【猿礼】落ちる夏

Hasmi/ 2月 28, 2018/ 小説

 蒸し暑くなりかけた季節、曇天の下、皮膚の上にうっすらと汗をかきながら伏見猿比古は一軒の日本家屋を訪ねていた。セプター4の寮から地下鉄と私鉄を乗り継ぎ、四十分ほど行ったところの駅を降りてから曲がりくねった道を歩く。少しきつい坂を登って、平坦な道に慣れてきた頃にその家屋はある。
 はあ、と一息吐いてから、『宗像』と書かれた表札を横目にインターフォンを押した。
 鉛色の曇天は、いまにも雨が降ってきそうで憂鬱になる。
 チッ、と苛つきながら舌打ちをして、何度もインターフォンを連打する。片手に持った、一玉の西瓜が重い。
 どうせあの上司は、この古めかしい家でひとり優雅に過ごしているのだろうと思うと、更に苛立ちがこみ上げてきた。何度目か分からないほど押し続けたところで、もしかすると居留守を使われているのではないかという疑念が頭をもたげた。
 伏見は盛大な溜め息を吐くと、玄関の鍵が開いていることを確認してから上がることにした。
 古めかしいその家はいまどき珍しい木造建てだったが、明治~大正頃に建てられたものをモチーフとして散りばめているのか、ところどころが和洋折衷の建築デザインになっている。
 この家を建てた人間は植物が好きだったのか、あちこちに庭に植えられているものと同じ植物が埋め込まれていた。そのなかでもとりわけ白百合が敷地に入る際の門の周りに派手に咲いていた。
「室長? 上がりますよ、」
 玄関に靴を脱ぎ揃え、板張りの廊下を歩く。
 ギッ、ギッ、とかすかな音が響いて、伏見がそこにいることを告げているにも関わらず、その家は誰もいないかのように静まり返っていた。
 蒸し暑い空気が、この家のなかでだけ冷えていた。靴下を履いているにも関わらず、足裏はひんやりとした廊下の感触が伝わってくる。
 だだっ広い家屋の廊下を歩き続け、もうこの奥はないというところまで来たとき、声が聞こえた。
 その声は少し咎めるような声音で、「周防、帰るのか」と言った。
 はっきり聞こえたのはそのくらいで、あとはボソボソとした声で聞き取れなかったものの、伏見にはここにいるのが自分以外に二人だということが分かった。
 立ち聞きをするつもりもないが、伏見はどうにも周防尊という人間が苦手なので奥の間に入るのを躊躇われた。
 襖とガラス戸に阻まれて、不明瞭になっている会話はよく聞こえなかった。
 何分経った頃だろうか、じっとしているにも疲れたと思い始めた頃、畳の上を歩く音がして襖が開き「遅かったですね、伏見くん」と言って、和装の宗像礼司が現れた。
 和服の頸筋には鬱血した歯型が残っており、少し着崩した様子からもいままで何があったのかを想像させる。
「どうにも入りづらかったんで、」
「ああ、周防でしたらきみと入れ違いで帰りましたよ」
「それよりこれ、重いんですけどどこに置いたらいいですか」
 ここへ来る途中、新宿のデパ地下で買った大きな西瓜を持ったまま、伏見が聞く。
 切り分けましょうか、と宗像が笑みを浮かべながら言ったので、西瓜を渡す。大事そうに西瓜を抱えた宗像が裸足でひたひたと廊下を歩くので、伏見もそれに続くことにした。
 居間は和室ではないのか、飴色をした板張りの床にダイニングテーブルが置いてある。
 宗像が西瓜を切り分ける為に皿を取り出し、包丁でさくり、と半分に割ると果汁が溢れた。
 後で一緒に食べますか、と聞かれる。
 正直なことを言えば、西瓜などは水っぽくて苦手だったが断るわけにもいかなかったので、不承不承頷いた。
 とてもきれいな動作で、ひとつの球体だった西瓜はさくさくと切られ、三日月状になったそれらは皿の上に並び始めていた。
