【猿礼】hallelujah-ハレルヤ-

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

 非番の前夜、愛人契約をしているひととセックスをしながらラグジュアリーホテルの高層階から夜景をみるとき、俺はとてつもない不安感に押し潰されそうになる。窓際に手をつかせ、後背位で犯す。ローションで濡れた結合部からはぐちゅぐちゅと粘着質な音が立っていて、それは俺たちがもう何十分も行為をつづけていることを主張する。形のいい尻をつかんで何度も押し入るのだが、それよりも目の前のひとは自分で腰を振って更なる快感を得ようとしている。粘膜がこんなに擦れて痛覚が麻痺してしまったのだろうかと心配になるほど、俺たちは交わりつづけている。低い喘ぎ声と、抽送の音、そして荒い吐息が部屋中に満ち満ちる。顔を上げると、遥か下方には夜景が広がっている。すこし離れたところにある高層ビルの窓が点々と明かりが灯っている、それはまだ就業しているものたちがいるという証だ。生きているものたちの光だ。生命そのものだ。ビルの天辺にある赤い光がチカチカと光っている、あれはなにかの信号を送っているのだろうか。大都市というものの生命は、ひどく刹那的で流動的だ。そのなかには俺自身も含んでいる。都市といういきもののなかをせわしなく移動しつづける異物でしかないのだと、俺は人間のことをそうおもっている。日本中に血管のように走っている道路に鉄道の路線、それらに乗って移動する異物たち。そんなことをかんがえていると、斜め上方に飛行機が飛ぶのが暗闇のなかぼんやりとシルエットがみえた。何百、何千メートルも上を飛んでいるそれはうつくしいかたちをしている。流線的で白いそれもまた人間を運ぶものだ。陸空海、俺たちはあらゆるところに生きて繁殖している。目の前で犯されながら、低く甘ったるい喘ぎ声を出している男も俺も、絶えず心臓が血液を送り出して生命維持をしているのだ。素晴らしい、とおもった。俺たちは死んではいない、だって死んだら終わりだろう、なにもかもが無に還ってしまうのだろう。いま俺に犯されているひとの恋人のヴァイスマン偏差はもう駄目だ、ダモクレスの剣をみるだけでも俺にさえ分かる、いずれ首都圏にも迦具都クレーターのようにクレーターが出来るのかもしれない。愛人契約を結んでいるひとの正式な恋人が作ったクレーターによって死ぬだなんて、最高にロマンチック過ぎるだろうと俺はおもっている。それは何十万人、何百万人、何千万人を巻き添えにしての愛の告白、そして心中なのだろう。その瞬間にはオメデトウゴザイマス、とでも祝ってやろうかとおもっている。コングラッチュレーション、心中成功おめでとうございます。皮肉ではなく、あんたたちの愛情の確認行為に俺は拍手を送ろうとおもうのだ。それは晴れの日でもなく、雨の日でもなく、曇りでもなく、雪のなかであればいい。ひんやりとした風があんたたちの頬を冷やして、端整な指先を、きれいな爪先を、白い額を、筋の通った鼻筋に雪が積もれば最高だ。そんなシチュエーションがお似合いですよ、室長、とおもいながら俺はセックスをつづける。肉壁を掻き分け、性器を押し込む。上下左右の四方から生温い粘膜がまとわりついてきて、やわらかいそれに生きていることをゆるされるような気分になる。それは支配的なセックスだというのに、このひとはすべてを受け入れるかのような慈悲深さを持っているのだ。「散々みっともなく犯されて泣かないんすか、」ときくと、「鳴いた方がいい、ですか、ふしみくん」ときかれる。俺たちの言葉に同音の齟齬が生じる。「泣いたあんたのこと、すっげえみたいんですけど」「しかし、さっき、から私は鳴いて、いるのですが」「べつにあんた泣いてないじゃないですか」切れ切れの言葉をきくと無性に暴力的な気持ちになる。あんたのことを、壊してしまいたくなって困る。「あ、あ、ふしみくん、」と甘く名前を呼ばれながら喘がれる。後背位なので顔がみえない、顔がみたい、あんたの顔をみながら正常位でやればよかった。「こっち向いてくださいよ」というと、「いや、です、」と答えられる。「私は狡い大人なの、で、毎回、きみの顔をみながら、していたら好きに、なってしまうでしょう?」