【猿美】孤独の体温

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

▼猿美ですが、猿礼に嫉妬する八田ちゃんなのでご注意ください。なお、猿礼の直接描写はありません。

 孤独が好きだ。好きなものは何もないと彼には嘘を吐いたが、猿比古は孤独が好きだった。たったひとり、その響きはとても蠱惑的で、引き寄せられる。
 孤独――それに加えて、真夜中ならば更にいい。
 しんとした静寂、暗い夜道を窓から望み、普段の隊服を脱いでラフな(それでも開襟シャツだが)服に着替えてからチューブスタイルのゼリー食を摂る。栄養食であるゼリーは、飲み口の部分から押し出されて猿比古の口腔内に満ちる。どろりとしたその食感は、嫌いではない。いや、寧ろ野菜だらけのサラダなどを無理矢理食わされるよりも遥かに好きだ。その商品は十秒チャージと謳った過去の商品を真似てか、大容量十五秒チャージゼリーとキャッチコピーがパッケージに印刷されている。
 粗方、下の方から銀色のパッケージを押し潰して中身を飲み切るとテーブルの横にあるダストボックスにシュートした。それはきれいに決まり、軽い音を立てて中へ落ちる。
「相変わらず野菜食えねーのかよ、つーかちゃんと飯食えよ飯、それただの飲むゼリーだろうが」
 部屋の隅、正確にはベッドの上の端に膝を立てて座り込んだ彼――八田美咲が苛立つように言った。
「昼間、室長に落雁とあんみつと玉敷きを強要されて食っただけでも褒めろよ、ああ、それとも何か? 俺が室長といたことに嫉妬してる、」
「……は? 違ぇよ! テメェがこの寮に呼び出したんだろ、」
 猿比古はしばらく思案するような顔をして、「ああ、」と、さも今思い出したかのように勿体ぶって口を開いた。こんな時、美咲にとって良いことがあった試しがない。そもそも、対立するようになったくせに猿比古は易々と美咲の精神のテリトリーに入り込み、スッとサーベルで心臓をスマートに貫くようにして無神経なことを言うことが多い。
 なあ美咲ぃ、と粘ついた声音で呼ばれる名前。それは八田美咲のみに向けられる声音であり、他者に同じような口調で言っているのを聞いたことがない。
 猿比古はこの部屋に帰ってくるまで、どうしたら美咲の思考を壊せるか考えていた。壊せる――それは多少の齟齬があるかもしれない。きっと人はこれから仕掛けることの結果を独占欲、束縛などと呼ぶだろう。そんなもの、独占欲なんてチープな言葉ごと消去してやると猿比古は思っている。
「さて、なぜ美咲ちゃんは室内なのにご丁寧にマフラーをしているのかな? 折角室内の温度を二十三度に調節してあるんだから、そのマフラーくらい取ってみせろよ」
「好きで巻いてるんだから放っとけ、猿」
「チッ、暑苦しいからさっさと取れって言ってるんだ。いいから手間を取らせるな、」
 歩幅を大きくしてベッドの上に座っている美咲に近づくと、猿比古はおもむろにマフラーの端を掴んで器用にするりとほどいた。露わになった美咲が着ているシャツの襟首の部分、そこにあるのは歯型と鬱血の痕だ。
 頬を染めて俯向いて口を噤む美咲に反して、猿比古は楽しくてしょうがないといったように笑みを浮かべる。小さな声で、返せよ、と言われるもののマフラーをゴミのように丸めてダストボックスへ投げ入れる。
 ベッドに手を付き、囁くようにして「吠舞羅の誰かに見つかればいいのに、」と言うと、美咲の返事の代わりにスプリングがギシリ、と軋んだ。
 美咲の胸にある赤の王のクランズマンとしての印、それを中心にして、皮膚を破った歯型と鬱血の痕は点々と散っていた。普通にキスマークを付ければいいだけの話なのだが、猿比古は皮膚が赤紫になるまで吸い付き、噛み、傷を残していた。確か三日前につけたものだったが、裏切り者である男の所有欲によってつけられたものだとは吠舞羅の誰にも知られる訳にはいかなかった。
「美咲、キスしていい?」
「断っても結局するんだろ、」
 諦めを含んだ美咲と猿比古の唇が密着し、離れ、再び密着したかと思うと歯列を割ってぐちゃりと舌が入り込んだ。その次の瞬間、美咲は猿比古の胸を思い切り押しやって突き飛ばした。
 服の袖で口を拭いながら美咲が「煙草……喫うようになったのか?」と訝しげに問いただした。猿比古が部屋に帰って来た時から、薄々嫌な予感がしていた。アンナの能力ではないが、その予感は猿比古限定で度々当たる。
「あぁ、あの人――室長が喫ってるから」
 何でもないことのように猿比古がさらっと答える。
 それはつまり、猿比古とその直属の上司がディープキスをするような間柄であり、あまつさえそんな残り香を口腔内に残しながら美咲を貪るようにしたということ。そんな簡単な、事実。
「……これ残したときに、俺のこと好きだって言ったくせに」
 そう言いながら、胸に残された噛み痕とキスマークをなぞる。
「愛玩動物みたいな、ってちゃんと伝えたのに頭の中身も可愛い美咲ちゃんは理解出来ないのかなぁ」
「その、青の王とは、どこ……まで、したんだよ」
 たどたどしい稚拙な問いかけを聞いて、猿比古はさもおかしいとでも言いたげに笑みを口に含んだ。
「セックスも何もかも、お前とまだしてないことも全部? でも室長も他に付き合ってる人いるし、まあ俺は気楽な遊びに付き合っただけだから安心しろよ、怒るなよ美咲。遊びだ、たかが遊びのセックスなんだよ、俺とあの人のあいだのは」