 ある程度切り終わると、宗像が「冷やしておきますね、」と言って冷蔵庫に入れた。このひとは一玉分も食う気なのだろうかと思って、ふと周防尊のことを思い出す。きっと、この西瓜が腐らないうちにまたあの男が来るのだろう――。
 王同士が、どんな関係だろうと知ったことではないけれど。と思って皮肉げな笑みを浮かべていると、宗像が冷凍庫を開けて何かを押し付けてきた。
「縁側で食べませんか? 伏見くんには、ソーダ味をあげますので」
 そう言ってアイスを二本持ってにこやかな表情をしている宗像は、普段の姿とは少し違うように思えた。
 王様のくせに、一般の古い日本家屋の冷凍庫からアイスを取り出す、という仕草はなんだか不釣り合いでおかしく感じた。
 家のなかは、薄暗いので外が明るく見える。
 二人して縁側に並んで座りながら、それぞれアイスを齧った。
 蒸し蒸しとした空気の対比のように、ソーダ味のアイスはひんやりと清涼感を持ってくる。宗像が食べているのはミルク味なのか、白いアイスだった。
「私が留守のあいだ、何か変わったことは?」
「――別に何もないです。のんびり夏期休暇取る王様って、あんたくらいじゃないですか、」
「王と言えど、人間ですから」
 そう言われると、はァ、としか答えようがなく、伏見は間の抜けた返事しか出来ないことを少し悔やんだ。
 隣に座った宗像の頸筋を、ちらりと見る。
 そこには派手に噛み付かれた痕が残っており、ここで何があったのか言わずとも知れた。
 呆れ半分に、「それ、」と言ってアイスを齧りながら鬱血している部分を指差す。
「そんなの付けたままだと、部下に示しがつかないと思うんですけど」
「そう、ですね」
 少しぼんやりとしながら言った宗像の手に、アイスが溶け垂れて一筋の白い線になった。
 二人して縁側から脚を投げ出していたが、パタパタッと強い雨が降り始めたので、脚を引いて座り直した。
 宗像は考え事をしているのか、垂れたアイスの白線がどんどん広がるのも構わず、そのまま軸になっている棒を持っている。
 垂れてますけど、と指摘するとやっとそれを見たかと思うと誘うような目つきをした。
「伏見くん、手が汚れたので舐めてください」
 そう言われて伏見がじろりと見つめると、アイス好きでしょう、と言って微笑まれた。
「――嫌いじゃないですけど、」
 宗像が、汚れていない片手でアイスを持ち直して食べながら、白く汚れた手を伏見の前に差し出す。
 蒸し暑い外気温は、雨によって少し下がった気がした。その代わり、曇っていた空がまっ黒くなり、庭の地面や屋根を叩くような強い雨が降っている。
 まだ暑いな、と思いながら伏見は差し出された手をそっと舐めた。
 白皙というに相応しい肌に伝った白いラインを、たどるように舌を這わせる。
 その伏見の様子を眺めながら、宗像はのんびりと空いている手でアイスを持って齧った。さくり、と爽やかな音がしたので、宗像の口腔内でほろほろと温度により崩れたであろうそれを頭に描いた。
 その固体が崩れるのは、本当に簡単だ。
 口に含み、齧り、舌の上に乗せて味わっているうちに溶けてゆく。溶けたものは、二度と同じように凝固することはない。構築している成分が変化してしまうからだ。その分、既に溶けたものを舌に乗せるのは精神的に楽でいい。
 そんなことを思いながら、伏見は宗像の肌に垂れている白線を舌でたどった。
 ぷつぷつとした舌の味蕾が味を確かめつつ、白い皮膚をなめくじのように這う。
 ちらりと宗像の頸元を見ると、「どうかしましたか、」と言われたので、口を噤んだ。舐め取ったアイスの味が、口のなかに広がる。
「別になんでもないです、」
