【黒研】 「ごめんね、」

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

 昔から他人に関わるのが苦手だった。ひとりというものはいいし、ゲームに没頭できている時間もこのましい。ただひたすら、高得点を狙って延々と繰り返しているうちに、パターンというものが見えてくる。それが見えた瞬間、パターンに勝った気持ちになれる。
 よく間違われるのだが、他人に関わりたくないからゲームに没頭するのではなく、他人に関わる必要が感じられないからだ。
 だがしかし、それを一方的に打ち破ってきたのは黒尾鉄朗というひとりの男だった。
 きっと、おれはクロがいなかったらいまよりもインドアになって、ひきこもりにでもなっていたかも知れない。
 クロは目立つ男だ――。
 誰といるときも、何をしているときも、寝ぐせだという髪型で見分けがつく。幼馴染という特権を利用して、おれはクロといくつかの秘密を共有した。それは幼いころの約束だったり、小学生の戯れだったりしたものの、自分が選ばれているということにおれは心酔した。

 ある朝、あまりの気怠さに学校をサボった。母親には熱だと言ったが、なぜ母親と入れ替わりにクロが入ってきたのだろうかと心底不思議に思った。
「なんだよ、サボりかよ」
 呆れたような声が、少し冷ややかで気持ちいい。この声はこのましい。ずっと聞いていたくなるような声音だ。
「……サボり、じゃないよ。実際にさっきまでは怠かったし、」
「いまは、」
「もう大丈夫だと思う、食欲も戻ったから」
 じゃあ、これ食えるな。と言ってクロが白いちいさなビニール袋から取り出したのは、ピンクの求肥につつまれたアイスクリームが二個入ったパッケージだった。暑い時期だからか、なかにはご丁寧に保冷剤が入っている。これは駅チカの限定商品で中にいちごが丸ごと入っている、クロがそこまで行くとは考え難かった。多分、彼の家族が家の冷凍庫に入れて置いたものなのだろうと推測をする。
 求肥につつまれたアイスクリームを、ベッドの縁にならんで食べる。
「つめたくなった、」と言いながら、アイスクリームのパッケージを持って冷えた手を、クロがおれの頬に押し当てたので、意趣返しのように同じく手を押し付けてやった。
 つめたい、と言われて急に悪いことをした気分になる。
 階下が静かなので耳を澄ませると、「おばさん、出かけるって」と言われた。そう言えば今日は、実家に帰る用事があると昨日から言っていた気がする。特に大きなことでもなかったので、流すように聞いていたことだった。
 しんとした家はクロがいるからと言えど静まり返っており、少し緊張した。
 そう、緊張するのはおれが悪い――。
 先日、女子に告白されているさまを見てしまった。その言葉を受け取らなかったことは、知っている。
「いまはそういうの、考えられないから」
 そういった言葉をかけるのを聞いてから、そっと立ち去った。じゃあ、なぜおれに構うのだろう。なぜ、なぜ、と何度も疑問符が浮かんで消えない。もしかすると、女に対するものと男に対するものは、クロのなかで決定的に違うのかもしれない。
 ただ、そのときのゾッとするような冷ややかな声が耳にこびりついてはなれない。
「課題、見てやろうか、サボり学生」
「……いい。なんで、そんなに構うの。クロは幼なじみだっていうからかもしれないけど、おれは……少し苦しい」
 そんな言葉を吐くと、珍しく驚いたような顔をしながらこちらを見つめているのがわかった。
「苦しいってなんで、」
「クロのそういった、聡いところと鈍いところが混ざってるのが苦しくて、呼吸がしづらくなる」
 とっくに気づいているくせに、クロは逃げない。
 こんなことで逃げていたならば、きっとクロじゃない。
「課題、は……大体終わってるから、」
「ふうん、ま、研磨の頭なら追試とか食らうこともないだろ、」
 そう言って、おれの髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。こんな顔の裏に甘い感情を隠し持っているだなんて気づかないくせに、と思いながら、それでもおれは無自覚という名の仮面を張り付けて最大限甘える。もっともっと甘やかして、おれが一番だってくらいにとろけるくらい甘やかして。
 求肥につつまれたアイスクリームのパッケージを、クロがダストボックスにきれいにシュートした。パサッと音がしてダストボックスへ落ちるそれを見ながら、おれみたいだな、と思った。
 クロは男女ともに人気があるから、きっとおれが好きだと言ったところで、普通にいなされるのだろう。もしかしたら、次に好きな相手が出来るまでの繋ぎにしてくれるかもしれない。
