【黒研】夏に滲む本能

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

 一昨日から冷蔵庫おかしいんだよ、という言葉を聞きながらおれは頼りなさげな扇風機の風に当たりつつ、目の前におかれた麦茶をひとくち飲んだ。コップのなかにある氷が融けて、麦茶が薄まる。もう何度も泊まりに来ているクロの部屋は、先々月から付き合いはじめているという事実を突きつけられて二人きりだとなんとなく緊張してしまう。
 二人とも、暑いのでTシャツにハーフパンツ姿で並んで座っている。まるでこれから海にでも行くような格好だなあ、と思いながらおれは扇風機の風を浴びる。それはすこし古い型なのか、強普通弱、の三つしか選択肢がない。タイマーなど、余計な機能は一切ついていないさっぱりしたものだ。
「冷蔵庫壊れたなら、食料持ってうちに来ればいいのに。クロ、変なところで遠慮するよね」
 そういうと、クロは薄っすらと汗ばんだ額を拭いながら「別に遠慮じゃねーの、」といった。おれからしたら遠慮でも見栄でも何でもいいのだけれど、食材が全部腐ったりしたら大惨事だなあとおもう。
「おばさんとおじさんは?」
「近くの親戚の家に、食材置いてもらいに行った」
「……うちでよかったのに、」
 調子おかしい冷蔵庫で、よく氷出来るね。というと、「冷凍庫部分は生きてるんだけど、冷蔵庫部分の機能が壊滅状態」といっていた。
 とりあえず、夏休みにはいったことに対してかんぱーい。といいながら、氷の融けかけている麦茶のグラスとカチンッ、と軽くぶつけた。
 この日はクロが学校から借りて来た、各校バレー部のDVDを見ながら課題を見てもらうことになっている。デッキに既にDVDがセットしてあるらしきことを確認してから、おれがリモコンを取って画面を切り替える。
 ――そこに大写しになったのは、白い肌とおおきな目の女の子がセックスをしている様だった。
 おもわず数秒固まってしまったものの、そのあいだ、モニタからは音量控えめとはいいつつも喘ぎ声が溢れ出ている。多分、バレー部のDVDはまだ入れてなかったんだな、ということを察しながら「これ、クロの?」と半ば呆れながら横顔をのぞいて聞いてみた。
 いつもの堂々たる佇まいはいずこへ、といった感じでクロの目線はウロウロと床を泳いでいる。
「ねえクロ、これ借りたの? それとも買ったの?」
「――借りたっつーか、押し付けられたみたいなもんで、」
「ふーん、この子可愛いね」
 停止ボタンを押すでもなく、おれがまじまじと画面を見つめているからかクロは固まったまま何もいえずにいた。おれとクロは先々月から付き合っている関係ではあるけれど、セックスにまでは至っていない。これは高校生男子にあるまじき、遅々とした進展だとおもっていた。
 AV女優が喘いでいるのに、おれたちは何もしていない。ただ、ほんの少し気まずいような感じになって女優の喘ぎ声を室内に響かせているだけだ。
 カラン、というコップ内につまった氷が融ける音がして、クロは落ち着きを取り戻すかのように麦茶を一気飲みした。扇風機がパタパタといわせながら、羽根を回している。おれとクロの思考も、扇風機の回す空気のように対流しながらぐるぐると行き来する。
 クロさあ、というとほんのすこしビクッとするのが見えた。いつもひとの中心にいて堂々たる佇まいをしている男が、おれのひとことでそんな風になってしまう。
「ねえ、クロ――本当はおれなんかより女の子と付き合った方がいい、って思ってる? おれは女の子じゃないからこんなやわらかそうな身体とか、結婚とか、親に紹介とか全部は無理だってしってる」
 そういうと、クロがリモコンに手を伸ばして電源を切った。音量は抑えていたものの、甲高い女の子の喘ぎ声がひっきりなしに聞こえていたのに、ボタンひとつでそれは掻き消える。
 窓を開け放って扇風機のぬるい風に吹かれていると、いつの日かを思い出すようなノスタルジック的な雰囲気に浸ってしまう。もう何年も何年も、この部屋でこうしているような気になってしまうのだ。
 そんなことをおもっていると、クロが「は、」と深く息を吸って一気に言葉を押し出した。
「俺、は――研磨じゃないと駄目だって分かってる。言い訳にしかならないけど、さっきのエロビもすこし観てみたら、やっぱり研磨の方がいいって思って入れたまま忘れてた」
「クロはおれとセックスしたいの、だって結婚も出来ないし、子供だって作れないし、親に言えるかも分かんないんだよ。付き合ってるっていっても、いままでと変わらないし」
 俺がどんだけ怖いか知らねーんだろ、とクロがいう。
「研磨がいったその言葉を全部返してやりたいくらい、俺が世間ってものに怯えてるって分かるか? 確かに怖い、ああ怖いよ。でも、俺が出会った時から好きなのは研磨だってことに間違いはないし、間違ってるなんていわれたら常識というものから外れてもいい。俺たちだけの、俺と研磨の常識を作ればいいんだ」
 黒尾鉄朗という男は、こういったことを言い出すと強いんだな。とおれは感心した。
 性格的にはトリックスターのような男だが、しかし、性格とバレーのプレイはしなやかさが通っている。そして、いつも有言実行という言葉が相応しいように、おれにいったことは必ず成し遂げてみせるのを、もう十年以上もそばで見ている。
 そんな男が、こんなおれに――孤爪研磨に好きだとか甘ったるいことをいうだなんて、きっと誰もしらないに違いない。いや、じゃれ合っている姿や声はみんなしっている。だけれども、ここまで本気になっていることは、誰もしらない。
 隣に座っているクロに、「セックス、したい?」と聞いてみるとすこし間があってから頷かれた。
「じゃあ、おれとクロだけの秘密にして」
 そういいながら、クロのハーフパンツにそっと手を差し込む。さっきまでAVが流れていたからか、それは硬く半勃ちになっており、先端から先走りが溢れ出ていた。先端をいじるとクチュクチュといやらしいような水音が響いた。
「研磨、」とだけ言葉を発したクロがハーフパンツを自分で膝まで下ろしたかとおもっていると、おれの服と下着も膝まで下ろした。
「脚の上に座れよ。研磨のと俺の一緒に扱くから。一人だけ気持ちよくなってもしょうがないだろ、」
 そういわれたので、いわれるがままに脚の上へ座る。扇風機が回っているものの、ジメッとした陽気なので湿度が高いのか密着した皮膚が互いに張り付いたようだった。
 クロが自分の性器と、おれのを二本同時に扱く。ニチャッ、と粘着質な音が立った。おれはどうしていればいいのかとおもっていると、頸の後ろに手を回せといわれたので、いわれるがままの姿勢でクロにくっ付くことにした。
 露出している部分の皮膚が、熔けるようだった。暑い。熱い。と思いながら、おれはクロのおおきな手で扱かれる。一番下から陰嚢をやわやわと揉まれたかとおもうと、ズルッと下から上まで両手で擦り上げられた。
 多分、挿入とかもしてみたいんだろうなあとおもいながら、おれはそれでもここで留まっているクロの理性に感謝する。いきなり、挿入したいといわれても下準備も必要だろうし、ローションなどもないからだ。
 二本一緒に扱かれていると、先走りが先端で混ざってドロドロにヌメるのが分かった。そんなあいだも扇風機は回り続けていて、生温い風をおれたちに送っている。
「キス、して」といいながらクロにしがみついていると、そっと口唇を当てられるようなキスをされた。こんな擬似セックスの真っ最中なので、当然もっといやらしいキスをされるものだとおもっていたけれど、何よりもおれは大切にされているらしい。そっと、そっと、最初から焦ることなく、といった姿勢が垣間見える。
 おれは逃げないよ、と耳元で囁くと「そうだな、」といわれる。
 それなのに、何度も繰り返されるキスはただ触れるだけの甘ったるいものだ。もっと狩猟をするかのような、激しいものをされるのだとおもいこんでいたので、クロは余裕なんだなあと実感する。
「ねえ、クロ。今度、ちゃんとセックスしてみようよ、おれあんまり経験ないしセックスはクロが初めてだけど、色々我慢するから。だから最後までおれとして、」
 切れ切れの声でそういうと、答える代わりにおれの性器は何度も激しく擦られた。勿論、クロの性器も一緒に握られているので、熔ける鉄のように熱いのと脈が同時に伝わってくるようでおれは興奮する。下半身に意識が集中し、脈打つたびにクロとおれの性器は融け合うようになる。
 このまま、麦茶のなかの氷が融けるようにひとりの人間になれたらいいのにな、などとおもう。
「……ひっ、ぁ、クロ、それいい、」
 鈴口を軽く弄られて、おれは自分でも信じられないほど喘ぐ。いいとか、気持ちいいとか、普段のおれであったらいえないような言葉が軽々と出てしまうことに自分で驚いた。
 どのくらい時間が経ったのか分からなくなった頃、「クロ、そろそろいきそ」とおれがいうと「俺もいく、」といっておれたちはほぼ二人同時に吐精した。量はすこし多かったものの、クロが手ですべて受け止めたので下半身はほとんど汚れないで済んだ。何となく、そう、何となく二人して向かい合って笑ってしまった。
 