 沈黙ののち、伏見がやっと言葉を吐くと、宗像がふむ、と言って少し考え込む素振りを見せた。
 そしてしばらくしてから気付くと、ふふっと笑って「これ、気になるでしょう、」と言った。
 そう言いながら、和服の襟元を緩めて赤紫色に鬱血している頸筋を露出させる。キスマークよりも暴力的なそれは、宗像の皮膚の上に広がって花のようにも見えるものだ。
「あんたが誰と遊んでようが、仕事だけきっちりしてくれるなら俺には関係ありませんけど――」
「伏見くん、大型犬とのじゃれ方は難しいんですよ。特に、野良犬に近いのはね、」
 そんな宗像の言葉に、伏見はじわりと苛立ちが脳内を侵蝕するのを感じた。
 上司と部下として出会ってから、何度もセックスをしてきたような関係だった。
 それぞれ抱く相手がいることは把握していたので、深く踏み込むことはなかったのだが、つい先日その均衡は一言で崩れた。
 ――付き合ってくれませんか。
 誰ととか、何をなどという単純なわかりきったことを省いた言葉で、伏見は告白というものをされた。適度な距離を保った関係だったはずなのに、と思いながらその答えを無言で見送ったままいまに至る。
 この男は、狡い。
 告白といったもので引きつけておきながら、自分は周防尊と別れる気はないのだろう。そのくせ、伏見を独占したがる。それは見た目にそぐわない。
「そーゆーの、好きじゃないんで」
「何が、ですか?」
 分かっているくせに、と内心何度も舌打ちを繰り返しながら、手に残ったアイスの棒を手持ち無沙汰にちいさく振った。雨はまだ降り続いていて、広い庭の地面がすべて濡れてまっ黒くなってしまった。
「随分、勝手なんじゃないですか」
 吐き出すように言うと、くすっと笑って言葉を返される。
「おや、バレてしまったようですね。君と違って大人ですから、狡いことも何もかも自覚していますよ」
 そう言ってしばらく考え込むような素振りを見せたかと思うと、「八田くんとは、別れてくれませんか」と何気ないことのように言った。
 八田美咲と別れて、自分と付き合えというのかこの男は――と思うと、伏見は目眩がした。
 どれだけ、美咲がこの身体と思考のすべてであり、世界の中心であり、酸素のような存在であるかということを知っておきながら、サラッとそんなことを吐き出してみせる男が憎い。
「……俺が美咲と別れたら、あんたは周防尊と別れるんですか」
「さあ、どうでしょうね」
 別れないくせに、と思いながら伏見は脳裏に八田の笑顔を描く。いつだって容易に八田の声を再生出来るほどだ。好きだとかそんな甘いことをいうよりも先に、本能的に欲しているのだと思う。
 美咲は、いつだって花が開くように笑っている。
 大輪の花ではなく、小ぶりのそれがそっと花弁を開くような笑みを浮かべて、こちらを見ている。お前のことを信用しているよ、とでも言いたげな表情を一度は裏切り、そしてまた結んだ。再び、関係を結んだとき、美咲は何を思ったのだろうか――。
 伏見がそんなことを考えていると、宗像が「縁側、閉めませんか」と言った。
「旧型のものしかありませんが、冷房入れますので」
「あぁ……はい、」
 普段見慣れたものに較べて、幾分か大きめのエアコンが唸って冷風を吹き出す。それは少し黴臭くて、経年というものを感じさせた。
「室長は休暇のあいだ、ここで何してるんですか」
「庭の手入れをしたり、花を活けたりですが、周防が来れば普段通りセックスでもしていますね。伏見くんは、私が周防といるのが厭ですか?」
「厭だとかそんなんじゃなくて、馬鹿にされてる気がするだけです」
 伏見がそういうと、宗像が含み笑いをした。そこに含まれているものは、きみは私のおもちゃなのだから、といった意味の笑いなのだろう。