 ――ただ、いままでの幼馴染という関係を捨ててまで、それは出来ない。

 昼飯の時間になったので、「パスタでいい?」と聞くと、「お前、風邪っぽかったんだったら、俺にやらせろよ」と言われた。
 風邪っぽかったというのはすでに治っているものの、素直に甘えづらい。
「……でも、」
「ミートソースの缶があるから、これでいいんじゃねえの?」
「ん、じゃあそれでいい。なんか、ごめん」
 謝ると、クロが意味がわからないとでも言いたげに「は?」と言った。
「だから、ちょっと様子見に来てくれただけなのに昼飯まで作らせてごめん」
 そんなことを謝りたいのではない。
 勇気が出なくてごめん。クロのすべてを許せなくてごめん。臆病でごめん。
 そもそも、おれは怖がりなのだ。と、思う。
 クロに対して持っている感情は、これは恋情なのだと自覚している。してはいるものの、これをどう切り出していいものか、それとも秘めたままにすべきなのか分からない。大体、男同士が付き合うということのモデルケースを見たことがないので、どうしたらいいのか分からない、というのもあるのだろう。
 二人して一階のキッチンを漁りながら、昼食になりそうなものを探す。
「あ、パスタ一人分しかねえ」
「買いに行けばいいよ、」
「でもお前、風邪ひいて休んだんだろ」
「風邪じゃなくて、単に怠かっただけ。あと、クロが来てくれたらいいなって思ってただけ、」
 思わず少し本音が出ると、まったくもって分からないと言った顔をしながらこっちを見て、「なんだそれ、」と言われた。
 そう、わからないよね。だって、おれ自身にもわからないんだから、せいぜい悩んでよ。おれのことで頭をいっぱいにして、悩んで、これが恋だと錯覚するようなところまで頭いっちゃって。
「仕方ねーから、近所のスーパーまで行くか」
 冷静な声がして、おれは現実に引き戻される。
 炎天下のなか、おれたちはスーパーまで歩くはめになった。
 別にパスタじゃなくてもよかったのだ、米を炊いてもよかったし、素麺でもよかった。ただ、クロがパスタが食べたいと言ったからおれたちはそれを買いに額に汗を浮かべながらスーパーへ向かっている。
 一番近所のスーパーへ着いて、自動ドアのマットを踏みながらなかへ入る。
 そこは食材を冷やしているから当たり前なのだが、ひんやりとしていて心地よい。ただ、少し冷えすぎの感もあったがとりあえず二人してホッとした。
「外、死ぬほど暑いな、」と言われて頷くと、「スポドリ買ってかねえ?」と聞かれる。帰りに飲みながら歩こうと言うわけだろう。
 正午近くのスーパーのなかは、昼時なので閑散としている。
 スーパーは背の高い棚が並んでいて、届かないようなところにも商品が積んである。
 クロは当たり前のように中央で片手を繋いで、もう片手で買い物カゴを持っている。買いたいものがあると、「研磨、それ」と言っておれにカゴのなかへ入れさせた。
 これは単に手を繋いでいるだけだからセーフなのか、それとも世間的に見たらアウトなのかよくわからない。ただ、これに対して頬を染めるでもなく、好機だと思えるほどにはおれはしたたかだということだ。
 だって、もう何年もクロを見てきたんだから、いまさら手を繋ぐ程度は許されるだろう、というのが自分の見解だ。これくらいはきっとセーフなのだ。
 目当てのパスタを買い、ついでにスポドリ二本をカゴへ入れるとレジへ通す。さすがにそこでは繋いでいた手を離した。
 思わず「あ、」と言うと、「あ?」と返された。きっと、なぜ声が出たのかなんて分からないに違いない。
 ピッピッ、というレジの音が鳴って、パスタとスポドリはビニール袋へ詰められる。
 またスーパーの外へ出ると、ムッとした暑さと湿度が皮膚に張り付いてきた。
 ああ、屋内でゲームやってたいな、と思いながらもクロの隣を歩けることに嬉しさを隠すのに精一杯だった。顔を覗き込むようにして、質問を投げかけてみる。
「クロはさ、いま三年だけど進路決めてるの」
「適当な大学入って、バレー続けると思う」
「……そう、か。おれはクロがいなくなってから、バレー続けられるか分からない」
 ビニール袋がギシギシと音を立てる。
 おれにバレーに引き込んでおいて、ひとり先に行ってしまうのはずるい。
「研磨さ、俺のことわざと怒らせてんの? 叱って欲しいの、」
 家へのショートカットのために通った裏路地は、少し薄暗い。
 おれは初めて、クロが怖いと思った。バサッと音がして、スーパーのビニール袋が落ちた。
 強引に抱きすくめられて、口唇を擦り合わされた。
