【黒研】海の色を教えてよ。

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

 春の、海が見たいね――と、珍しくおれがいったからかクロはすこし間を開けて考えながら「あー、海な」と返した。普段のおれと春の海が結びつかないのか、その間はすこしずつ延びて延びていく。いまこの場所はラブホテルで、おれたちはセックスの真っ最中だったからか戸惑ったクロが「いま?」といった。
「いま、な、訳ないことくらい考えてよ」
 前半はクロがおれの身体に押し入ったから、言葉が途切れた。シーツを蹴る踵の感触が、ひどく心地よかった。どんなに我儘をいってみせても、なにもかもを笑ってゆるしてくれるひと、それが黒尾鉄朗という男だ。クロは大学一年に、おれは高校三年生になった。それでも、こうして会ってくれるし抱き合ってくれる。
 おれに対して、ひどく甘いのだと思う――。
 そんなことを考えていると、ギッとベッドのスプリングが軋んで身体の奥まで挿し入れられた。はっ、と溜息のように息を吐けば、すこし身体が弛緩するのが分かる。そうすることにより、更に奥の方へ性器は押し入っておれを暴く。あまりにも何度も繰り返されるセックスに、クロの体力を心配したりしながらおれは喘いだ。
「ねえ、」と呼びかけると、必死に腰を打ち付けながら「なんだよ、」と答えられる。なんでこんなにやさしいの、と聞こうとして「……な、んでも、ない」と切れ切れに返した。おれから呼びかけておいて、何でもないというのはすこしおかしいかもしれないが、それでもおれたちのあいだにはよくあることだった。無責任におれが言葉を放り投げて、クロが返す、そしてそれをおれは投げ返さない。
 別におれは無責任な言葉をかけたくてかけているのではない。ただ、その瞬間に似合う言葉と違う言葉があるというのはわかってほしい。あ、この瞬間は違うな、と思えばおれはくちを噤む。だから、往々にして消える言葉というものが出来てしまうのだ。
 クロがおれの身体を内側から抉るようにして身体を動かすので、「それ、すき」と返すと「研磨、わざとやってんだろ」と言われる。おれはなにも意図していないし、意図する暇なんてないほどに体力を消耗している。なにがわざとなんだろう、とぼんやり思いながらおれは掠れた声で「……いい、からもっとしてよ、」といった。
 従順なクロはおれのいった通り、深く抉るように身体をつかう。一瞬、「ひ、ぁっ、」と情けない声を出しながらも、おれは感覚の海に落ちてゆく。そして、困ったなと思った。前まではいつもアルコールのせいにしていたものの、いまのおれたちは素面だ。アルコールが関わっていない。クロは身体を途中まで気遣っていたけれど、段々余裕がなくなってきたのかおれは荒く扱われる。身体がギシギシというようで、それは体感なのかそれとも実際に音がしているのだろうかと思うほどだった。
 背中をのけぞらせて喘ぎ、爪先にすこし力が入って攣りそうになる。別に男女じゃないから正常位にこだわらないでもいいのにな、と思いながらも、クロはこの体位が好きだ。研磨の顔が見たいから、といっていつもするときはこうしている。
 男同士でのセックスに前準備が必要なのは面倒だけれど、覚えれば案外すんなり出来るものだなあ、などと思いながらおれは犯される。くちからは「あ、」という声が何度も出て、止まらないでいる。突き上げられるたびにそれは垂れ流されて、いやらしさを掻き消すほどの音量でラブホの部屋に反響した。
 あまりにも力強く犯されるので、おれは潰されて圧死してしまうような気になって踵でシーツを何度も蹴った。そのたびにクロの身体のしたにずるっと下がって、結果的に性器は深く捩じ込まれるかたちになる。
 多分、結合部はもうグチャグチャになっていることだろう。そんなことを考えると、おれは自分の性器が更に硬くなるのが分かった。
 いや、グチャグチャになっているのはおれのこころだ。いま性器が捩じ込まれているのは、おれのこころの代償でしかない。
 クロは大学楽しいのかなとか、おれといるののどっちが楽しいのかなとか、そんなくだらないことを考え始めている。そんな時点で、おれはクロに負けている。別に勝ち負けなんてないのだけれど、考えてしまうことは仕方がない。
「春の、海で……死のうよ、」
 吐き出すようにそういったものの、クロの身体は動きつづけているしおれは生きている。
「二人で?」
「……クロはいや?」
 疑問形に疑問形で返した。すこし甘えるように、そしてその甘さを滲ませながらいわれることにクロが弱いことをしりながら、おれは敢えてそうする。
 きっと春の海はおだやかで、波も荒れることをしらないで、そしてすべてを受け入れることだろう。空はすこし曇った花曇りの日で、遠くでは桜が咲いているにちがいない。真っ昼間、二人きり、海――そんな三つのワードを組み合わせると心中という言葉が出来上がる。
 砂は歩くたびにキュッキュッと鳴いて、まるでネズミか何かがうもれているように感じるかもしれない。そして二人はそれを踏みしだきながら波打ち際まで行き、手を取るのだ。
「――研磨、研磨!」
 おれは自分の妄想に溺れていたことに気づき、目の前のクロが眉を下げているのを見て何となしに「ああ、」と思った。
「一緒に死んでやるよ、」と言われながら、おれの身体は更にギシギシと音を立てて犯された。あまりにもやさしいから、だからつけこみたくなってしまうのだ、と正直にいえばいいのだろうか。そんなことを思っているとこれが最後のセックスのような感覚におそわれて、おれのくちからは気が違ったように声が上がった。
