【イザシズ】ツイン

Hasmi/ 3月 4, 2018/ 小説

 折原臨也は常々考えていた、池袋最強の喧嘩人形とも呼ばれる平和島静雄を自分の手の中に落としてしまいたいと思っていたのだ。
 来客の予定はなかったので事務所にあるソファに座りながら碁盤の上にチェス駒と将棋駒とオセロの白黒の駒を配置し、変則的なゲームを一人で楽しみながら「ああ何だ、簡単じゃないか――」と何かを思いついたのか独り言を言い、そしてすべての駒をザッと真中に寄せると一番上にキングを立てた。黒のキングが駒の上に立ち、白のキングは盤上から落ちている。
 ソファから立ち上がると、デスクの上のPCを起動させた。ヴー、と低い微かな起動音が無音の部屋に響き渡る。先程までつまらなさそうにしていた臨也の顔が、若干嬉しそうに口元を釣り上げたのを見ていた人間はどこにもいなかった。
 静雄を手の中に落とすということは、恋愛を意味していない。
 カチカチとマウスを細かく動かしながら、臨也はこれから起こることが面倒だが楽しそうだと思った。
 セックスや口付けで恋愛などというものを植え付けても、それは行為による感情の刷りこみだ。だが、他人のぬくもりを知らない男がそれを知ったらどうなる――傾倒してやがてそれらをする間柄は恋人同士なのだろうなど、勘違い甚だしいことを言いだすに違いない。甘やかし、甘やかし、睦言を囁き、そしてその蜜月みたいなものが煮詰まって完璧に恋人という名のものになる直前――全部、壊す。粉砕し、恋愛の瓦礫と残骸を残してやったら静雄はどうなるのだろう。
 やがて粗方の作業を終えた臨也は、デスクの上に幾つか並べてある携帯のひとつを手に取り、静雄へ発信した。この真昼間ならばまだそんなに忙しくないはずだ。出勤前かも知れない。
 耳元で発信音がしばらくしていた。臨也の携帯番号を知っているだろうから、もしかしたら着信拒否してあるのかと思っていたら、律儀なほどの態度で「もしもし」と不機嫌そうな低い声が聞こえた。幾ら静雄でも、受信した瞬間にいきなり怒鳴ることはないらしい。
「やあ、シズちゃん二日ぶり? 三日ぶりかな」
「臨也くんよぉ、俺がこれから仕事なの分かってんだろうなあ」
 額に青筋が浮くのが目に見えるような声で、静雄の声がする。
 そのパワーバランスの優勢を覆すように、臨也が普段の少し高い声を抑えて「そんなに好戦的にならないでよ。君の弟くんのスクープ写真、取引したいって記者がいるんだけど、シズちゃんがその気ならそっちには渡さないって話なんだけどなあ」と言うと、しばらく黙りこんだのか携帯越しに池袋の雑踏のざわめきが聞こえてきた。失敗するはずはない、と臨也はどこかで確信している。だから、静雄がやっと声を発して「俺に買えってことか」と聞かれたときは苦笑いしたくなった。静雄の給料で買えるスクープなど臨也が扱うものにはないのだが、やたらとやさしく「安くしておくよ、マンション知ってるよね」と告げて一方的に通話を切った。
 最愛の弟のスクープだと聞いて食いつかないはずがない。静雄は仕事を速攻で終わらせてきたのか一時間半後には臨也のマンションにいた。また取り立ての際に暴れたのか、バーテン服の蝶ネクタイは半分外れ、シャツのボタンも上から二個ほど開けてあった。全身は埃まみれだし、またガードレールや自販機を振り回したのか掌に食い込んだ跡が残っている。
 そんな静雄を見て、やや髪が乱れて額に汗を浮かせているのにそんな格好でもきれいな男だと臨也は思う。殺し合いばかりしてきた来神時代から、社会人となった今までに何度その顔を直視してきただろう。そんなにまじまじと見たことは少ないのかも知れない。会えば「死んでよ」だの「ぶっ殺す!」だのと言いあってきた。
 ――だがそれも、今日から変わる。残骸も残らないほどに壊してやる。
 静雄が靴を脱いで部屋に入り、とりあえず座れば、と臨也が目線で示すと大人しく無言のままソファに沈んだ。何か余計なことを言えば幽のスクープを垂れ流されると分かっているのだろうか、いつもより表情がこわばっていた。
「一応銀行で下ろしてきた……これでいいのか」
 静雄が殊勝な態度で尻ポケットから銀行の封筒を出し、テーブルの上に置いた。
 いーち、にーぃ、さーん、しーぃ、と封筒を開けた臨也が間延びした声で数える。
 中身は合計で四十五万だった。この男は馬鹿か、と臨也は内心嗤う。一流人気俳優のスクープが、たかが四十五万で買えるわけがない。
「シズちゃんさあ、これで足りると思ってるの」
「じゃあ、幾ら手前に渡したらいいんってんだ!」
 見たら分かるとおもうんだけど内容がこれだから相場より高いんだよねえ、と言いながらPCのモニタを静雄の方へ向ける。そして次の瞬間に凍りついたように固まる静雄がいた。
 モニタの中には全裸で四つん這いになり、明らかにラブホに見える室内のベッドの上にいる幽だった。それだけならまだしも、一緒に写っている一人の男の性器を咥え、もう一人いる男にはどう見ても犯されているものだ。上目遣いで性器をしゃぶりながら尻を犯されている人気俳優のデータの相場など、想像もつかないほどだ。静雄が最愛の弟の姿を見て、一瞬だが泣きそうな顔をしたのを見て臨也がほくそ笑む。
 その幽の写真は臨也が作ったアイコラだったが、静雄はそんなものを見抜けなかった。
 アイコラの幽から目を背けると、「金は借金作ってでも出すから、これは俺に売れ」と言った。
「別に金なら足りてるからいいよ、その封筒も持って帰れば」
 ただし――、と臨也は続ける。
「俺の犬になってみせてよ。首輪もいるならそこの抽斗に入ってるからさあ。厭だと言うなら、どこの新聞社でも出版社にでも記者にも渡す」
 そう言われて静雄が指差された抽斗を開ける。正直静雄には厭な予感しかなかった。そのなかには悪趣味なまでに真っ赤な首輪が入っていた。大型犬の首にはめるような首輪を持ち、静雄が振り返る。
 ふざけるなとでも言ってくれればいいのに、と臨也は内心若干いらつきながらも余裕を張り付かせた表情で見下した。
 赤い首輪を持ったまま困惑したように下を向いている静雄に近づき、「着けてあげようか」とその場に似合わないやさしい声音でささやいた。そしてシャツの襟を開き、首輪の留め金を外すとそれを静雄の首に巻いた。巻き、そして再び留め金を締める。赤い本革と金髪はコントラストがきれいで思わず溜め息が出そうになるほどだった。
 正面からその顔を見つめると、生白い肌が吸い付くように肌理細やかだったので何の気なしにその頬に手を這わせた。臨也を見遣る静雄の表情は、ついさっき見せられた画像のショックからか多少翳って見えた。
 恋愛というもののまがいものを教えてあげようか――臨也はにたりと嗤った。
 頬に手を這わせたまま、「きれいな顔してるよね」と静雄に言う。それは嘘と真実がないまぜになって、臨也もどちらか分からないほどだが女相手のときにはよく言うなあと思った。
「本当にきれい」頬を、鼻筋を、目蓋を、口唇をぺたぺたと触れてゆく。臨也が触れるので目蓋は強く閉じられていたのだが、好機とばかりに少しだけ上を向いて静雄の口唇へ自分のそれを重ねた。静雄は驚いたのか、目をまん丸くしながら見開いて固くなりながら目蓋を閉じればいいのか開けたままでいいのか混乱しているようだった。にたにたと嗤ったままの臨也が静雄の口唇から上下の歯を舌で抉じ開け、息が上がるほど激しく舌を絡ませた。臨也を突き飛ばして首輪を千切ることも出来るのだが、幽の件があるので静雄はされるがままに大人しくしていた。
「――ッ、ん」
 絡め合い、舌先を甘噛みされた静雄がほんのわずか喘ぎを漏らす。それはしんとした広い部屋に響き、そしてソファに吸い込まれていった。
 