 情けないことに、高校二年生にもなってはじめてのキスだった。少しガサついた口唇が擦られて、ほんの少し痛くて、ものすごく胸の中心がじくじくと痛んだ。
「お前が優柔不断だと、これ以上ひどいことするかも」
「……クロがしたいなら、おれは……いいよ」
「怖くねぇの、」
 その問いかけに、おれは静かに頷いた。
 怖い、怖いよ。だけど、クロがしたいことはおれのすべてだから、だから怖くないよ。
 軽く笑ってから、「ガキの頃から変わってねーのな、」と言われた。それがどんな意味合いを持って言っているのかは分からないけれど、すくなくとも悪い意味ではないことだけは確かだったと思う。
 キスをされてから落としたビニール袋を見ていると、クロが拾って「帰ろうぜ、」と言って歩くのを促した。結局、いつまでたってもおれたちは同じ地点から進めないでいるのかもしれない。
 スポドリのキャップをひねり、飲みながら歩く。
「暑いな、」と言われれば「うん、暑いね……」と返すだけだ。取り立てて面白い会話ではないだろう、だから、クロがおれよりもっと面白くて有能なやつを見つけたら、きっとこの関係は終わるに違いない。
 ペットボトルの外装についた水滴がポタポタと落ちて、それは足あとのようになった。しばらく話さないまま歩いていたが、おれとクロは会話がなくても成立する。いや、そこまでの信頼関係というものを築いてきたのだ。おれにとっては唯一無二の、クロにとってはどうだかしらない。ただ、会話がなくても一緒にいられる存在というものはいいものだと、どこかで読んだのをおれは馬鹿正直に信じている。
 炎天下のもと、十五分ほど歩くとおれの家に着く。
 母親が出かけているというのに、クロは律儀に「お邪魔します、」と言ってふたたび家に上がり込んだ。
 ダイニングテーブルの上へ、「パスタとか置いておくな、」と言い聞かせるようにして荷物を置くと、「飯くらい作るの、任せろよ」と言ってキッチンへ行こうとした。
 そう、行こうとしたその手を掴んだのはおれだ――。
 掴んだのはいいものの、言葉をどうつなげばいいのか分からずに、ただひたすら外で蝉が鳴くのを聞いていた。きっと聡いクロはおれの気持ちなんて分かっているのだろう、だけれどもこれはおれのくちから告げなければならない。クロのやさしさに、甘えっぱなしではいけないのだ。
「……そ、の……キス、厭じゃなかったから」
 しどろもどろになりながらそう言うと、クロはニヤついた顔で「で?」と言って次の言葉を促した。
 促されたものの、おれはどう言えば正解なのか、そしてどう言うのが不正解なのか分からずに黙り込んだ。
「とりあえず、お前の部屋行った方がいいんじゃねえの」
 そう提案されて、そんなものなのかと思いつつ、中身の残っているスポドリのペットボトル二本を持ちながら階段を上がった。二階の部屋の、右奥、そこがおれの部屋だ。ごく普通の家庭の、何の変哲もない部屋。
 ドアを閉めると、「研磨、自分の言ったことの意味分かってるのか、」と聞かれたので、ゆっくりと二度頷いた。
「俺が何しても怖くない、」
「……多分、怖くないと思う」
 そう言うと、つかつかと近寄ってきたクロに手を引かれて、ベッドに放り投げるようにして押し倒された。そう、怖くはない。だってクロはおれを見出してくれたトモダチだし、キスくらいきっとクロは誰とでもするに違いないから。
「もう一度キスさせて」
 押し倒された状態で有無を言わせない体勢なのに、わざわざ断ってキスをするひとは珍しいんじゃないだろうかと思った。まあ、さっきまでキスなんてことされたこともなかったけれど。
 いいよ、と言うと歯列を抉じ開けるようにしてクロの舌が口腔内に入ってきた。ぬるりとしたそれはひどく熱く感じられて、まるで炎で熱せられているかのようだった。舌と舌を絡められて、息がろくに出来ない。それでも舌は侵入してきて、おれのくちのなかを食い荒らすように動く。
 胸のあたりを叩いて、苦しいという意思表示をすると口唇を離してくれたので、ぷはっと盛大に呼吸をする。
「慣れてねぇの、」と聞かれたので、「クロは慣れてんの」と聞くとニタニタと笑みを張り付けられた。クロがこういった笑みを浮かべるときは、たいてい何事かを考えているときだ。それはいいことも、わるいことも、何もかもを引っくるめてだけれど。
 シャツの下に手を差し込まれて、胸をいじられる。
 正直、男の胸なんか触って楽しいのかと思っていたが、その前提は覆された。キュッと乳首を摘まれた瞬間、「あ、」と短い悲鳴じみた声を上げてしまったからだ。それを聞いたクロが楽しそうに「きもちいい?」と聞いた。「よく分からない、」と答えると、執拗に乳首をいじられる。そこからは、自分でもはっきりとこれは喘ぎ声だと分かるような声ばかり上げさせられた。
