【猿美】不純回路

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

 たとえば、この身体が美咲のものだったらいいのに。
 たとえば、ふたりが離れられないほど癒着していたとしたらいいのに。
 もっとべったりとくっついて、離れられないほどに溶け合って、そうしてずっと生きていけたらいいなとおもっていた。それが無理なことだとはしらず、ただ、そうやって生きてゆけると信じていたのだ。無知は罪だが、ときにおおきな力になる。未来なんてしらないというように精神をギリギリまで擦りあわせて、この部屋のなかにいる互いを唯一だというようにしながら、ごく普通の生活をつづけることが出来たなら、それは確実に楽園だろう。

 ふたりきりの狭くてちいさな世界には、今日も雨が降っている。コンクリート打ちっぱなしの部屋の外は、梅雨真っ盛りでサアサアと雨音がしていた。排気口からか、それとも天井に走っているダクトからなのか、音が反響して室内にもそれは聞こえている。単調なそれは、どこか眠気を誘うものだ。湿度は何パーセントあるのだろうとおもえるほど、室内の空気は湿っている。
 伏見猿比古はロフトの上でブランケットにくるまりながら、めいっぱい背中を丸めて横たわっていた。少し眠いな、と感じながらも、八田美咲がバイトから帰ってくる時間まで起きていようとおもった。
 眠い、だるい、憂鬱。そんなマイナス要因ばかり集まっているというのに、雨が降っているとおもうだけでどことなく安心した。半身を少し起こし、コンビニで買った五百ミリペットボトルのジュースを一口飲んでから何の気なしにタンマツをいじる。
 特に面白いサイトはないな、とおもいながらタンマツの画面に目を走らせた。背景が真っ黒いサイトをみていると、伏見はタンマツの表面に自分が映り込んでいることに気付いた。顔ではなく、少し下。首よりもっと下、鎖骨からやや下がったところ。そこに浮かんでいる赤い徴がある。それが画面に映り込んでいる。徴がまったく同じ場所に出たのは、伏見と八田が初めてなのだときいたときは身体の芯が震えた。ああ、やっぱり俺たちの仲は証明されたのだと、そう思ったからだ。だから特別なのだと、何かに勝利した気持ちになった。
 まだ、雨は降っているようだ。脱力しながらタンマツをシーツの上に置き、胎児のように背中を丸めてみる。頭のなかに浮かんだ、受精から着床、そして細胞分裂までのスライドの記憶は、どことなく父親であったあの男が持っていたルービックキューブの分割面に似ている。少し苦い気持ちになりながら、それでも伏見はギュッとブランケットを抱いて丸まった。こうしていると、この部屋はシェルターのように思えた。銀色の、世界で最後に残されたふたりだけのそこは快適だ。
 しばらくそうしていると、いつの間にかうたた寝をしてしまったようで、気付けばキッチンからトントンというリズミカルな音が部屋にきこえる。トントン、という音と、雨音のサアサアという音があいまって心地よい。その音はこの生活を始めてからずっと聞き慣れたもので、バイトから帰ってきた八田が晩飯を作る包丁の音だ。目を閉じて耳を澄ませていると、鍋が火に掛かっている音、水道水が少し流れている音などもきこえる。ふたりきりの、そしてふたりのための生活音はひどくいとおしい。
 包丁の音が少し止んだかと思っていると、八田がロフトに上がってきて伏見のブランケットを捲った。
「何だよ、起きてんじゃねーか」
「いま起きた、」
「飯、もうちょっとで出来るから食うよな?」
 頷くと、八田がロフトの梯子から降りてキッチンで料理のつづきをする。広くはない部屋で繰り返される、こんなにもいとおしい日々。これが、ずっとつづけばいいなと思っている。いや、つづけねばならないのだ――と伏見はつよくおもっている。それは強迫的なほどで、少し病的なくらいに。