 それから二週間、静雄はセックスを強要されることもなく、ただそこに居ればいいと臨也に言われてカートンで置いてあった煙草をひたすら喫って過ごした。ただ、マンションから出ないことと口付けを拒まないことを教え込まれていた。逆らったらスクープがどこまで広がるか分からないよ、と言って臨也が嗤った。
 臨也と同じベッドで寝るとき、度々首を絞めあげる首輪が邪魔に思えたが我慢できないほどではなかったし、その後何をされるか想像がつかなかったので外したいとは言わなかった。一緒のベッドで寝ているというのに、臨也は静雄を犯すことはなくただ気まぐれで口付けをするくらいだった。
 臨也は静雄の仕事を取り上げたくせに、自分はまめに仕事に出る。
「ただいま」
「おう、」
 分厚いドアを開けて帰宅した臨也を投げやりに迎えながら、静雄は喫っていた煙草を灰皿で揉み消した。煙草の先端が赤く光っていた。もう一度揉み消すと、完全に消える。
「シズちゃん、何してたの」
「寝室の本棚にあったやつ読んでたな、『銀河鉄道の夜』」
「アッハ、君がそんなもの読むと可愛いよねえ」
 そこまで言って静雄を見遣ると、静雄が腹の上に載せていた文庫本のページをめくって朗読をした。それは普段、臨也に向ける怒りに満ちたものとはまったく違う声音だ。
『「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」』
 そこまで読んで文庫本を閉じると、臨也、と切なそうに呼ぶ声がした。
「俺はこいつらの自己犠牲とか美談とか分かんねぇけどよ、手前にとっての『本当の幸い』って何なんだ――どうして俺をテリトリーに入れた」
「厭だなあ。俺は家に上げただけで、別にテリトリーに君を入れた覚えはないよ。寧ろ、入って欲しくないね。化け物と精神的共存だなんて吐き気がする」
 臨也はコートを脱ぎ、荷物をデスクに置くとソファに寝そべっている静雄に近づいて口付けをしようとした――だがそれを静雄が押し戻して、口唇は手のひらに押し付けられた。
 生意気、と小さく言うと静雄が文庫本で顔半分を覆った。何かと思っていたら、表情を読まれないようにしていることに気づく。それを剥ぎ取ろうとすると強情なほど静雄の手がそれを阻む。
「何でこんなに手前の行動に揺さぶられるのか、分かんねえ。俺に気が無いくせにキスだけして放置してる手前が憎い――殺してぇほど、憎い」
「アッハハハ、それがシズちゃんと俺の正しい関係だってことに今更気付いた? もっと憎んでよ、愛憎って言葉どおり愛の裏は憎悪だからいんじゃない。俺は人間しか愛せないからさあ」
 臨也がギッと音を立てて、静雄の赤い首輪を掴んだ。そして「犯して欲しいっていうなら、いますぐシズちゃんの望み通りにしてあげようか」と嗤いを浮かべる。両手を押さえつけ、上から見下す。
 静雄が身じろぎすると、なに真に受けてるの、と小馬鹿にした顔をした。
 その日の夜、静雄は熟睡している様子の臨也の顔を見つめていた。臨也の睫毛は鳥の羽根のように密集しているし、肌は静雄に劣らずすべらかだ。二週間前「本当にきれい」と臨也が静雄に言ったように、静雄は同じことを思う。きれいなのは手前の顔じゃねえかよ、と言いたいのに言葉には出ないでただ「こんな思いをするなら――本気で殺してぇ」と呟いた。
 それを目を閉じながら聞いていた臨也は、声を上げて嗤いたいのを堪えた。思い通りに動く駒のひとつが恋という罠にかかったのだ、おかしくない訳がない。
 静雄は子供のように体温が高いのか、臨也はシャツ越しに密着しながら心地の良い眠りに落ちていった。
 