「ひっ、ぁあっ……これ、や、だ……」
「研磨、これきもちよくねえの、」
 この男はずるい、と思った。
 きもちよくない訳がない、こうして馬鹿みたいに胸いじられてるだけで喘いで、ろくなことも喋れなくなってただひたすらに二の腕にしがみついている。
「……き、もちいい、」
 そう言うと、よく出来ましたとでも言わんばかりに、乳首を引っ張るようにして摘まれた。それは男は胸なんて感じないと思い込んでいたおれにとって、激しい快感と感覚で、あまりにも強いそれに飲み込まれるようにして泣いた。
 そう、ボロボロと涙をこぼして泣いたのはいつぶりだろうか。
「クロ……これ、きもちいい、」と言いながら、涙を流した姿は些か間抜けだったかもしれないけれども、急に与えられた快感というものに流されたおれは、そうするしか出来なかった。
 シャツのなかに差し込まれた手は、ぺたぺたと胸をまさぐっている。
 生理的な現象で、次第に下半身に熱が集まるのを抑えきれないでいると、それを察したのか「キツい?」と聞かれた。恐る恐る頷くと、下に履いていたジャージと下着を剥ぎ取られる。エアコンの利いた室内で、下半身になにも穿かないでシーツの上に座っていると尻が冷たい。へたり込むように座っていると、「膝、立てて」と言われる。
 この状態で膝を立てるのはかなり恥ずかしいのだが、そんなことを言ってもクロには通用しないに違いない。
 おとなしく膝を立て、壁側に寄り掛かるようにして座ると、無遠慮にその膝を割られた。クロに直接触れられてもいないのに、勃たせているのを見られた、と思った瞬間絶望で目の前が真っ暗になった。
「ご、めん……おかしくて、」
 そう言って謝ると、「俺も研磨のこと見て興奮してるんだけど、おかしい?」と言って、服の上から硬くなっている性器に触れさせられた。ああ、こいつはおれで興奮してくれてるんだ、と思うとどこか誇らしくうれしくなった。
 クロがジャージを下ろして下着もさげる。そこにはおれと同じように勃起しているものがあった。
 男同士のセックスと言えば、尻に挿入するくらいしか分からないおれにとって、これから起こることは恐怖の塊だったがクロが「挿れないから、」と言ったので幾分か気は楽になった。
「研磨、脚広げて」とささやかれるがままに脚を両側に広げると、硬く勃起した性器同士を擦り合わせるようにしてクロが二本同時に掴んだ。
 そのまま、二本同時に両手を使って扱く。おれは他人に扱かれた経験なんてなかったので、意識が飛びそうになりながら必死でクロの二の腕にしがみついていた。
 二の腕にしがみついているのがキツくなってきたので、その広い背中に手を回す。上半身はシャツを着ていたものの、俺が引っ掻くようにして爪を立てたので後で痕になるだろう。
 痕が残ればいいな、と少し思った。
 おれとクロが、こうしていた証拠が残ってしまえばいいなと。
 クロ、クロ、と息を切らしながら喘ぐ合間に呼ぶと噛み付くようなキスをされた。何度かされたそれは、やんわりと食むようなものと違い、喰い合うようなものだった。
 もっと甘いものをくれればいいのにと思いながらも、その喰い合うようなキスがいかにもクロっぽくておれは少し笑った。
 根本から先端まで扱かれて、何度も声を上げた。
 二人分の先走りが混じり合って、ぐちゅぐちゅと音を立てる。それは淫猥なようでいて、どこかかなしいものだった。
 おれはこれからのことを考えながら、薄い空気を取り込むようにしてはくはくと呼吸をした。これからのこと――例えば、今後のクロとの関係とか、クロに恋人が出来たときに祝えるかとか、そんなくだらないことだ。
 未来の、おれのしらないクロの恋人に対して「ごめんね、」と思いながら身体を委ねた。
 そして、その女か男に対しておれは挑戦状を送るようにクロの肩を噛んだ。キスマークの残し方をしらなかったので、噛み痕くらい残ればいいなと願いながら、そっとその滑らかな皮膚に歯型を残した。

 いつか、いつか黒尾鉄朗に恋人ができたとき、おれ――孤爪研磨は笑って送り出すことが出来るだろう。
 全面的な笑みを浮かべることはまだ苦手なままだが、はにかんだ顔をして「よかったね、」と言って幼馴染という存在を祝えるだろう。例えそれが、歪んだ目線で見つめている未来だったとしても。
 白濁が飛び散って、それはおれたちの腹と下半身を汚し、これからの関係をも汚したことに気づくにはまだ幼すぎた。

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