 また、背中を丸めて胎児のようになる。ここは温かく、守られていると感じられる場所だ。誰にも侵させない、それこそ不可侵という言葉の相応しい部屋。
 ブランケットから頸を出し、ロフトの斜め下にあるキッチンにいる八田をじっと見つめる。
 出会ったころよりも少し伸びた身長は、これで限界なのか成長を止めた。適当に伸ばしている髪は、いつ触っても、すこし意外だが指通りがよくさらりとしている。エプロンの紐は、腰の後ろで縦結びになっていて、ああ、こいついつまで経っても不器用だなと思いながら、なおもその背中を見つめた。
 じっと、じっと見つめている。その背中が誰かのものにならないように、自分だけのものであればいいと願いながら執着というものをへばりつかせている。
(誰かのものになるくらいなら、いっそふたりで死んでしまえばいいのに)
 そんな女々しいことをいったならば、気持ちが悪いといわれるだろうか――などとおもいながらも、伏見は八田へ固執して止まない。鎖骨下の徴が、少し疼いた気がした。皮膚の上にあるのか下から浮き出たのか分からないそれは、伏見の思いを知っているのだと言いたげにじくじくと疼く。それは周防尊という第三者に与えられた、ふたりが、この世にふたりきりだという証だ。
「なーに見下ろしてんだよ、おら、飯食え飯、」
 視線に気付いた八田が、晩飯のポークカレーをよそってテーブルに並べながらいった。伏見は、「ん、」といいながらロフトから降りてテーブル前に座る。銀色のカトラリーが、きれいに並べられているのをみて、どこかホッとしながら息をつく。
 サアサア、サアサア、という雨音がまだダクト辺りから室内に響いている。
「雨、まだ降ってるのかよ、」
「一日中つづいてんのな、帰ってくるときも降ってて参った。ま、冷めるから食おーぜ、」
 向かい合わせに座り、安い豚肉でつくったポークカレーをもそもそと食べる。伏見は時折、野菜がはいっていると愚痴りながら八田の皿に投げてよこした。
 ちらりと八田の頸を見る。
 正確には、頸より下、鎖骨の下にある徴を見た。そこの色づいているのは、赤くうねった吠舞羅の徴だ。
 ふたり同じ場所に出るのは、初めてなのだと聞いた――。
 当たり前だろう、と伏見は思う。だって、俺たちは伏見猿比古と八田美咲なのだから、と何度も繰り返し脳内で反芻する。あいかわらず世の中つまんねえけど、美咲と会えたのだけはあたりだったな。そんなことをぼんやり考えていると、八田が伏見に問いかけた。
「なあ、美味いか?」
「野菜が入ってなければ満点で美味い、」
「んだよ、野菜食わねーと成長しねえぞ」
 八田がそこまでいうと、伏見がおもわずくちをおさえて笑った。成長しないってお前がいっても説得力ねえだろ、とおもいながら話を流す。明日は雨が止むといいなとか、最近の美咲の飯で一番うまいのは今日のカレーだなとか、そんな他愛のないじゃれあいのような会話を交わした。伏見は八田と喋れるのならば、どんな会話でもいいということに自分で気づきつつ、「さすがにキモイな、」とおもっていた。十六歳にもなる男二人が互いを半身とするように生活していて、その必要さはひどく切実なものだからだ。俺も美咲もホモじゃねーし不毛なだけだろ、と考えながら片手を動かしてスプーンでカレーをすくう。
「今度は豚肉じゃなくて牛肉がいい。すね肉か、ゴロゴロのかたまりのやつ」
「はあ? んなの買う金なんてねえよ、それに豚肉でも充分美味いだろ。あんまり贅沢いうと野菜カレーにすんぞ、おら、これでも食らえ!」