 ――翌日、臨也が起きるとその体温が隣になかった。
 静雄の居た場所のシーツを触ると冷たさが伝わる。リビングの真ん中には、引きちぎられた赤い首輪が転がっている。しばらくその事実を受け入れることが出来ず、自分自身よりも弟を愛している彼がこんな行動に出るのは一体何があったのだろうと思った。
 ちぎられた首輪を持ち、それにそっと口付ける。それは金属と本革で出来ているので、静雄の高い体温のように熱くはなかった。なぜかふつふつと怒りが湧いてきて、手に持っていた首輪をヒステリックなほどに思い切り壁に叩きつけた。叩きつけられた首輪は派手な音を立て、床に落ちた。それはいままでの日常通り静雄にナイフを刺したときみたいに僅かでも血液が出る訳でもなく、ただの無機物でしかない。結局、静雄は臨也に屈することなく出ていった。
「死ねばいいのに、いますぐ死ねばいいのに――殺してやる」
 この二週間、静雄が気に入ったかのように度々寝ころんでいたソファに座る。
 一体自分は何がしたかったのだろう、と臨也は考えた。丁寧に幽のアイコラまで作って、嫌がらせの範疇だったと言えばそうだともそうじゃないとも言える。ただ一つ確定している事実は、静雄が完全に臨也のものにならなかったことだろう。
 臨也は自分が珍しく不安定になっていることに気づき、静雄が読んでいた文庫本を開いた――自己犠牲なんてナルシシズムの塊だと思いながら文字を追ってゆくと、カチャリとドアノブが音を立てて回された。ソファに座ったまま振り向くと、ばつが悪そうな顔をした静雄が玄関に立っていた。
「どうしたの、出ていったんじゃなかった? 馬鹿力で首輪千切ってさあ」
「コンビニに煙草買いに行っててよ、その……首輪したまま行く訳にいかねえだろ」
 ああ、この男は結局俺に墜ちたのか、と臨也は声を上げて嗤った。
 殺してぇと言った金髪の男と、死ねばいいのにと呟いた黒髪の男――二人は互いの関係なしに居られなくなってしまっていることに気づいていない。それが恋情ではなくおぞましいほどの憎悪であるのだと信じ込み、相手のうつくしい容姿を疎ましく思うのだ。この憎悪と同じくらい互いが醜い外見ならば良かったのに、と精神的束縛というものに捕まった二人は願う。もっと憎めば、もっと互いが特別な二人きりになれるということも知らずに――。

※『銀河鉄道の夜』は青空文庫から引用致しました。
 既に著作権が切れている作品です。

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