【イザシズ】化け物の血の色

Hasmi/ 3月 4, 2018/ 小説

 何度かの逢瀬を繰り返し、何度か分からないほどセックスをし、そして何度しても飽きない戦争という名の喧嘩をした。
 それは日常のひとつとなり、気付けば無ければならないほど皮膚に馴染んだ。
 ――皮膚は敏感だ。
 そっと羽毛で触れようと、ナイフで刺そうと記憶として埋め込んでしまう。だから、折原臨也は彼に触れるときはなるべく感情を殺して接した。殺したい。嫌悪の塊。君なんて、いつ死んでも構わないんだよ本当に。そう思わなければ、感情の重圧によって潰れてしまう。
 これは恋ではない、と臨也は何度も自分に言い聞かせた。そして、その自己暗示は見事に掛かり、臨也は自分が恋をしていることを忘れたかのように彼に対して冷たく接した。
 たった一人、臨也が“化け物”と呼ぶ男は端整で精悍な人形じみた顔をしている。単純に喩えれば、彼は果物の柘榴だと臨也は思った。ナイフで皮膚を切り裂いた際に見える傷口がとてもきれいで、もう余り傷がつかなくなってしまったことを嘆きながらも何度も切り刻む。ぱっくりと表皮を破り、真っ赤な切り口から果実を見せる柘榴――粒粒としたところが人間の細胞を拡大したようで、その色は血潮のようだった。
 臨也は切り付ける度、あの身体の皮膚一枚の下って柘榴みたいだなあと思いながらも口に出せずにいたが、あるとき用事があって池袋に行き、彼によって袋小路に追い詰められたとき、思わず「君って柘榴みたいだよね」と言った。そう言われた男――平和島静雄は一瞬唖然として、「ザクロ?」と疑問符を浮かべたが次の瞬間には眉根を顰めて「で、それと手前が死ぬことの何が関係あるんだよ。さっさと死にやがれ、なあ臨也くんよお」と低い声で言った。
 それに対し、臨也は壮美な笑みを浮かべながらつかつかと静雄に近づいた。追い詰められていた状況は、臨也がわざと人目につかないところに来ようとして誘導しただけだった。
「シズちゃーん、俺が折角プレゼントをあげようとしてるのに邪険にしないでよ」
「知るか、死ね」
 君って死ね死ねって言う割には、俺に対してどこか無意識下でセーブしてるよね。と臨也が底意地の悪い顔で言い、それは当たっていたのか一体何の感情を以ってして言っているのか分からないほど、死ねと連呼し始めた。
「うるせえ、死ねって言ってんだよ!」
「語彙能力、もしかしてゼロなの? 単細胞だと思ってたけど、死ね以外も言ってみせてよ」
 徐々に近づき、そして少し背伸びをして静雄の耳元で「俺、もっと可愛いシズちゃんの方が好きだなあ。ねえ、一昨日の夜みたいな声聞かせてよ」と誘惑するように囁いた。それを聞き、皮膚の感触と一昨日の記憶を一気に思い出したのか、静雄が頬を薄っすら赤く染めて「消えろ、」と吐き捨てた。コートのファーがふわふわと静雄の頬に触れ、それは少しくすぐったかった。
「さっさと消えてあげたいけど、今日は用事があってね」と言いながら、ポケットからパッキングされた銀色の針のようなものを持ちだした。
 池袋の裏路地で、今日は一月の月末だ――。
 表通りの方は賑やかに騒がしくなっているが、この路地はその喧騒から一歩離れてどこかしんとしていた。
 臨也がポケットから取り出したものは何なのだろうと、やや密着した状態の静雄は不審に思っていると、いきなり耳朶に触れられた。思わず肌が粟立つ。そして、誰もこの路地へ来るなと静雄は願った。
 しばらく静雄の耳朶を触っていた臨也が「きれいな耳だね、」と独り言のように言った。そして、理想的な耳だと言うと軽く耳朶を食んだ。ぞわりとする感覚が下から這い上がって来て、静雄を浸食した。臨也はしばらく静雄の耳朶を食んだり噛んだりしていたが、後頭部を押さえつけて静雄の頭を少し下げると耳孔に舌を捩じ込ませた。水音が耳元でダイレクトに聴こえ、静雄は思わずビルの谷間に入り込み思わず座り込んだ。耳孔に入れられた臨也の舌はとてもやわらかく、そして熱かった。その熱が全身に伝わるようで、静雄は耐えきれなくなったのか「……やめ、ろ」と切れ切れの声で言った。
 大人しく止めた臨也は、座り込んだ静雄の目の前に掌を広げ、そのなかに入っていたものを見せた。
 ――そこには銀色の太めの針が一本、そして真っ赤な粒が一つ。
「んだよ、それ」
「シズちゃんって髪はマメに染めてるのに、ピアスとか開けてないなって思ったら開けてあげたくなってさあ。ニードルとピアス持って来たから、開けさせてよ。俺のものだっていう証、それを着けて」
 いらねえ、と静雄が返事を返そうとしたときには、両肩を押さえつけられてビルの谷間に倒れこむ状態になっていた。
 マウントポジションを取った臨也が片手を離し、「じっとしてないと逆に危ないよ、目に刺しちゃうかも知れないし」と言う。危ないも何も、手前がそれを止めれば済むことだろうが、と怒鳴りたくなるのを抑えて静雄は息を呑んだ。
 まるでコンドームのパッケージを破るようにして、ニードルの袋を歯の端で噛んで開けた。
 右耳朶の一番平たくてやわらかいところ、そこへピアス用のニードルを宛がった。
