【イザシズ】野薔薇の色めく

Hasmi/ 3月 4, 2018/ 小説

 何度も死ねと罵倒した相手が本当に死んだら、君はどんな絶望と悲嘆にくれるのだろうか。愚かしい君は、きっと涙して灰になった俺の身体を掻き抱いてくれるに違いない。
 この身体が灰になったときは、君のその大きな両の掌に載って風に散ってやる。それで忘れられなくなるだろうと俺は思うんだ――そんなことを、一人の男のことを考えながら、棺桶型の墓碑の上で昼寝をしながらぼんやり思う。その昼寝を邪魔するように、今日も彼は現れた。
「死ね、」と彼が墓場で対峙しながら言い放った。額には血管が浮いており、さらりと風できれいな金色の前髪が揺れたのでそれが見えた。
「厭だよ、シズちゃんの頼みでも聞けないこともあるの」
 臨也が頬を膨らませながら起き上がり、なかば揶揄うように言った。
 しかし真夏だというのに、じっと見ていると吸い込まれそうな暗闇に似た黒いマントを羽織り、シャツの前を肌蹴させたスーツを着ているのは人間として体温調節がおかしい。それは誰の目にも明らかだ。真っ赤な瞳に、青白い肌、そして足音を立てない猫のように歩ける折原臨也は――吸血鬼だ。
 そもそも、死ねと言われても俺は生まれたときから死んでるようなものなんだけどなあ――と思いながら、臨也は咽喉を鳴らして嗤った。
 彼は愚かだ。
 臨也が有利な時間帯、つまり一般的な吸血鬼が行動する時間帯以外なら倒せると踏んだらしい。つまり、真昼間ならいけると思ったのだろう。
 だがしかし、生憎、臨也はもう既に数百年生きてきた。
 真昼間の紫外線を燦々と浴びせかけている太陽にも耐えられる。現に、いまも太陽は照っており、快晴だ。
 しかし様々な出会いと別れを繰り返しつつ、独りきりでもう推定三百年はいってるかな、と自分の過去を思い出したところで、彼――平和島静雄が再び「いい加減、今日こそ死にやがれ」と吐き捨てた。
 墓場だが、ここは外人墓地なので様々な形に埋葬されている。墓碑もごく普通の十字架が多いが、ケルト十字だったり、マリア像が立っていたり、彫刻から楽譜を掘ったものから、何から何まで、あらゆる墓のデパートメントのようだった。
 臨也は棺桶型の墓碑の上で伸びをして、生欠伸をすると「で、今日の用はそれだけ?」と聞いた。何のことはない、こんな遣り取りは二人にとって日常茶飯事だ。
 殺す、殺す、殺す、と物騒なことを言いながらも、それが実行されたことはない。ただ、さすがにバールで殴られかけたときには苛ついた。吸血鬼ハンターの道具のなかには有効なものとして、確かにバールがあるがそんなもので殴られて死ぬのは美学に反する。せめて死ぬときくらいは三百年のラストシーンなのだから、杭で打たれた方がまだましだ、と思うのだ。
 