といわれたので、それが狡いのだとおもいながら八つ当たりをするかのように白くきれいな尻をはたいた。パシッと軽く皮膚が叩かれる音がした瞬間、「ひ、」と声を上げられてキュッと締まるのが分かった。窓際に手をついて立っているのが限界なのか、「無理で、す、ふしみくん」といわれたがそれでも構わずになかを抉るように突き上げていると「あ、ぁっ、」といいながら崩れ落ちる。これが半分演技のようなものだということも、俺は充分にわかっている。そうですよ、俺とのセックスで演技だらけだってわかっているんですよ、それなのにあんたから離れられないのをみっともないと笑いとばして見下してください、本当に馬鹿な子ですね伏見くんっていつもの口調でいってください。崩れ落ちた身体を無理矢理引き起こしながら、セックスという泣きたくなるような行為を続行させる。俺はもう、なぜ自分がこんなことをしているのかわからなくなっていた。去年末の深夜、室長室で「伏見くん、これからホテル行きませんか。そして、私と愛人契約を結んでください」と初めて誘われたときのことも、今夜こうしてここにいることも、もう数え切れないほどこうして行為に及んでいることさえもなにもかもがわからない。ただひとつわかるのは、このひとに深入りしてはいけないと本能の告げていることだけだ。「ふし、み、くん、無理です、無理、です」それはまるで嗚咽のようにきこえているが、たぶん喘ぎすぎて呼吸がままならないのだろう。このひとが俺とのセックスで嗚咽を漏らす訳がない、そんなわかりきったことは疑いもしない。このひとは多分恋人が死んでもそんなことはしないのだろう、冷徹とかではなく誰と較べるでもなく遥かにつよい――そういうひとなのだ。駄目だといわれる身体に押し入りつづけていると、もういくと低い声でつたえられたので俺もそれに次いで何度か注ぎ込むように吐精する。コンドームを着けているので直接なかに体液がはいることはないが、それでもゆっくり三度、四度とゆるゆる腰を動かして搾り出した。ずるりと性器を引き抜いて手を離すと、その場にぺたっと座り込むのがみえた。「演技、しなくてもいいんで立ってくださいよ」というと「……私は演技、は、していません」とまだ息が切れているのかところどころで途切れた言葉を吐かれる。あんたが俺を相手にするときはわざとらしく甘い声で喘ぐだろう、あれが演技でなくてなんだというんだ。やめてくれ。コンドームを外すと、「たくさん出ましたね」といいながらそれに触れようとする。確かにしばらく自慰もしていなかったので、精液溜まりは白く濁って多めに精液がはいっている。コンドームのくちを結んでからティッシュにつつんで捨てると、「今夜はもうおしまい、ですか?」ときかれる。もうおしまいもなにも、バスルームで一回、ソファで一回、窓際で一回したのだから充分過ぎるだろうと呆れながら「そーですよ、おしまいです」というと頷くのがみえた。こんなときのこのひとは、すこし寂しそうでかわいらしい。五つ歳上の男にかわいらしいと形容するのはおかしいのかもしれないがそうとしか表現出来ない。五つ、そう、五つ離れている。このひとと対等にある、このひとの(正式な、としかいいようのない)恋人がうらやましかった。年齢も、身長も、王であるという立場もなにもかもが対等であり、俺はその間柄に触れることさえゆるされない平民の気分だ。だが、それでいいともおもっている。愛人として選別されたということは、最上の喜びをもたらしてくれる。私兵であると、そう認知されている。王同士でなければわからないこともあるだろう、だが、私兵にしかわからないこともあるのだ。