 八田がそういってスプーンにじゃがいもと人参を乗せ、向かいにいる伏見の皿のなかにぽいっと放り込んだ。伏見は顰め面をしたあと、「残す、」とひとこという。「いやいやいや、俺が折角つくったのになんで残すんだよバカ猿」と八田がいうと、「じゃあ、美咲が肉を三つこっちによこしたら食う」などとのたまった。しばらくふたりはにらみ合いながらカレーをじっとみつめていたものの、結局は八田が折れて自分の皿から豚肉を三つばかり移動させた。ちゃんと食えよ、といいながらスプーンに乗せて放る。テーブルの上には八田がつくった温玉サラダもあるのだが、伏見はそれの野菜をうまく避けながら、温玉だけを食っている。

 晩飯を食い終わり、八田が皿とカトラリーを片付けてからテーブルを拭く。そうして夕飯後の時間は入れ違いに風呂にはいることにしている。八田はしっかり風呂に浸かるが、伏見はシャワーを浴びるだけで済ませているので所要時間に差がでる。狭い風呂だが、それでもユニットバスではないのでゆっくりと湯が溜められるのだ。湯上がりの八田は、ちいさい頃から使っているというベビーパウダーのにおいがするシャンプーの香料を振りまいている。べつに本人に悪気はないのだが、伏見はそれをこどものようだとおもっていたし、それはすごくガキくさいのに、そんなにおいに反応してしまう自分の下半身を情けないと嘆いていた。
 八田のはいった後の浴室で、そのこどもっぽい身体とにおいをおもいながら自慰をする――浴室内は八田で満ちている。いや、正確にいえば八田の使っているシャンプーの香料で、ベビーパウダーのにおいに満ちているのだが、最早そんなことは伏見にはどうでもよかった。下唇を噛みながら「美咲、美咲、美咲、いく、お前の奥でいく」と声に出さないように頭のなかで繰り返しながら、性器を擦り上げる。もう、何度こうして妄想にあふれた自慰をしたのかわからないほどだ。夏に何度か、水道代がもったいないという理由でふたりで風呂にはいったときの記憶をよみがえらせる。それはまざまざと伏見の網膜に焼きついていて離れないものだ。妄想のなかの八田は伏見のことを熱っぽく上目遣いでみながら、「さるひこ、」と甘い声で呼びかけてくるし、「なかに出してくれよ、さるひこ、」と懇願したりする。伏見は浴槽の縁に寄りかかりながら、二回くらい抜くことが多い。八田は女に興味がないという訳ではないのだろう、とわかっている。だからこれがどこまでも不毛なことだということを、伏見はしっかりと理解している。以前、タンマツで男同士のセックスについて調べてみたものの、八田にありえないといわれるのが恐ろしくてこっそりと履歴を削除した。しばらくして二回ほど射精し、その残滓をシャワーで洗い流した。自慰の痕跡は跡形もなく消えてしまう。排水口に渦を巻いてシャワーの水と精液と、ボディソープの泡が流れてゆくのみだ。
 風呂から上がり、リヴィングへ戻ると八田が「今日はずいぶん長風呂だな!」といって笑った。お前でオナってたからだとはいえず、伏見は曖昧な返事をするしかなかった。
「猿比古、なあ、これ飲んでみねえ?」
 ドライヤーで乾ききっていない髪のままリヴィングのソファに座ると、八田がチューハイの缶を四つほどテーブルにならべた。「は?」と冷ややかにいうと、「一度、酒飲んでみたいとおもってたんだよな。ほら、二十歳なんて先すぎんだろ?」と楽しそうに笑う。伏見は幼いころから、面白がって仁希にアルコール類を飲まされていたことをおもいだしながら「べつに飲まねーよ。つーか、お前そのガキくせえ顔でよく買えたな」といったが、八田はソファに身体をしずめると「んだよ、」といいながら缶のプルタブを引いた。プシュッという軽い音とともに、アルコールのにおいが鼻をかすめる。
「……なんか炭酸、って感じだな。あとすっげえ酒っぽい」