 んなこと聞いてねーし怒ってもねぇよ、と美咲が小さな声で言った。
 そして、次の瞬間、パシッと室内に響く音がした。ヘラヘラ笑っていた猿比古の頬を打ったのは美咲の右手で、思い切りはたいたのか頬も右手も両方同じくらい赤く腫れた。
「怒ってないなら殴る必要もないだろ、」
 打たれた頬を押さえながら、猿比古がのたまうと美咲が「やっぱ裏切り者だな、テメェはよ!」と声を震わせながら叫んだ。
 これは、泣く? 
 お前は泣くのか? 
 でも、こいつの泣き顔可愛いから眺めるの好きだな――と猿比古が思いながら見ていると、それを見透かしたように「猿の為になんて泣いてやんねえよ!」と反駁して、ベッドから降りた。
 猿比古が立ち上がった美咲の顔を見つめていると、「その、なんだ、セックスとかじゃなくて……」と言葉を詰まらせながら訥訥と口を開いた。
「中学から一緒だったろ! 俺たちは今は違うクランだけど、元は同じで、あんなに長く一緒にいて……だから、だから、」
「所謂、清純もいいところなところから始めたいって? 馬鹿だなあ、美咲。お前だって、吠舞羅時代の俺相手に勃たせたから手で抜いてやったことあるだろ、室長と何が違うか言ってみせろよ。それとも、夢見る美咲ちゃんは俺に愛だとか恋みたいなもののご高説となえる訳?」
「あの青の王がお前に抱かれたって言うなら、俺だって抱かれてやるよ。無理でも何でもいいから抱いてみせろよ! ハッ、それともいざとなったらテメェこそ勃たねえとかあるんじゃねーの」
「――チッ、うぜえ。キスしただけで震える何も知らないガキの身体のくせに」
 膠着状態になったように、二人の視線は交錯したままじっと固まった。部屋にあるアナログな掛け時計の秒針が、カチカチと音を立てて時を刻むのをやたらうるさく感じる。二人のあいだに介在する時間というものが、疎ましくてたまらない。
 ベッドから立ち上がった美咲の手頸をつかみ、再びスプリングとシーツの上に引き戻す。つかまれた瞬間、美咲は僅かに怯えを見せて猿比古の顔を見た。
「そんなに室長と同じ目に遭いたいなら、抱いてやろうか、美咲ぃ」
 そう言いながら美咲のシャツを捲り、脇腹に手を添える。温かく、やわらかい。八田美咲という男は、こんな存在だったろうか――少なくとも中学時代に戯れで軽いキスをした時とは、もう完全に立場も何もかもが取り返しがつかないほど変わってしまったのだと猿比古は実感する。
 服を捲くられ、震えるどころか緊張のあまり硬直している美咲の耳朶を食み、耳孔に舌を捩じ込ませると「やめろ、」と抵抗の声が上がった。その言葉を無視して、猿比古が尚も唾液まみれにすると力いっぱい押し戻された。必死の抵抗も虚しく美咲の着ていたシャツはほぼ脱がされ、猿比古の白く端正な指が乳首を探り当てて摘み、転がすように捏ね回される。何度も押しつぶすようにしてぐにぐにと弄られると、美咲が「くす、ぐ、ったい、」と途切れ途切れの声で言った。赤く腫れたようになっている乳首に歯を当て、やんわりと噛む。美咲の上半身は中学時代とほとんど変わらないように薄っぺらい体躯で、痩せぎすだからか肋骨が浮き出ている。
「反応だけじゃなくて、本ッ当にガキだな。喘ぎ声のひとつでも上げてみせろよ、なあ、美咲」
 猿比古が頸筋に食らいつくように噛み付き、吸い上げ、キスマークを増やす。皮膚の薄いところや血管の上は
比較的、鬱血しやすいからか簡単に赤紫の痕が残る。「猿比古、痛い、」と身をよじった美咲が小さな声で言った。それを聞きながら、猿比古が揶揄うように言った。
「俺はてっきり、尊さんと、とっくにやってるんだと思ってたけど――」
 そこまで言うと、美咲がさっき頬を打ったのとは違う、渾身の力を込めて猿比古の腹を殴りつけてきた。咄嗟に立ち上がって全部は受けなかったものの、その拳に殺意めいたものが滲んでいるのは隠せない。ゆらゆらと赤い陽炎めいた吠舞羅の炎が、美咲の全身から上がる。
「裏切り者の分際で、尊さんの名前を呼ぶな」
 短くそう言って、美咲がダストボックスに捨てられたマフラーを取り戻し、首に巻くと「ここの合鍵、どうせあちこちにばら撒いてんだろ。もう来ねーしいらねぇよ、」と吐き捨てたかと思うと、青いカードキーをテーブルの上へ投げ捨てた。

 ほら、また孤独になった。と猿比古は一人残された仄暗い部屋で思う。
 孤独が好きなのに、たまに他人の体温を欲しがる自分は贅沢なのだ、と苦笑いした。
 そして一緒にまどろんだ時間を持つのは、子供のように体温の高い美咲じゃないと駄目なのに、どうして自分は彼を傷つけることしか出来ないのだろうと自問する。
 いや、違う――傷つけることしか知らないのだ。幼い頃からゲーム機を与えられ、放置されて育った。ゲーム機が壊れたら次のゲーム機を買ってもらった。それも壊れたら、また違うゲーム機。最新のゲームも、レトロゲームも、猿比古の持っているそれらを周りの子供は羨んだ。
 これはゲームなのかもしれない、八田美咲という存在を手に入れる、孤独のなかで繰り広げられる二人のリアルな感情を賭けた遊びなのだろう。
 負けた方が恋というステージに落ちるリスクの高すぎるこのゲームは、猿比古を誘惑して止まない。

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