 そうして微笑みながら、ああ、と言った。
「今日は一切、何もしていませんよ。ただ周防の機嫌を少し損ねて、噛まれたくらいですね」
「ソーデスカ、」
「扱いにくい程、従属させたくなるような気持ち――と言えばいいんでしょうか」
「知りませんよ、そんなの」
 ちいさな声で、悪趣味、と付け加えると「伏見くんも知っているでしょう、」と言って口の端を釣り上げられた。
 まだ、雨は降っている。
 時折、雷が鳴っては暗雲のなかに黄色い筋が見えた。
 例えば、これは雷に当たって死ぬような確率なのかもしれない――この上司と出会ってしまったのは、何となくそんなようなものだ。何億、何十億といった人間のなかで出会い、こうして関係を持っている。伏見は八田にとって不誠実だとか後ろめたさは感じなかったものの、これが秘するものだということは十分に知っていた。
 しばらくして、宗像が昼飯をどこかに注文するかと聞いた。
 この時期でしたら鰻が美味しいですよね、と言いながら伏見を見遣る。
 のんびりおっとりとした口調でそう言われると、確かに初夏に食べる鰻は格別に美味いような気がして、伏見は宗像の方を向きながら頷いていた。
 タンマツを取り出してどこかの店に掛けようとしているのを見ながら、「それ、尊さ――周防尊のタンマツも登録してあるんですか」とさりげなく聞いた。
 ええ、と答えられたのを確認して、その画面を開かせる。何の変哲もなく、『周防』と書かれた画面にはタンマツのナンバーが並んでいた。
 それを見ながら、伏見はエアコンの利いてきた和室の畳の上へ、宗像を押し倒した。
 その行動にさして驚きもせず、宗像は誘うような表情で伏見を見る。
 口唇をそっと擦り合わせると、しっとりとした感触が伝わってくる。これは出会ってから何年経っても変わらないものだ、欲というものを含ませて笑う男の口唇はやわらかい。
 美咲の口唇は、もう少しがさついているのに――と思いながら、伏見はそれを味わう。
 舌を挿し込めば、唾液が混ざり合う。他人の唾液など、気持ち悪いだけだという前提をくつがえしたのは、八田美咲だった。それを歳上のこのひとに適用させているという事実が、少しばかりの背徳感を持って這い上がってくる。
 口開けてください、などということを言う前に、宗像がうっすらと上下の口唇を開けるので舌を絡め合わせる。いつでも仄かに微笑んでいるような歳上のひとが、そんなときは少し余裕をなくすのが楽しい。
「は、」と息を上げられながらなおも口腔内を貪る。
 このひとが、醜ければよかったのに――とキスをしながら思う。
 こんなにもうつくしいひとだから、なあなあに関係を続けてしまうのかもしれない。
 和服の胸元に手を差し込んで、その筋肉のついた胸に手を当てる。それは同じ男のもので、鍛えられているのかしっかりとした感触を伝えてくる。
「なんであんた、醜くないんですか」と気付けば口に出して聞いていた。
 そう聞かれた宗像は笑みを浮かべながら少し考えたかと思うと、「醜いですよ、」と答えた。
「周防も、きみも、手放したくないというのはきれいな人間の考えですか?」
 またその名前かと思いながら、チッと舌打ちをして伏見は宗像のタンマツを手を伸ばして拾い上げた。そこには『周防』という名前が表示されているままだ。
 伏見は無言でタンマツの発信ボタンを押してから、乱雑に宗像の帯をほどいた。
 しばらく発信音が鳴っていたが、プツッと切り替わって「あ? んだよ、宗像ァ、」という低い声とともに周防尊の声が電波に乗って届く。
 このひとたちの関係が、崩れてしまえばいいのに。と思いながら伏見は宗像の下半身に手を伸ばし、下着を引きずり下ろすと剥き出しになった性器を握り込んだ。宗像がかすかな喘ぎ声を上げたが、それは抵抗ではなく享楽に近いものだ。