 ぷつり、と一番上の皮膚に刺さったとき、それは耳元だったので音が聞こえたような気がした。いや、それは音なんてしなかったので気のせいだったのかも知れない。だが、確実に静雄の皮膚は破られ刺され、その後に異物を挿れられようとしている。
 ニードルの中は軟膏を塗り込むように空洞になっているので、血液は出ているのかも知れないがその空洞のなかに入っているらしい。静雄は自分の耳朶に注射針よりもはるかに太い針が刺さってくるのを感じながら「なんだかノミ蟲の野郎が普段するセックスみてえだな、入らねーところに無理矢理突っ込むってのが」と思った。
 耳朶はニードルの先端を飲み込み、完全に皮膚と肉に埋もれた。痛みはほとんど感じないのか、静雄は大人しく臨也が薄っすら汗ばんだ額をしながらピアスホールを開けるのを待っている。
 臨也は「もう少しだから、」とやたら優しげな声で言うものだから、静雄はこいつは本当に普段俺と戦争を繰り広げている奴なのかと思った。そしてそれは臨也も同様で、マウントポジションを取られて大人しくピアスホールを開けられている男は本当に平和島静雄なのかと疑ったほどだ。
 耳朶に突き刺さったニードルは裏側の皮膚を破るのに少し力がいるのだが、難なく臨也は器用に開通させた。そして少し長めのそのニードルをずぶずぶと押し進めて行き、最後に小さく真っ赤なピアスを取り出すとそれを開通した穴に宛がって、ニードルの最後が抜けると共に挿し入れた。
 たった数分、二三分の出来事だったに違いない。
 額の汗を拭い、一仕事終えたような顔つきで臨也は「そのガーネット、似合うね」と笑んだ。
 そのときになって、静雄は初めてピアスの真っ赤な色合いの宝石がガーネットだと知った。さっきまで臨也の手の内にあったピアスは、柘榴のような色合いで、血液が赤いまま凝固したような色合いで、そしてそれは静雄と臨也のあいだに流れるものにとてもよく似ていた。
 初めて出会った日に流したナイフに切り裂かれたとき、静雄を視姦するみたいにじっと見ていた暗赤色の目に少しだけ近いかもしれないと二人は思いを馳せた。
 数分経ち、普段は痛みを然程感じない静雄だが、ピアスを開けた部分がジクジクとそこから腐るように痛んだ。それを見通しているかのように、臨也はニタニタと嗤いながら静雄の腹の上に座っている。いい加減退けと言いたかった。だが、満足げにしている臨也を見て静雄はなぜか口を噤んでしまった。
「――誕生日、」
「あ?」
「ちゃんと祝えなくて悪かったな、と思ってさあ。一応、ベタに誕生石選んでみたんだけどどうだった、」
 今日は月末だ、静雄の誕生日からは確かに数日過ぎている。
 確か当日は深夜に幽が電話をかけてきて、それで自分がひとつ歳をとったことを知ったのだった。つまりは忘れていて、相変わらずのように取り立て屋の仕事を遂行していた。それを、臨也は覚えていたという。
「悪くねえ、」
「ハハッ、素直じゃないよね。それもシズちゃんも、柘榴みたい」
 臨也は満足したのか、静雄の襟首を捕らえてそっと口付けたが「サングラス、当たるんだけど」と不平を漏らして再度声を上げて気が狂ったように笑った。一方、静雄は折原臨也とはこんなにも毒気の抜けた笑い方も出来るのかと、珍しいものでも見るように感心していた。
「そのピアスは俺への服従の証にしてよ。いつか俺がシズちゃんに飽きて、化け物にも人間にも関心がなくなったとしても、それでも君だけは俺の味方でいて、そして隷属してくれるという証。柘榴の意味は“愚かしさ”だって言うね――だから愚かしいほど俺に付き従ってみせて」
 そんなことを言いながら静雄のサングラスを外し、再度咬み合うように口付た。
 けだもの同士の喰い合いに似ているそれは、既に臨也と静雄にとってなくてはならないものとなっている。腹の上に座ったままの臨也の体温は温かかったが、それは寒い一月の末日なので静雄に触れた指先は思った通り冷たかった。冷え切った指先は凍えるようで、その温度はとても臨也に似合っている。折原臨也は静雄に対して外敵であり、それと共に気まぐれで強引にセックスをするような密な関係であり、そして所有者と所有物に近い存在だった。
 高校時代に狂ってしまった関係は、既に修復不可能でボロボロと毀れるばかりだ。
「これはガーネット、なのか」
「あー、うん。何、その色嫌いだった?」
「いや……」
 静雄は言えなかった。
(手前の目玉に似た色をしてるから、帰ったら捨ててやるよファックオフ。だから、今なら何しても笑って許してやるよ、言えっていうんなら好きだとも言ってやるよ。だから俺は帰ったらこのピアスを捨てるだろう。――だから、俺は帰んねえで手前の家に行ってやる)
 そんなことを思っているだなんて知りもしない臨也が嗤いを張り付かせながら「サングラス、してない方が俺は好きだな」とのたまった。
 雪が降るか降らないか微妙な曇天が、池袋の上を支配していた。それは二人の行く末のようでいて、いっそ降ればいいのにと二人は思いながら立ち上がり、土埃を払った。
 ジクジク痛む耳朶は貫通したピアスが入れてあり、そこに赤く光る小さな粒は燃え盛る血液の色をしていた――それは化け物の血の色だ。

0