 暇潰しには丁度いい相手だった。
 身体の相性もいい相手だった――。
 つい何年か前(もう一年単位で数えるのは止めたので何年かは分からないが)の春の夜に二人は出会った。スーツにマントを羽織っているのは単なる趣味だったので、その頃の彼と会うときはVネックの薄手のカットソーにスラックスといった格好などもした。蜜月というものは、音を立てて崩れ落ちるのだと臨也は三百年のうちに知っていたので、この男ともきっと別れる日が来るとは知っていた。だが、それは思わぬ方向を向いたのだ。
 セックスの後、気だるい空気を抱えつつ、彼に「何の仕事してるの、」と聞いたのが終わりであり始まりだった。 
「司祭と吸血鬼ハンターを兼業でやってるんだ、おかしい仕事だろ。笑えよ、臨也」
 確かにそう言って彼は優しげな頬笑みを残した。
「なに、そんなに信心深い教徒なんだ。へえ、以外だねえ。君みたいな化け物が神に仕えるだなんてさあ、笑い物じゃないか」
 酷く傷ついた顔をしながら、「黙れ、」と言ったきり彼――静雄は俯いて何事かを考えている様子だった。そんな彼に再び半裸で寄り添い、「ねえ、」と声をかける。
「シズちゃんは俺のこと、殺すの?」
 ――たったそれだけの言葉で、彼はすべてを理解した。
 なぜ、この折原臨也という静雄を抱く男の皮膚は冷たく青白いのか、なぜ家に招いたときに嬉しそうに玄関を跨いだのか、なぜ純粋な日本人のようなのにそんなに真っ赤なルビーみたいな瞳をしているのか。ずっと謎だったが、分からない振りを続けていた。
 思い知らせた瞬間、臨也は悦楽めいた嗤いが自分を支配するのを感じた。さあ、吸血鬼ハンターでもあり司祭でもある君は、次の手はどう出るんだ。杭をこの心臓の上に打ち込むのか、それとも銀のナイフで刺すか、銀の弾丸を詰めた拳銃で撃つのだろうかと胸が騒いだ。
「帰れ。独りにさせてくれ、」
「――帰るけど、俺、君のこと心底嫌いじゃなかったよ。ああ、頸は咬んでないから安心して」
 ハハッ、と嗤うと「黙れっつってんだろ!」とヒステリックな声が安アパートに響いた。それから、臨也と静雄は追いかけっこのような殺し合いをしている。寧ろ、臨也はまだ手を出してないので一方的に追いまわされるだけだったが。
 