 なんだその馬鹿みたいな誰でもいえる感想、それに酒だろうが、とおもいながら伏見はチューハイを飲む八田をじっとみつめている。しばらく、八田は上機嫌でチューハイを流し込んでいた。飲み方が分かっていないのだから当たり前だが、それはジュースを飲むようにガバガバと注ぎ入れている。だが、初めてアルコール類を身体にいれたからか、八田は陽気に飲んでいたもののすぐに限界がきて「無理、もう飲めねえ」といった。顔を真っ赤に火照らせて、ロフト下にある自分のベッドに寝転がる。伏見は八田が残したチューハイの缶をシンクの横にあるゴミ入れに捨てると、ベッド端に座った。八田が、平らな腹を上下に動かして、はあはあと息を吐いては「あちい、」といっているのがきこえる。
「だからお前には早いに決まってんだろ、美咲」と言い含めても、八田は「身体が熱い、」といいながら着ていた服を脱ぐことしかしなかった。グレーのTシャツとハーフパンツを脱ぎ捨て、八田は下着姿になる。健康的な肉付きの身体をみながら、伏見は自分がごくりと唾液を飲みこむのを感じていた。こどもっぽい身体が、顔が、すべてが存在が、自分によって快楽でぐちゃぐちゃに歪むところをみてみたい――と伏見はおもう。そんなことは露知らず、八田が「なあ猿比古、こっち来いよ。お前、ひんやりしてそーだからくっつきてえ」といいながら手を伸ばして伏見の手を取った。
「自業自得だろ、そんなの」といって冷静を装ってぴしゃりと言葉ではねのけても、八田はゴロゴロと寝転びながら絡んでくる。熱い、猿比古、どうにかしてくれよと譫言のようにいいながら、伏見の手頸を離さない。アルコールの混じった吐息が吐かれているあいだも、天井に走るダクトにはサアサアと外の雨が反響している。そんな湿度の高さで、なんとなく浴室の湿り気をおもいだした。この生活をしてから、何度となく浴室で自慰をした。それは馬鹿のひとつ覚えみたいに、いつも八田がオナネタだ。甘ったるい声で「さるひこ、」と呼びながら上目遣いで身を捩るのを想像しながら、飽きずに抜いた。
 そんな妄想が現実になろうとしているのかとおもいながら、伏見は寝転んでいる八田をじっと見下ろす。赤くなっていた頬はだいぶ落ち着いたものの、まだ息は荒くしている。右膝からそっとベッドの中央に乗ると、安いスプリングがギシッと鳴った。嘔吐感などはないのか、ただ熱いと繰り返す八田の身体に触れる。それはたしかに火照っており、あんな飲み方するからだろうと伏見はおもった。そして八田の額に触れてやると、八田は安心したような心地よさげな声で「お前の手、冷たくてきもちいいのな」といいながら、手をかさねた。ふいにそんな触れられ方をして、やめてくれと伏見は叫びながら逃げ出したくなってしまう。これは、呪いなのだろう。伏見が八田に、八田が伏見に、しかけた呪いだ。そんな現状を打破したくて、伏見は下着姿の八田によりそって寝そべった。すでに明らかに体格差があるので、八田は腕のなかにすっぽりとはいってしまう。それは逃げ出したくなるとともに、庇護欲と加虐心を煽った。
「なんだよ、」といいながら、まだはあはあと息を荒くしている八田の口唇を指でなぞる。性欲という誘惑にあらがえず、何度か左右に指を往復させて、そのかわいらしい口唇をなぞってから上下の歯のあいだに人差し指を差し入れた。八田は酔いながら何をされているのかいまいち分からないのか、薄くくちを開けてされるがままになっている。人差し指を口腔内でうごかすと、ぐちゅりと音がした。舌に触れ、歯の裏側に触れ、そして上顎に触れる。何度も何度もしつこいほどそうやって伏見は八田の口腔内を蹂躙した。そうだ、それは伏見に自覚がなくとも、まぎれもなく蹂躙という言葉にふさわしい触れ方だった。きれいに生えそろった白い歯と、赤く燃える舌がみえる。八重歯ではないが、犬歯がとてもするどく尖っているのが触れるとよくわかる。八田は自分のくちのなかで何がおこなわれているのかどうも分かっておらず、ただ頬をほんのり赤くさせながら横たわっている。