 タンマツの通話はまだ切れなかった。
 伏見はほんの僅かな反抗と言わんばかりに、宗像の性器を上下に扱いた。何度も抱いてきて知っているのだが、感度がいいのか先走りがだくだくと溢れて既に伏見の手を濡らしていた。
「は、ァっ、」と言う喘ぎ声とともに、宗像がゆるゆると自ら腰を揺する。
 伏見の片手は先走りでぬめって、ベトベトになっている。更に責め立てるようにして、上下に扱くとにちゃっと粘着質な音が部屋に響いた。
 部屋にはエアコンが利いているはずなのに、伏見は額に汗を掻くのを止められずにいる。
 タンマツの画面は通話アイコンが点滅しており、まだ回線がつながっていることを示していた。
 そうだ、あんたたちの関係も壊れてしまえ。と思いながら手を動かし続けた。嘘でいい、俺は必要とされたい。それは美咲に必要とされていたいとか、あんたに必要とされていたいとか、そんな限定されたことじゃない。俺は、この世界に必要とされたい――。
 体液を掬い取り、肛門に擦り付けながら遠慮なく指を挿し込む。
 宗像が少し顔を上げながら喘いだが、そんなことには気づかない振りをして更に指を進めた。いつも反応が大きくなる前立腺の辺りを、押すようにして刺激すると宗像が背中を弓ぞりにして跳ねた。低い声で喘ぐ男を目の前にしながら、伏見はどこか冷静になっていた。
 ひどく簡単な関係だ。
 王同士の分かり合うようなものではなく、王と駒のようなそんなもの。
 虚しい、と思う。そう思いながらも歳上の上司を抱くのは、虚無を抱くようなものだ。だって俺たちは互いを見ていない――と伏見は思う。八田美咲を、周防尊を、それぞれ思い浮かべながらセックスをする。それはどこも悪くないと肯定しているが、どことなくこころが空っぽになる。
 もっと必死に求められたい。それこそ、生死を投げ打ってまでこの伏見猿比古という存在を必要とされたい。この関係に対し、ナイフで臓腑を抉るような感覚に陥るときもある、だが、それは口に出してはいけない。そういった軽い関係なのだから、口を噤んで、ただひたすら八田と宗像のあいだを上手く渡ってそれぞれを抱く。
「ふしみくん、」と喘ぎ混じりの声が聞こえた。
 大丈夫なので、もう挿れてくれませんか。とセックスのときのみ見せるような懇願めいた声音と表情でねだられる。
 少しきつく二の腕を掴みながらそんなセリフを吐く。
 このひとは分かっているのだろうか、と思った。いつも自分が抱いている周防尊という男が、タンマツ越しに聞いているということを理解しながら、こんなことを言ってのけるのだろうか。
「いま苛ついてるんで、別にやさしくしませんよ」
 チッと舌打ちをして、そう言いながら指を抜き、性器を充てがうと徐々に挿し込んだ。
 宗像が「ふ、」と深く息を吐いて、仰向けで両脚を開いた姿勢のまま押し込まれた性器をその身体に飲み込む。
 ゆっくりと根元までぎっちり埋め込むと、宗像が低い喘ぎ声を漏らす。
 エアコンで冷えきった畳の上に組み敷かれた姿は、どこか背徳的で伏見はぞくりとした。
 和服が乱れて左右に開かれ、紺色の帯は丸めて投げ捨てられている。どこもかしこも白い肌だというのに、下半身に目を遣ると性器が充血していた。それがやけに淫靡に感じられる。
「……動い、ても、大丈夫ですから」
 息を荒くしながら宗像が言った瞬間、伏見が腰を思い切り打ち付ける。ひっ、と叫んだ声が部屋の空間に吸収されていった。
 内壁を抉るようにして伏見が腰を動かす。それが前立腺を掠るのか、宗像が口をはくはくと開けて浅い呼吸を繰り返した。身体を戦慄かせ、目の縁を潤ませながら伏見を見上げる。