「ベッドで落ち着きませんか、」とゆっくり立ち上がりながらいわれたので、つづいてキングサイズのベッドに寝転がることにした。この部屋に来る前に、バーラウンジで(カウンターで年齢をきかれなかったので)カクテルを三杯ほど飲んだのでまだアルコールが回っているのを感じる。いまは世界がチカチカと明滅してみえるような気分だ。世界がきらめいているのか、それとも暗闇なのか俺にはわからない。だけれども、いまはこのひとが隣に寝そべっている。「伏見くん、かわいいですね、私の伏見くん」とちいさなこどもを寝かしつけるかのように、俺の身体をポンポンとリズムを取るように軽く叩いている。しばらくそうしていると「おや、口唇が荒れているのかすこし皮が剥けていますよ」といわれたので「どこですか、」ときくと、「この辺りです」といいながら顔を近付けられて舌でそっと舐められた。やわらかな舌がザラッと俺の口唇を舐めて、顔を離してから自分の下唇を舐めると楽しそうににっこりと笑った。「あんたのそういったところ、苦手です」「すみません、痛かったですか?」「痛いですよ、すっげー痛いんでもうやめてください」言葉で突き刺すかのように八つ当たりめいた言葉をぶつける。そうだ、確かに痛かったのだ。こころがギリギリと締め上げられて、愛人契約なんてものをしてるひとにされるようなやさしい行為ではなかったのが厭だった。あんたのことを好きになる前に、どうにかしないといけないのだとおもっている。すみません、と謝るのをききながら、べつにもうしないでくれればいいです、とぶっきらぼうに答える。ベッドサイドに置いておいたペプシ(コカコーラが無かった)のペットボトルを掴んで、蓋を開けてから数口飲む。私にもくださいといわれたので、このひとペプシなんか飲むのかよとおもいながらも渡すと「こんな味がするんですね、」と目を丸くさせながらすこし驚いたようにいったのでおもわず吹き出して笑ってしまった。「あんたいっつも緑茶じゃないすか」というと「炭酸飲料は苦手なので、あまり飲まないんです」と返されたので、どうしてペプシを飲みたがったのか分からなくてもう一度笑う。
「こういうのもピロートークっていうんですかね、」
「事後に言葉を交わすものは、すべてそうなのではないでしょうか」
「あんた、普段は恋人ちゃんといるみたいですけど、いつもどんな会話してるんすか」
「そう、ですね。私たちは会話はあまりしません、ただ、ふたりしてよくホテルのバーで飲みます。飲みながらポツポツと過去の話とか、これからの話をすこしだけします。きみとこうして喋るようなことはしませんよ、」
 これからの話――そうか、と虚しさに襲われながらおもった。俺は愛人として選別されているが、それはあくまでも『現在』でしかない。未来が不確定なのだ。たぶん、このひとの未来というものは職務と恋人に捧げられるものなのだろう。俺たちにはこれから、がない。いま、はある。それは俺がこのひとの愛人だからだ。男女の間柄だったら内縁とか認知とかする関係もあるようだが、男同士のものにそれらは適用されるのだろうか。まあ、いまの日本では無理であろうことが俺にも理解できる。
「伏見くんのこと、好きですよ」とこちらの感情を悟ったように、絞り出すかのような声でそういわれた。声がすこし震えていたように感じたのは気の所為だったのだろうか。俺のことが好きだというのなら愛人契約なんていうものを破棄して恋人に昇格させてくださいよ、そんな戯言をいいかけてくちを噤んだ。冗談でもいってはいけないことがあるし、それは俺の本心そのものだからいってしまったならばこの関係は終わってしまうに違いない。急にくちを閉じたので、「なにかいいかけましたか?」と顔をのぞき込まれる。その顔はこの上もなく整っていて、女の顔なんかよりもみつめていたくなるようなものだ。「なんでもないです、けど」といってから、そっと口唇を合わせる。俺たちは何度も何度もキスをする。繰り返す。わずかに開いた歯のあいだから舌をいれると、待ち構えていたかのように舌同士が絡み合った。舌粘膜が擦れ合って、さざなみのような快感を生む。刹那だ、これは刹那の快感だ。一生のうち、こうして触れ合った時間がすこしでも脳髄にきざまれればいい。
 あんたがこれからもしあわせでありますように。願わくば、ほんのすこし厚かましいことを願うのならば、俺もそのそばにいてこれからもあんたのことをみつめていられますように。あんたのためならば、俺は死を賭してみせよう。この生命を生贄のように捧げてみせよう。
 ハレルヤ。ハレルヤ。幼い頃に近所の教会できいた言葉がよみがえる。
 ――その意味は、主を讃えよという言葉だ。俺の神はあんたしかいないということを、いつかおもいしってくれ。

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