例えだよ例え。僕が王になれる場所がある、そしてそれはこの星から眺められて、時折僕は夜空を眺めて王になった僕を想像する。それだけでいいのさ。」
「一人で暮らすのか、」
「うん、一人で暮らすんだ。君は客としてもてなしてあげるよ。」
彼は溜め息を吐いて、それから肺のすべてを出し切ってしまうのではないかというくらいの深い深い息を吐き出した。溜め息とは違う、諦めという名前の息を。
「じゃあ、俺は隣に土地を買ってやるよ。それでサーフの国に遊びに行く、」
ふっと笑いを噛み殺すように俯くと、「ヒートがいいなら、それでいいよ、」と言った。
ぬるくなってしまったココアが、手の中で上澄みとココアの粉に分離している。
ふと、彼はこの上澄みのようで自分は沈殿する粉のように思えてしまった、彼はなにも知らない。なにも知らないということは、一番強く一番か弱いことだ。
彼は強すぎて、時々僕はその毒気に当てられて気持ち悪くなる、目の前がくらりと揺れて視界が回り毒が全身に回る。
ぬるくなったココアを一気に呷ると、どろどろとした液が喉に張り付いた。

「僕の国には独自の憲法もあってね、入国しようとする者は国王であるサーフ・シェフィールドにキスをしないといけないんだ。」

君は笑って頬に唇を落とした。
そう、僕達の関係はまだ頬で済ませられるものでしかない。
まだ今ならやり直せる、自分に言い聞かせ、そしてヒートの頬に口付けを返し未だ顔を知らない月と火星にいるであろう神を僕は哂った。

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