「くる、ひ、」と回らぬ舌で八田がいったので、伏見はあわてて唾液にまみれた指を引き抜いた。それでも無防備な八田の身体が目の前に横たわっているというチャンスに逆らうことは出来ず、伏見はつぎに八田の徴に触れた。一瞬、ビクッとされたので手を離したものの、八田は熱い熱いといいながら眠りそうになっているのでそのまま手を差し出して徴を指でさわる。それは、伏見と八田の鎖骨のすこし下に浮かんでいるものだ。赤くうねった徴は、ふたりが絶対の唯一無二であることを示している。出会ったときから、こうなることが決まっていたのだと伏見はおもいながら、皮膚に赤く浮かんだそれに舌を這わせた。八田はすっかり寝ているので起きる心配はなさそうだとおもいながら、伏見は何度もその徴を舐める。これが、ふたりを唯一無二だと証明しているもの。これが、ふたりをいま繋いでいるもの。強固にしばりつけて、がんじがらめにして、これがあれば俺たちがふたりで一対だと他人が一瞬で判断できるものだ。
 しつこいほどに徴を舐めまわし、その皮膚を甘噛みしていると横たわっている八田が「ん、う」と呻いてぐずるこどものように手の甲で目をぐしぐしと擦った。その瞬間、伏見は弾かれたようにその身体から離れた。さっきまで湧き上がっていた興奮はすこし落ち着いた。八田を無理矢理に力でねじ伏せることはできるが、そんなことをしてこの家から出て行かれるのが恐ろしくなる。美咲、とそっと声を掛けるとすっかり寝ていた八田は「あ? なんで猿比古がここで寝てんだ?」といいながら伏見をみて、「まあ、ひとりで寝たくないときもあるよな」と勝手に納得してはヘラッと笑いながら、またスヤスヤと眠ってしまった。
 そんな八田の横顔をみながら、伏見はトイレへと駆け込んだ。そして、ロックを掛けたことを確認するとドアを背にして立ちながらいそいでデニムのファスナーを下げる。下着のなかで性器は痛いほど屹立して、張り詰めている。先端の当たっている部分には、薄っすらとシミができていた。伏見は、は、と息をつくとそのまま性器を下着から出して握り、上下に手を動かして扱いた。何度もこうして八田で抜いたことをおもいだす。上下に扱くたび、ぐちゃっと音がしてそれは伏見のこころが落下して潰れたような音だった。美咲、美咲、美咲、俺だけのものになれよ美咲――そんな台詞を妄想の八田にぶつけながら、伏見は単純な動作によってのぼりつめてゆく。妄想のなかの八田は積極的で、「猿比古、あ、あっ、やだ、そこまではやだっ……! ひ、あ、ああっ、さるひこ、だめ、だめだって、おかしくなる、しぬ、しぬから……も、むり、むりだって!」といいながら腰を振っては、伏見を誘惑してくる存在だ。それはひどく健康的な普段の八田の身体をしているのに、なまめかしく扇情的なところがすこし違う。だが伏見はそんなことは気にしていない。現実の八田を手に入れるのは怖いが、妄想のなかでならばなにをしても許されるからだ。美咲、いく、そろそろいくから中に出すぞ、と妄想の八田を犯しながら伏見は吐精する。その次の瞬間、手のなかに吐き出された精液がドロッとはりつく。精液は生臭いが、便器の脇においてある芳香剤のにおいであっという間にかき消されてしまう。
「ははっ、」と伏見は発作のようにひとり笑った。両手を精液でベタベタにしながら、とめどなく両目から流れ落ちてくる涙の意味が分からないとおもい、「泣いてんじゃねーよ、」とひとりごちた。芳香剤により精液のにおいは掻き消え、伏見の脳内で喘いでいた八田の妄想も消えた。なんで俺たちは唯一無二の存在なのに、単純動作なセックスさえも、ましてや告白さえも出来ないでいるんだ。ふたりで同じ場所に出た徴なんてなんの意味もない。畜生、畜生、なんでこんなに不毛なんだ。死にたい。

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