 
 ウェットティッシュで下半身を拭き、扇風機の風量を『強』にしてから窓を更に開け放つ。麦茶を飲もうとしたら、とっくに氷がすべて融けてなくなっていた。テーブルの横には、クロが冷蔵庫から持ってきた生温い麦茶の入ったデカンタがある。ピンクの蓋の付いたデカンタから、二人分の麦茶を注いだクロが「早く冷蔵庫直んねーかな」といった。
 室温になった麦茶をすこしずつ飲み、飲み干した頃には室内の精液の匂いはほぼ消えていた。
「もう一回キスして」というと、おれの手の上に手を重ねて、逃げられないようにしてから舌を挿しこむようにしながらキスをされた。手に手を重ねられたのは、何となく夏休みの昆虫採取の虫ピンみたいであり、もう逃げられないというのが決定付けられているようでおれは嬉しくなった。
 虫ピンで刺されて、逃げられないようにされているのはどちらなのだろうかとおれは考える。
 そんな考えも、蕩けるようなキスの前には無力だ。何度か舌を絡められ、唾液の味を感じながら、おれとクロは駄目になってゆく。夏の灼けるコンクリートの上で、チリチリと羽根を焦がされる蝶々のようになってしまう。
「あっついからシャワー浴びるか、どうせ夜まで親帰ってこねぇし」
 そういいながら、クロが楽しそうな笑顔を見せる。多分、おれとクロの残滓はそこで洗い流されて、排水口へと消えてゆくのだろう。なにものにもなることの出来ない、二人分の精液がぬるま湯に混ざって消える。そんなことを考えていると、「研磨、暗い顔してんなよ」といわれてしまった。
「別に、暗い顔なんてしてないしこれでデフォルトだよ」
 精一杯、おれは嘘をつく。多分、これからもクロに対して嘘をつくのだろう。
 クロの女の子に対する本能というものが正直にならないように、おれはこの身体を差し出してゆくに違いない。この身体と精神は、黒尾鉄朗という血液が巡らなければ死んでしまうか弱き身体だ――。

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