【猿美】泣かないような恋がしたい

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

 きもちいいのに、きもちよくなくてなぜか泣きたくなるときがある。
 口唇を擦り合せて舌を挿し入れると、それをやんわりと噛まれて思わず声を漏らす。いつまで経ってもキスが下手だと言われるが、俺は自覚しているほど不器用だし、こんなことにも得手不得手があるのだからしょうがないと自分に言い訳をする。それよりも、舌をやわやわと食まれると全身が震える。
 薄っペたい男の胸なんて触って楽しいのかよこいつ変態なんじゃねーの、といつも思うのだが、まぎれもなく男である俺の胸はムニムニと揉まれる。些かしつこいほどいじられたそれはじきに感じ始める。寒い部屋の温度と刺激でツンと勃った乳首は、爪を立てられた。
 ベッドの上に二人向き合ってペタンと座りながらキスをして、俺はいいように胸をいじられている。
 制服のループタイはとっくに外され、ワイシャツもボタンを外されている状態だ。
 きれいに整えられた爪が、俺の乳首に食い込むたび、下半身からぞくぞくと悪寒のようなものが背筋を駆け抜ける。一瞬、鳥肌が立ってぶるっと震える。
 寒いかと聞かれて頸を横に振ったのに、手を伸ばしてエアコンの調整をしてくれた。こいつのこーゆー気の利くところは好きだ。
 すぐに温風が部屋に満ち始め、俺は暖まるとともに、こころのどこかが弛緩するのを感じていた。
 胸をいじっていた手が、肋骨の骨格に合わせて指を這わせる。
 その這い方は、どこか動物めいていて俺はわずかな恐怖を感じる。
 肉食の動物が、獲物を仕留める映像を小学校の授業で見せられたことがあった。ガゼルという脚の細い動物の首筋に、ライオンの歯が立てられ、そして血飛沫が飛ぶのが幼心に衝撃的だった。そう、こいつの触れ方はそんないきものに少し似ている。
 そっと、大切そうに触れるのに、確実に仕留めて自分のものにしたがるところとか。
 一本、一本、肋骨の凸凹に沿って指が動く。
 執着で彩られた指先が少しくすぐったくて、キスしていた唇を離して笑った。
 指先も爪も髪も何もかもきれいだと思う。ふわふわとした甘い匂いをさせている同級生の女と較べても、下手したらこいつの方が睫毛が濃くて長いんじゃねーかと思うほどだ。まあ、甘い匂いしないけど。口も悪いし、しょっちゅう舌打ちして怠そうだけど。
 肋骨を触っていた手が、あちこちを俺の身体中をぺたぺたと這いずり回る。
「――美咲、」
 うつむいて身体に触れてくる手を眺めていると、突然名前を呼ばれた。
 顔を上げて視線を合わせると、もう一度「美咲、」とゆっくり口に出された。
 俺でも分かるくらい独占欲にまみれた声を出されるのは、何だか嬉しい。いままで誰も、こんな声で俺を呼んだことはなかった。
 いつ見ても、こいつの顔ってきれいだなと思いながらゆっくり動く口を見ていた。
「なんだよ、」
「いや、別にー。お前って陰険面してるよなー、サル」
 そう言ってみせると、フッと笑って頭を傾げると頸筋に歯を立てられた。
 頚動脈の上だ。そうだ、いつか二人きりの世界がブッ壊れたときは俺を殺してくれよ。と柄にもないことを思った。
 白くてきれいな歯が、そのままやんわりと皮膚に食い込む。
 ――まだ、痛くない。
 ジッとしながら何をされるのか待っていると、若干強めに噛み付いた歯のあいだから舌先で舐められた。思わず、ぞくりとしてちいさな声を上げてしまう。
「童貞のくせに淫乱、」
 噛み付いていた歯型、そして唾液で濡れたそれを手で拭ってくれながら、そんな言葉を吐かれる。
 俺は自分が変な声を上げてしまったことが恥ずかしくなり、ベッドの上で膝を抱えて三角座りをした。
「そ、んなんじゃねーよ! 猿比古があんなことするから!」
 慌てて撤回したものの、ニタニタとした笑いを張り付かせたままこちらを見ている視線が気になってしょうがなかった。
「じゃあ、今日は遊ばねえの」
 その言葉は、ひそかな意味を秘めている。
 意味が分かってしまったいまの関係を頭のなかで振り返りながら、「う、」と唸って下唇を噛み締めた。
「なんでお前、遊ぶとか遊ばねーとか言うの? 俺のこと、童貞だからって面白がってんじゃねーぞ」
 精一杯、言葉と思いをぶつけて言ったのに、多分こいつは分かってねーんだろう。
「好きだって言えばいいのかよ。じゃあ美咲、お前のこと好きだからまたキスさせて」
 少し斜めに頭を傾げて、キスさせて、と言われる。
 その角度が、もっとも整って見える角度だと自分で知っているのだろうかと思い、俺はなし崩しにふたたびキスをされることになる。
 口唇が触れ合うと、さらりとしたこいつのそれに較べて、少し荒れてガサついた自分の薄皮に気付く。そんなことを思っていると、何度か啄むようにしてキスをされた。
 薄ら口を開けると、ぬめった舌がそのあいだに侵入してくる。
 絡み合う舌は、生温かくてきもちいい。
 身体の内部ではないのに、舌というものは剥き出しの粘膜と肉のかたまりで、少しざらりとしているのに触れるとくすぐったい不思議な部分だ。
 二人の舌が、口のなかでぬめる。
 下手だ下手だと言われても、初めてしたときよりはまともになった、と信じたい。
 目を瞑っていると、舌の感触がよりはっきり伝わってきて興奮した。息が荒くなって肌が粟立ち、緩やかに勃起するのが分かった。
「家、ちょうど誰もいねぇし抜いてやろうか、」
 少し意地の悪そうな顔と声音に、胸が跳ねた。
 何も返事が出来ないままでいると、強引に制服と下着が剥ぎ取られた。中途半端に開いたシャツとベストの裾を伸ばしていると、「ほら、美咲、脚少し開けよ」と言われる。
 膝を立てて三角座りしていた脚を左右に割られた。
 何度かこんなことをしてきたが、いつだって気恥ずかしいのを味わうのは俺だけだ。
 内腿をそっとさすられる。皮膚の内側がぞわりとするのを感じる。
 しかし眼鏡外したときのこいつの顔だと、何だかきれい過ぎて気まずいなと思う。いや、男相手にこんな状況でそんなことを思うのも相当アレだ。
「触られたい?」
「別、に」
「チッ……こんなにしておいて、我慢すんじゃねえよ」
 そう言われながら、そっと両手で握られる。自分でするのとは違う、猿比古の手の圧迫感が心地よかった。俺は意識を飛ばしそうになりながら無様に口を開けて喘ぐ。
 畜生、好きだ。と思いながら、俺は犬のように声を上げる。