「……はっ、ぁ、クロ、ごめんね」
 出会っちゃってごめんね、という意味でいったのに「謝るなよ、」といなされて、おれは喘ぐしか出来なくなる。安っぽいAVに出ている女優のように、ただただ喘ぐしか出来なくて、情けないとともに目の前の男がいとおしくてたまらない。黒尾鉄朗は律儀な男だ――だから、バレー部の主将も面倒がらずに引き受けたし、それ以上に実力がともなっていた。おれは、そんな男に愛されているということが誇らしかった。付き合っているとは明確にいってはいなかったものの、昔からおれたちはセットで数えられていたし、音駒に入ってもすぐにバレー部を選んだ。そこにクロがいたからだ。おれたちは惹き合うしかなかった。
 こうしてセックスをするようになったのは、クロが音駒を卒業した日からだ。最初はアルコールのせいにして、次もアルコールのせいにした、それからしばらくそうだったが今回は違う。素面だというのは、こんなにも逃げ場がなくて怖いものなのだとおれたちはしった――すくなくとも、おれはしったのだ。
 まるで翳のないような男に愛されながら、一緒に死ぬとまで言わせるおれはどんなに業が深いのだろうかと思いながら、その言葉がひどく嬉しかった。だから、死ぬまでその言葉を胸にいだいていこうと思った。
「研磨、そろそろいきそ、」
「うん、おれでいってよクロ」
 何度目かの互いの射精を経て、おれたちは解放される。いつもこの瞬間がとても恐ろしい。次回がないような、そんな気がしてしまって離れるのが怖い。そういってしまえばいいのかもしれないが、何となくいえずにいた。
 体内からズルッと引き抜かれたあとは、しばらく感覚が残っていて身体が疼く。これは何度繰り返してもいいことだが、黒尾鉄朗という男はひどくいやらしい。セックスの最中も、引き抜く動作も、セックス自体を手伝ってくれるところも何もかもにいやらしさが漂う。だがしかし、それは下品なものではなく淫靡なものだ。
 精液の溜まったコンドームを投げ捨て、「シャワーは?」と聞かれたものの、答える体力も残っていなかったので背中を向けて丸まっていた。
「研磨ー、シャワー浴びねえの、って黒尾さんが聞いてるんですけど?」
「クロ、先でいいよ」
 かろうじてそういうと、「湯、張るか」というのが聞こえた。風呂に湯を張るといっているのだろう。同意を求められているような気がしたのでうなずくと、楽しそうに「待ってろ、」といわれた。
 なんでこんなに楽しそうにしていられるのだろう、と、おれはクロがすこし怖くなる。アルコールのせいにしないで、素面で初めてセックスをしたというのに怖くないの、と聞きたくなってしまうのだ。
 クロは強いひとだから、多分「怖くなんてねえよ、」とでもいうのだろう。すこしうらやましいな、とおれは思う。したたかさもなにも、おれには無いものだ。無いものは欲しくなる。
 十分ほど経つと、「風呂入るぞ、研磨」という声がした。
「えー、怠いからいい」と答えたものの、「いいから、」といっておれは手を繋がれたまま風呂場に放り込まれた。
 シャワーを向けられたりしながら、おれたちは無為に過ごす。髪を下ろして別人のようになっているクロが「海、そんなに行きてーの、」と聞いた。
 行きたいっていうかクロと死にたいんだけどね、などというまでおれの勇気はなく、いえずにいると「海見せてやろうか?」といった。
「……は?」とおれが返した瞬間、クロが浴室の壁面にあったスイッチを押した。そうすると、パッと浴室内の天井や壁面の色が変わって真っ青になった。いや、真っ青になっただけではなく揺らめいている。ゆらゆらと揺らめき、水の反射している様もよく見える。まるで海のなかに落とされたような、そんな感覚に陥った。
「なに、これ」
「ウォータープロジェクターとかいうの、だな。部屋選ぶとき、面白そうだからこの部屋取ってよかった」といって、クロは擬似海中にいながらも楽しそうに笑む。
 おれが見たいのはこんなにしあわせそうな海のなかじゃないんだよ、といいたいのに、おれはいえずにいた。
 いまのおれたちがいるのは温かな湯のなかで、まるで母親の羊水かなにかに落とされたように落ち着いていて、想像の春の海とはまったく違った温度だった。ここには冷たい海水も無く、ネズミの鳴く砂も無く、骨のように白く長細い流木も無い。すべてが違っていて、そしてしあわせというもののなかに落とし込まされていた。
 こんなの違うよ、といえればどんなに楽だったろうか。だけれども、それはおれのくちから零れ出ることはなかった。
「なあ、研磨。俺、どんなにゲーム買われても気にしないくらい稼ぐから」
「……うん、」
「だから俺と生きて。精一杯二人で生ききったら、一緒に死のう」
 これだから黒尾鉄朗という男はずるい、とおれは何度でも思った。でも、ずるいというのはそれを認めきったことの証明のようでいてすこし恥ずかしく、「そうだね」というしかなかった。
 クロのこれはいわゆるプロポーズの代わりなのかな、と思いながら、おれは何度でもうなずいた。後々、撤回するくらいゲーム買ってやろうと考える。
 海の底で溺れてしまったかのように二人してゆらゆらと揺れながら、例え生きづらくても、それでもハッピーエンドは流れるようにつづいてゆくのだなあとおれは思った。

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