 美咲としているセックスとは違うものだ、と宗像を組み敷きながら思った。
 感情の流れ込んでくるようなそれではなく、ただ身体を交わすだけのもの。ひたすら欲情というものに任せて、気持ちというものを感じさせないように抱く。感じたら、終わりだからだ。
 性器を沈み込ませる度、宗像が切なげに低い声で喘ぐ。
 なぜこのひとは自分が周防尊を抱くだけでは飽き足らず、俺に抱かれようなどと考えたのだろう――と皮肉げな笑みを浮かべながら、膝の裏を持ち上げて脚を上げさせながら突き上げる。
 多分、いつもの気まぐれのひとつだったに違いない。
 気まぐれに付き合うような都合のいい部下がいたから、少し遊んでみただけ。そして、揶揄ってみただけ。暇潰しのひとつのうち。きっとそんなところだろう。
 膝裏を持ち上げると、下半身の皮膚が密着する。
 肌が、皮膚が、ひたりとくっつくのは余り好きではない。
 セックスをしておきながらそういうのはおかしいのだが、好きではないものは仕方がないのだろう。
 あんたなんて好きじゃないです、俺が好きなのは美咲なんです。という本音がすべて皮膚伝いに漏れ出してしまいそうで、少し恐ろしくなる。それは感情がバレることへの恐怖ではなく、自分の本音に気付くことへのそれだ。
 だから、伏見は必要最低限しか宗像の身体に触れない。
 それでもセックスという行為に及んでいるからには、皮膚が重なり合う。打ち寄せる僅かな嫌悪感と、歳上の上司を犯しているという征服欲、それらが混ざり合って伏見の思考はぐちゃぐちゃに乱される。
「どう、しましたか、」
 宗像が切れ切れの声を掛けながら、伏見の顔へ手を伸ばして頬に触れた。
 それはエアコンの利いている室内と同じように、冷え切っている手だ。伏見はその手が冷たいことに、少し安心する。見た目が人形めいた男が、まるで人形のような温度を持っているということに安堵するのだ。
 ただ、幾ら冷えているからと言えど頬はほんのり紅潮しているし、目の縁は赤く染まっている。
 なんでもないです、と答える代わりに性器を深く捩じ込んだ。
 宗像は八田のように、泣きながらもう無理だとかは言ったことがない。いつだって、「伏見くんのしたいように抱いてください、」と穏やかに微笑んで受け入れるばかりだ。それは一見、好意を持っているかのように感じられるし悪い気はしないが、どことなく胸が締め付けられる。
 性器を根元まで捩じ込むと、宗像は少し辛いのか眉間に皺を寄せたが、伏見はそれさえも許されていると感じていた。
 決して嫌だとは言わないひと、泣き顔を見せないひと、都合のいいひと――それが伏見にとっての、宗像礼司という男との関係だ。
「あんた、今日はどうして欲しいんです、」
 腰を打ち付けながら聞くと、淫猥な表情を浮かべた宗像が喘ぎながら口を開いた。
「……伏見くんの精液、中に出してくれませ、んか」
「ほんっと、呆れるほど淫乱ですよね」
 そう言うと、「きみに対してだけですよ、」と言って少し苦しそうに笑った。
 抽送を繰り返すと、抜き挿しする度にじゅぷっと水っぽい音が聞こえた。結合部は先走りが白く泡立っており、そこから卑猥な音がする。
 宗像のなかは物欲しそうにひくついて、伏見の性器を包み込んでいた。
 伏見が腰を打ち付けると、皮膚が弾けるような音が響くとともに、結合部からの粘着質な音が更に大きくなる。
「ふしみくん、」と宗像が切なげな声音で呼ぶと、次の瞬間、自分の腹の上に精液を撒き散らした。一拍遅れて、伏見も吐精した。出していいと言われた通り、遠慮なく中出しをする。畳の上に潰れ、くたりとした宗像の身体の上で動き、何度かに分けて残滓までを搾るようにゆるゆると注ぎ込む。