 別に俺たちは付き合っていないが、たびたびこんな真似をしていた。
 正直に言えば、俺は猿比古に告るのが怖い。
 ただの遊びだと言われている方が、辛いけれどもまだマシなのかもしれない。現に、猿比古は俺のことを好きだと口に出すけれど、付き合おうなどとはっきり言われたことはなかった。
 執着の濃い声を出すくせに、好きだと俺に言うくせに――俺は猿比古の気持ちをよく知らない。
 好きだというのは、多分本当なのだろう。
 それはきっと、犬や猫を可愛がるようなものなんだろーけど。でも、そう思っているのは俺だけだといいなと思いながら、喘ぎ混じりに何度か「さるひこ、」と名前を呼んだ。
 猿比古、猿比古――。
 俺、お前のこと好きだよ。訳わかんねーくらい好きで、元々ダメな頭が余計馬鹿になるんだ。お前の事以外、何にも考えられなくて泣きたくなるんだ。
 
 いわゆる事後、という時間が好きだ。
 互いにベタつく手や下半身をウェットティッシュで拭って、丸めてからダストボックスに投げ入れる。
 別に俺たちは恋人同士ではないので、甘ったるくはないのだが、それでも事後というものは恋人めいた気分に浸れるから便利なものだ。
 後処理を済ませると狭いシングルベッドの壁際に転がって、猿比古に気取られないように涙をこらえた。
 俺は猿比古しか知らないけれど、泣かないような恋がしてみたい。
 一体、この関係は何と呼べばいいのだろう。別にセフレではないと思うけれど、セフレだと言われてしまったらどうしようもない。
 狭いベッドの半分に無理矢理寝転びながら、猿比古はタンマツの画面をタップしている。
 俺はその仰向けになった横顔を見て、普段根暗っぽいけどよく見ると色白だし美形だよな、とか思いながらシーツに皺を寄せて寝そべった。
 気怠い空気のなか、寝そべりながら「なあ、猿比古、」と声を掛ける。
「――俺、お前と付き合おうとか言わないから、セフレになりたいとかも言わないから、だからずーっとこうして二人きりでいような。お前が犬になれって言うなら、犬だってなんだってなってやる」
 震える声で一気に話したあと、俺は両手で耳をふさいだ。
 猿比古がタンマツをいじりながら何か言っていたが、ふさがれた俺の耳には届かなかった。
 十四歳の身体は恋愛に対して未熟で、行為だけは成熟していて、俺たち二人は未完成な関係だった――。

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