 いまどき昼間の太陽が苦手な吸血鬼なんて、笑えるほど時代遅れだよねえ。と臨也は思いながら、太陽に手を翳した。
「臨也くんよお、今日こそ埋葬し直してやるから大人しく死ねったら死ね!」
「シズちゃんのボキャブラリーって少ないよね、それでも二十余年生きてるの?」
 そもそも俺、埋葬された記憶ないんだよね、と言うと「じゃあ俺が手前を埋葬してやるよ」と吠えられた。彼は犬みたいだと臨也は暢気に日光も紫外線も浴びながら、夏風に黒髪を揺らしながら思う。真夏のじめっと皮膚に張り付く風が吹いていたが、臨也の汗をかかない肌はさらりとしたままだった。
 棺桶型の墓碑の上から立ち上がり、臨也は巨大な十字架を持つ静雄を見た。
 憐れだ、と思う。神から見捨てられた化け物のくせに、神に縋るだなんて愚の骨頂でしかないじゃないか。
 しかし本当に憐れなのは自分かも知れない、と自嘲した。数百年前に死んだ男の面影が忘れられなく、そしてその男に似ているからというだけで誘って関係を持った静雄にここまで執着するだなんて、俺こそ化け物なのに人間らしすぎる――と記憶を掘り起こす。
「シズちゃん、ごめん。俺、やっぱり君のこと好きだったみたいだ、」
 いつだって誘惑するのは臨也の側だった。それでいい、と臨也は思う。偽悪的になれば吸血鬼として生きていける気がするからだ。
 本当に好きだったよ、と過去形で繰り返す。
 そう言ってフッと顔を上げて静雄を見ると、赤面して動揺しているのか口を押さえながら僅かに震えている彼がいた。
 戦意の大半を喪失したらしい静雄の近くへ軽く跳ね、距離をつめて近付くとさすがに警戒の表情を浮かべるが、先程の動揺を隠せずに後ずさった。臨也はニタリと余裕の笑みを浮かべながら、静雄の詰襟のシャツの頸元を引き寄せて口付ける。
 慣例のように、口唇を少し開けて期待を含みながら待ち受ける静雄の赤い舌を、臨也は自分の冷たい舌と絡め合った。そうだ、これでいい。自分のところへ堕ちて来て、一緒に夜の住人になればいいのだと願う。
 赤面したままだった静雄が、口付ける度に苦しそうに喘いだ。激しく舌を絡めると、息継ぎが下手なのか呼吸が上手くいかないのか、子供のするキスみたいだと臨也は嗤う。
 詰襟になっているジャケットを器用に外し、シャツの上から既に感じているのか尖った乳首を擦り上げる。そして捏ねるようにしたと思った次の瞬間、抓り上げると静雄が「ひッ、」と喘ぐ。この男は、乳首でさえも感じるようになったのかと思うと同時に、甘ったるかった時間を思い出す。
 静雄は巨大な十字架を持った手で、それに頼って立っているのがやっとな状態だった。
「シズちゃん、神様はね、君を救済なんてしてくれないんだよ」
 そう言いながらベルトを外して服を下着ごと下ろした。この男は大愚なのだと、臨也は思った。神は誰のことも助けない――そんなことさえ分からない、ただの男。静雄の剥き出しになって外気に曝された性器を握り込み、冷たい手で擦り上げる。臨也の手はひんやりとしているのに、静雄の性器は灼けるように熱かった。
 裏筋をなぞるようにして指の腹で刺激を与える。
「う、るせ、ぇ……ひぁッ、やめ……! っくッ、は、あ」
 鈴口から溢れる体液を塗り広げ、ぬめっていく性器を面白そうに臨也は眺めていた。
 陰嚢にまで体液を塗り、やわらかなそれを少し爪を立てながら揉むと静雄が「厭だ、」と言った。
「いざ、や、厭だ、それやめ、」
「止めて欲しいの?」
「やめな、いでくれ……」
 ああ、とうとうこの男は自分と同類になりかけている、と臨也はほくそ笑んだ。快楽に弱い、ただの人間に成り下がってしまえば吸血鬼とお似合いじゃないか。
 カラン、と音を立てて十字架が静雄の手の内から滑り落ちて倒れた。静雄は支えるものがなくなったので、必然的に臨也の二の腕に縋り、脚がガクガクと震えるのを抑えようとしている。
 臨也はわざとグチュグチュと音を立てながら性器を扱き、耳元で「ねえ、シズちゃん、この音聞こえる。やらしいよねえ、聖職者のくせにこんなにしちゃってさあ」と言った。
 静雄が凭れかかってきているので、耳孔に舌を捩じ込みながら扱いてやる。耳朶を軽く噛むと性器が連動するようにぴくりぴくりと反り返って、臍に着きそうになった。
「あ、あ、ああ、はぁッ、」
「いきたいのかなあ、」
 そう聞くと静雄が何度も頷くので「いいよ、いっても」と臨也はわざとらしく優しげに言って、射精させようと激しく扱いた。
 次の瞬間、静雄は自分の服を汚しながら射精しており、白濁が飛び散った。その飛沫は臨也の手にも着いたので、静雄の着ていたシャツとジャケットで拭って痕跡を付けた。聖職者である静雄が、吸血鬼に穢され犯されたという痕跡を――。
 生臭い匂いが辺りに残り、静雄は立っていられなくなったのか、ふらつきながら臨也の肩に頭を載せた。すぐ横に生白い静雄の頸が見えたので、血を吸おうと狙うと「吸血すんなよ、」と釘を刺されたが、臨也は構わず頸動脈の部分に牙を宛がって刺した。
 ――すさまじい勢いで血が流れ込んで来る。
 薄皮一枚、皮膚をぷつりと破るときが、臨也は何にも堪え難く好きだ。これで生かされていると思うと、生き血というものは不思議な力があるのだと実感する。エリザベート・バートリーが処女の血を集めてその風呂に浸かったというのも、案外、自分と似ていた存在なのかもしれないなと臨也は飲みながら思う。
 激流のような勢いで野薔薇の色めいた血液が迸り、臨也の喉を潤した。
 刺していた牙を抜き、口から離すとすぐさま傷口は塞がったが痕が残った。静雄はもう諦めたのか、吸われてるあいだは抵抗すら見せなかった。
 ただ、綺麗な鳶色だった瞳がいまは赤く変貌した静雄が「これで俺も正真正銘の化け物だな、」と寂しそうに言ったので、慰めるように「化け物二匹で暮らそうよ、」と笑いかけると静雄は自分が落した十字架を拾い上げ、自分の足元に思い切り突き刺した。三十センチほど土に埋もれると、それは傾ぎながら自立した。
 きっと人間だった静雄の墓だと言いたいのだろう、と臨也は思ったが、何も言わずに「うち、来る?」と聞いた。化け物二匹で始める暮らしも、それほど困難でも悪いものでも何でもない。
 吸血鬼になりたての静雄の為に、棺桶を新調して地下室に置いてやろう――臨也はそう思い、どこか浮かれながら静雄の手を取った。

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