 ずるっと性器を抜き出すと、達したばかりでそれにさえ感じるのか宗像が引き攣るような声を上げた。
 部屋にティッシュがなかったので、宗像が自分の着ていた和服で拭いて構わないと言い、伏見はそれに従うようにして精液を拭った。
 エアコンで十分に冷えた部屋だったが、ふとした瞬間に伏見が宗像の手に触れるとそれは人形のような冷たさではなく、人間の体温をしており火照っていた。
 和服も帯も身につけず、ただ均整のとれたうつくしい身体で寝転がっている姿を眺めていると、「シャワー浴びませんか、ここの浴室は広いんです」と言われた。
 そう言って宗像が立ち上がると、尻から太腿、そして脛にかけて、精液が白く伝い落ちた。それは宗像の腕を汚したアイスの白線に、とてもよく似ていた。
 気付けばタンマツの通話は切れており、ただ不通の音が鳴るばかりだった。
 
 シャワーを浴び終えてから、宗像が注文した鰻を二人して食した。
 それは箸を入れればほろりと身がほぐれ、甘辛いタレが十分に絡んでおり、口のなかにいれるととけるような食感のものだった。伏見は鰻など、別に食えれば同じだと思っていたがどうやら違うということを学習した。
 室内は気付けばエアコンは切られており、まだ雨が降り続いている縁側の窓が開け放たれている。
「この店は何を頼んでも美味しいんです、」と言いながら、宗像が箸を進めた。その動作はいつ見ても洗練されており、鰻一切れを乗せるにもうつくしいこなしだった。それを見ながら、伏見が口を開く。
「俺はジャンクフードでいいです、」
「おや、気に入りませんでしたか?」
「そういうんじゃなくて――」
 どことなく居心地が悪いんで、と言おうとして伏見は口を噤んだ。
 そんな伏見の様子を見て、宗像がふふっと笑った。
「やはり、八田くんと食べるジャンクフードの方が美味しい、ということでしょうか」
「別に美咲は関係ないじゃないですか、あんたのそういうところムカつくんですけど」
 伏見がそう言い放ったので、しばらくのあいだ二人は向かい合って箸を動かした。宗像は怒るでもなく、仄かな笑みを浮かべたまま伏見の方を見遣る。
 やっぱりこのひとは苦手だ、と思いながら伏見がじろりと睨めつけると「そう言えば、」と宗像が思い出したように言った。
「付き合ってくださいと言ったときの答えを、もらっていないのですが」
「――答えないと駄目ですか」
 駄目です、と言って宗像が楽しそうな表情をした。
「あんたが周防尊と別れて、俺がこのまま美咲と付き合うのを許可してくれたら頷きますよ」
 伏見が鰻をつつきながら吐き出すように言うと、宗像が「そう言うと思っていましたよ、」と苦笑した。
 そのときの宗像の表情は、どこか寂しそうでありながらも楽しそうで、伏見はこれが正解だったのだと思い知った。
「伏見くん、私は周防とは別れませんが、きみが飽きる日が来るまで今日のように抱いてください」
 和やかな顔をしながら宗像がそう言って、食べ終わったのか箸を置いた。
 縁側から外を見れば、まだ雨は激しく降り続いている。
 日が暮れてしまったので、ここに来たとき曇っていた空は夕闇で真っ暗くなっていた。
 きみが私に飽きる日が来るまで今日のように抱いてください、という言葉を脳内で反芻しながら、伏見は思わず声を出して笑った。
 俺はあんたの都合のいいおもちゃなのに。
 飽きられるのはいつだって、おもちゃの側だと決まっているのに。
 都合のいい詭弁を持ち上げるあんたと美咲のあいだで揺れ動いて、壊れるおもちゃは俺でしかないのだと、伏見猿比古は声を上げて笑った。

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